第17話 嘘の協力

ちりん。


誓約室の静けさの中で、その音だけが浮いた。

耳じゃない。――耳の奥だ。

残響の鈴が、答えの代わりに鳴る。


こん、こん。


扉が叩かれた。

控えめで、礼儀正しい音。

なのに、胃が固くなる。


「ギルドマスター。王都守備隊だ。――協力を求める」


硬い声。

嘘の笛が鳴るはずなのに、鳴らない。

誓約の内側だからか。

鈴の残響が、全部を同じ音にするからか。


バルドが、短く息を吐いた。


「セリア。粉」


「はい!」


セリアの手が黒い木箱から小瓶を抜き取る。

白い砂。嘘を殺す雪。


ミラが短刀の柄に指を置いた。


「協力って、便利な言葉だよね。断れない空気がする」


「喋るな」バルド。


嘘のない刃。

ミラの口が閉じる。


バルドの視線がノアに刺さった。


「ノア。――口を閉じろ。限定を外すな」


(嘘だけ)

(真実は黙らせない)


喉の奥で刃が鳴る。

でも、鞘を握る。


ノアは頷いた。

頷いた瞬間、耳の奥で“ちりん”が鳴りかけて――鳴らなかった。


---


扉を開けると、ホールの匂いが流れ込んだ。


麦酒。汗。革。皿の音。

嘘のない喧騒――のはずなのに、息みたいな嘘が混じる。

きぃん。薄い笛。

それが、鈴の残響に触れて、輪郭が崩れる。


(分からない)

(どれが嘘で、どれが……)


階段を上がる音。

鎧の擦れる音。


じゃり。

じゃり。


銀の百合。

真実の追跡の音。


ホールの冒険者たちが、道を空ける。

視線が刺さる。嘘はない。だから痛い。


バルドは歩幅を崩さず、正面の扉へ向かった。


扉の向こうが、冷えた夜だった。


---


門前に、白い花が並んでいた。


銀の百合の紋章。

整列した槍。

鎧の光沢。

人数は十を超える。


先頭に、あの隊長格がいた。

背筋の伸びた、綺麗な男。

目が硬い。――硬いのは鎧じゃない。書類だ。


隊長格が一歩前へ出る。


「ギルドマスター。協力を求める」


「何の協力だ」バルド。


隊長格は、懐から一枚の紙を出した。

封蝋。紋章。折り目。


その紙から、ぎぃ……という音はしない。


(……鳴かない)


ノアの喉が冷えた。


「虚言蟲の取締りだ」と隊長格。


無音。

真実の言い方。だから刺さる。


「昨日、偽の書類が出回った。――ギルドがそれを“黙らせた”と聞いた」


黙らせた。

その単語で、喉の奥が熱くなる。


(言うな)

(鞘だ)


バルドが紙を見ずに言った。


「中で話せ。ここは境目だ」


隊長格の眉がわずかに動く。


「……ギルドの誓約か」


「そうだ。嘘が喋れない場所で話せ。――それが“協力”だ」


隊長格は一拍置いた。

背後の騎士たちが、じゃり、と足を揃える。


無音の圧が増える。


「……分かった。だが、人数は減らさん」


「好きにしろ。ただし、粉は撒く」


バルドがセリアの小瓶を顎で示した。


白い雪が、門の敷居に薄く舞う。


ふわり。


騎士たちの喉が一斉に鳴った。

嘘が喉で詰まる気配。


嘘が形になれずに落ちる。


隊長格だけが、口を閉じたまま頷いた。

嘘をつけない頷き。


---


誓約室は冷たい。


石と鉄と蝋。

吸い込むだけで、舌が乾く。


隊長格は台座から距離を取って立った。

半歩、いや一歩。

誓約の圧を測っているみたいに。


背後に、騎士が三人だけ入る。

残りは扉の外。

境目に並んだまま、じゃり、と動かない。


バルドが言った。


「書類を出せ」


隊長格は紙を台座の縁に置いた。

封蝋の上に、誓約の白がひとつ落ちる。


しん。


静けさが増えた。


「読み上げろ」バルド。


隊長格は息を吸い、口を開く。


「――王都守備隊、監察部より。冒険者ギルドへ協力を要請する」


無音。

文字が声になって落ちる。

嘘の音がしない。ぎぃ……もない。


(本物だ)


