第14話|日常の鍛錬

夜。

部屋の明かりを落とす。


窓の外の音が薄くなって、

屋敷の中の気配が均される。


床に座る。

背筋を立てる。

目を閉じる。


呼吸を整える。

吸って、吐く。


息を吸うたびに、

胸の奥にある何かが、少しだけ沈む。


吐くたびに、

それが逃げないように、押し留める。


力を入れない。

動かさない。

ただ、そこにあると認識し続ける。


いつもの手順。


余計なことを考えないように、

数を数えることもしない。


吸う。

沈める。


吐く。

留める。


……それだけだ。


時間が過ぎる。


終わらせる合図もいらない。

呼吸が整ったところで、終わりにする。


目を開ける。

部屋は暗いまま。


立ち上がる。


その瞬間。


床が、短く鳴った。


乾いた軋み。

ほんの一回。


足元を見る。

フローリングは、いつも通りに見える。


影が伸びているだけだ。

木目も、変わっていない。


もう一度、体重をかけてみる。


何も鳴らない。


息を吐いて、

立ったまま部屋を見回す。


異臭もしない。

冷えた感じもしない。


ただ、さっきの音だけが残っている。


俺はそれを考えないことにして、

電気をつけずに、布団へ向かった。


眠る前の最後の呼吸も、

いつも通りだった。



朝。


カーテン越しの光は、昨日と同じ。

時計を見ると、いつもの時間。


階段を下りる足音が、屋敷の中で消える。


リアに挨拶をして、朝食を取る。

特別な会話はない。


門を出て、学校へ向かう。


今日も普通の一日だ。

そういう一日が、続いている。



夕方。

玄関の扉が閉まる音がして、屋敷に静けさが戻る。


リアは廊下を通り、二階へ上がる。

足を止めたのは、寝室前のドアだった。


ノブに手をかける。


いつもと同じ動作。

同じ位置のはずだった。


指先が、ほんのわずかに滑る。


リアは手を離さず、もう一度かけ直す。

回す。


扉は開く。

引っかかりはない。


リアはノブを見下ろす。

光の当たり方で、金属が鈍く反射している。


曲がってはいない。

交換が必要なほどでもない。


それでも、指の位置が違う。


リアは親指で、ノブの縁を一度なぞる。

静かに回し、静かに戻す。


扉を閉める。

音は立てない。


そのまま廊下を進み、階段の方を振り向く。

誰もいない。


リアは何も言わず、キッチンへ向かった。



夜。


書斎の明かりだけが点いている。

机の上に、紙が数枚並ぶ。


氷室悠介は椅子に座り、目を落としていた。


一枚を読み、次の一枚へ移る。

指先で端を揃える。


机の端に置かれた小さな端末に、視線が移る。

画面は暗い。


悠介は手を伸ばし、端末には触れないまま止める。

指先が宙で止まり、戻る。


紙を重ねる。

整える。


立ち上がって、窓際へ行く。

カーテンの隙間から外を見る。


屋敷の庭は暗い。

風で枝が揺れる。


悠介はそのまま、しばらく動かなかった。


そして、声にならない長さの沈黙が落ちた。


「……。」


それだけで、部屋はまた静かになった。

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密度極 The Pole of Density ピト太郎 @yakanmeusai

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