第2話
ルドヴィカがマクシミリアンと婚約したのは、彼が立太子した翌月のことだった。
その年の春に、同じ齢の二人は揃って学園に入学していたから、ルドヴィカもマクシミリアンの
幼い頃に催された茶会でも顔合わせはしていたし、デヴュタントを終えて社交場に足を踏み入れてからは、挨拶という程度の会話も交わしていた。
侯爵家の令嬢に生まれて、そろそろ婚約者を選ばなければならないというところで、王家からもたらされた縁こそが、王太子マクシミリアンとの縁談だった。
金髪青眼のマクシミリアンは、背が高く麗しい王子だった。二人の弟王子も同じく金髪に澄んだ青い瞳をしており、それぞれ美麗な顔立ちの王子たちだった。
ダークブロンドの髪に濃い翠色の瞳。
ルドヴィカ・デュード・バーナーズは、バーナーズ侯爵家の長子である。
一つ下の弟フレデリクが嫡男で、彼は第二王子とは同じ齢の、所謂「ご友人」枠となっている。
生家であるバーナーズ侯爵家は、王国の西側に広い穀倉地帯を領地に有する旧家である。
領地には親族を代官に置いて、侯爵一家は王都の邸宅に住まっていた。
ルドヴィカは、生家の領地が好きだった。
王都で良縁に恵まれなかったら、領地にいる傘下貴族の子息に娶ってもらい、喧騒から離れた長閑な領地に住まうのも悪くないと考えていた。
貴族の子女は大抵美しく、ルドヴィカはそのなかで取り分けて美しいということではなかった。
自然豊かな領地では、暗色の髪も控えめな容姿も気にならないだろう。日焼けを厭うて日傘を差すこともない。吹く風に髪を靡かせて、サワサワと音を立てる麦の穂を眺めて暮らすのだろうと思っていた。
だから、突然の王家からの婚姻打診には、生家の豊かな財を見込まれたのだと思った。
妃の輿入れには持参金を含めて大金を要する。嫁いだあとの化粧料は生家が負担する。
先細る家門では、未来の王妃を支えることはできないのである。
「断ることはできまい」
そう言った父の言葉に、サワサワと耳元で音を立てる麦の穂も、頬を撫でて髪を揺らすそよ風も途端に遠退き、領地での厭世めいた暮らしをルドヴィカは諦めた。
こうしてルドヴィカは、十六歳でマクシミリアンと婚約した。
「ルドヴィカと呼んでも?」
初めから名呼びして、マクシミリアンは笑った。まるっきりの初対面ではなかったが、親しく接することもなかった。
それなのにマクシミリアンは、婚約した途端、ルドヴィカを大切にしてくれた。
学園ではクラスは違っていたが、時間が合えば二人で行動したし、やっかみめいた視線からルドヴィカを守ったのもマクシミリアンだった。
王太子の執務もあって多忙な筈なのに、彼は小刻みな時間を作るのが上手かった。
ほんの半刻、ほんの四半刻、そんな短い時間を積み重ねて、二人は少しずつ心を通わせてきたのである。
少なくともルドヴィカはそう思っていた。
元より勤勉なルドヴィカは、妃教育にも懸命に取り組んだ。王妃からも教えを授かり、期待してますよとお声がけも頂戴していた。
生家という後ろ盾にも問題はなく、のんびりした気質のルドヴィカらしく、婚礼までの道程は平和なものだった。
手の平を重ねることも、唇を重ねることも、初めての夜に互いに火照った身体を重ね合わせることも全て、ルドヴィカはマクシミリアンから教えられた。
「ルドヴィカ」
瞼を閉じれば今も耳元で囁く声が思い出される。ルドヴィカの心も身体も蕩かすのは、この世でただ一人、マクシミリアンだけだった。
「君を妃にできて、私こそ幸福の王子だよ」
いつだか、童話になぞらえてそんな冗談を言ったのは、何度目かの褥のあとだった。
誰かを愛することも愛し合うことも、全てを教えてくれたマクシミリアンのためなら、なんでもできると思っていた。
マクシミリアンもそれを知っていたから、あんなことを命じたのだろう。
「ルドヴィカ。君は側妃になるんだ」
いっそのこと、死ねと言われるほうが楽だった。すぐさま自室に戻って毒を飲んだことだろう。
だが、マクシミリアンはそんな迂闊なことは許さなかった。あとで探してみたときには、妃に与えられていた筈の毒は処分されたのか、隠し置いた場所にはなかったのである。
王国には側妃の制度はあるにはあるが、実際に制度が行使されたのは数代前に遡る。
一夫一婦制が当たり前となって久しく、たとえ子宝に恵まれずとも、傍系といった血脈から養子を得ることで血の存続は為されてきた。
王子が三人いる現王家には、二年の間、子を得られずにいることは、まだ重大な懸念とまではいかなかった筈なのだが。
それをマクシミリアンの口からまさか、「側妃」と聞かされる日がくるなんて。
やむにやまない事情があることは、ルドヴィカにもわかっていた。だからこそ、その場で離縁を願ったのである。
その結果が、この白銀の世界への移送だった。
あの晩、枕元にゆらりと人影が立った。
マクシミリアンとは寝室を別にした夜だったから、ルドヴィカはてっきり侍女が寝台の傍にいるのだと思った。
だが、揺れる黒い影は女性にしては大きくて、そして、
「ルドヴィカ」
名を呼んだその声は、あまりに馴染みのあるものだった。
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