ノアの背中に汗が走った。


隊長格は続ける。


「虚言蟲の流通経路を特定するため、ギルドの回収物・記録の提示を求める。必要に応じ、関係者の同行を命ずる」


同行。

命ずる。

どれも真実の刃だった。


「関係者、って誰だ」とバルド。


隊長格は、視線だけでノアを指した。


「神聴の少年。――ノア」


ノアの喉の奥で、刃が跳ねた。


(黙れ)

(……)


でも、鞘がある。


ノアは唇を噛んだ。

血の味がする。

現実の足場。


隊長格が言葉を落とす。


「彼を、監察部へ同行させる。保護だ。――逃亡の危険がある」


保護。

その言葉が、甘く聞こえるのが怖い。


バルドが低く言った。


「保護なら、なおさら誓約で話せ。お前たちの“虚言蟲”はどこから来た」


隊長格の眉が動いた。


「虚言蟲は――」


言いかけて、喉が鳴る。


詰まる。


誓約の雪が、嘘を殺した。


騎士の一人が咳き込み、口元を押さえる。

言葉が出ない。

真実まで絡んでいる。


(……嘘だけじゃない)

(粉、強い)


バルドは言い直した。


「虚言蟲の“納入”だ。第三詰所の帳簿を見た」


隊長格の目が細くなる。

無音。真実の反応。


「……帳簿?」


「『納入』と書いてある。銀の百合の印もある」


バルドが懐から薄い冊子を出しかけて――止めた。

見せない。

見せれば取られる。


隊長格は、誓約室の空気の中で、嘘をつけないまま言った。


「それは押収品だ」


無音。

真実。


ノアの胃が縮んだ。


(押収)

(じゃあ、母の噂も)

(書類も)

(全部、“押収品”の顔をして……)


バルドが畳みかける。


「押収品を“納入”と呼ぶのか」


隊長格の唇が薄くなる。

答えない。

答えられない。

誓約が、喉に針を立てる。


その沈黙が、答えだった。


隊長格は、話をずらした。


「昨夜、第三詰所から押収品が消えた。虚言蟲の瓶が二十本」


無音。

真実が増える。


「今夜のうちに回収する。――ギルドが関与している可能性がある」


ミラが小さく鼻を鳴らした。


「可能性って、便利。……でも、今は喋れないんだよね」


バルドが視線だけで黙らせる。


隊長格は、紙の次の行を指で押さえた。


「協力が得られない場合、ギルド施設への立入検査を実施する」


立入検査。

真実の言葉は、扉を壊す。


バルドの声が冷えた。


「ここはギルドだ。王権の門じゃない」


「法だ」と隊長格。


無音。

真実は反論しない。


「ギルドが拒めば、ギルドが疑われる。――それも、都の真実だ」


都。

真実。

刺さる単語が並ぶ。


ノアは、耳を塞ぎたくなった。

耳じゃない。

胸の奥を塞ぎたくなった。


(静けさが欲しい)

(……違う)

(欲しくない)


嘘だ。

嘘だから言える。

でも、今は言わない。

言えば、首が楽になる幻が蘇る。


バルドが、最後に言った。


「協力はする。――だが、条件がある」


「条件?」隊長格。


「誓約室で読み上げろ。明日持ってくると言った“本物”を。ここで。粉を撒いて。虫が出るなら出せ。――それが協力だ」


隊長格の目が細くなる。


「明日は待てない。今夜、同行だ」


無音。

真実の命令。


そして、騎士の一人が一歩前へ出た。

鎧が鳴る。


じゃり。


その手が、ノアの腕へ伸びる。


ノアの喉の奥で、刃が鳴った。


(黙れ)

(……嘘だけ)


鞘を握る指が、震えた。


真実は、黙らせない。

黙らせたら――全部が落ちる。


それでも、手は近づく。


じゃり。


耳の奥で、残響の鈴が鳴った気がした。


ちりん。

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2026年1月12日 08:00

神聴のノア――追放された悪役令嬢の息子は、嘘を黙らせる てゅん @satooooooo

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