神聴のノア――追放された悪役令嬢の息子は、嘘を黙らせる

てゅん

第1話 嘘の都

王都の門は、遠くから見れば白く美しい。


近づくほどに、汚れが見えた。

壁のひび。鉄の錆。人の列。吐息。焦り。苛立ち。


そして――嘘の音。


「入都税は銀貨二枚だ。王命だぞ。文句があるなら帰れ」


門番の声に混じって、薄い笛のような音が鳴った。

ノアの耳の奥で、きぃん、と嫌な響きがする。


(嘘だ)


入都税は銀貨一枚。

昨日、行商人が「いつも通りだ」と言っていた。

それに、“王命”という嘘は音が鋭い。針で鼓膜を引っ掻くみたいに。


ノアは列の中で、静かに息を吐いた。


(聞こえないふりをしろ。関わるな)


そう決めて、ここまで来た。


母――追放された元公爵令嬢リディアは、口癖のように言った。


『正しさは人を救うけど、同時に、あなたを殺すわ』


彼女は毎晩、同じ話をした。

王城の廊下。血の匂い。裏切り者の名前。

ノアはその度に耳を塞ぎたくなったが、母は笑って言うのだ。


『私、悪役令嬢だったってことにされちゃったのよ』


冗談みたいに。

だからノアも、冗談みたいに生きるしかないと思った。


冒険者になって稼ぐ。

母の薬代を出す。

余計なことはしない。


「次!」


列が進む。

ノアの番が来た。


門番はノアの顔を見て、鼻で笑う。


「旅人か。入都税、銀貨二枚」


ノアは懐を探る。

銀貨は一枚しかない。母が黙って握らせてくれた最後の金だ。


「……銀貨一枚のはずです」


言ってしまった。

舌を噛みたくなった。


門番の目が細くなる。


「は? 何を根拠に?」


「この都の入都税は――」


「黙れ。俺がそう言ったら、そうなんだよ」


嘘の笛が、さらに大きく鳴る。

ノアの耳が痛い。


(引け。引け)


そう思ったのに、口が勝手に動いた。


「それ、あなたの懐に入れる分ですよね」


門番の顔が凍った。


周囲がざわつく。


「おい、坊主……何言ってんだ」


「俺、昨日は銀貨一枚だったぞ」


「いつから二枚になった?」


嘘の音が門前に積もっていく。汚れた雪みたいに冷たい。


門番が怒鳴った。


「黙れ! 逆らうなら入れるな! 兵を呼べ!」


(やめろって……)


ノアは自分に言い聞かせる。

だけど、耳がうるさい。胸がむかむかする。


ノアは、指で自分の耳を軽く叩いた。


「……うるさい」


言葉は、吐息みたいに小さかった。


「嘘の音が」


その瞬間――世界が、少しだけ静かになった。


門番の口が動く。

だが声が出ない。


「……?」


門番は喉を押さえ、何度も口を開閉した。

出てくるのは、擦れた息だけ。


列がどよめく。


「な、なんだ!? 魔法か!?」


「坊主が何かしたぞ!」


ノアは自分でも何が起きたのか分からなかった。

ただ、嘘が耳を殴る度に、体のどこかが反射してしまう。


(まずい)


逃げようとした、その時。


門の内側から、鎧の音が近づく。


「何事だ」


現れたのは王都守備隊の騎士だった。

胸に銀の百合。背筋の伸びた、綺麗な男。


騎士は門番を見て、次にノアを見る。


「貴様がやったのか」


「……僕は、嘘がうるさかっただけです」


騎士の声にも、嘘の音が混じっていた。

笛じゃない。濁った太鼓だ。腹の底が震えるような、不快な低音。


(この人も知ってる)


「門番の喉が潰れたのは事故だ。貴様は暴徒だ。拘束する」


嘘の太鼓が強く鳴り、ノアの耳の奥が熱くなる。


騎士が手を上げた。

拘束魔法の気配。空気が重くなる。


ノアは反射で一歩引いた。


「……やめてください」


言いたくない言葉が、喉を押し出した。


「あなたも、嘘をついてる」


騎士の目が細くなる。


「戯言を――」


「門番は喋れます」


ノアは自分でも驚くほど冷静に言った。


「今、喋れないのは……あなたが“喋れないことにしたい”からだ」


嘘の太鼓が一瞬だけ跳ねた。

図星だ。


周囲の兵がざわつく。


「隊長!?」


「魔術師を呼べ!」


(最悪だ)


ノアは身を翻し、人混みへ飛び込んだ。

荷車の影、露店の布、誰かの肩。叱声。悲鳴。


嘘の音が追いかけてくる。

何百、何千。

耳が壊れそうだった。


路地に滑り込み、壁に背をつけて息を整える。


その時――上から声が落ちてきた。


「兄ちゃん、うるさいの、嫌い?」


見上げると、小柄な少女が塀の上に座っていた。

フードを深く被り、目だけが光っている。


ノアは息を止めた。


(……嘘の音がしない)


この都で初めてだ。

まっすぐな声。濁りのない音。


「追われてるね。門の方、騎士が本気で走ってる」


「……どうして分かるんですか」


「見れば分かる。あと、面白そうだから」


少女はにやりと笑った。


「ついてきな。こういう時は、冒険者ギルドに行くのが一番だよ」


「冒険者ギルド……?」


「うん。あそこは国の顔色だけで動かない。少なくとも、門の騎士よりは話が通じる」


ノアは迷った。

迷ったけれど――路地の入口から、鎧の音が近づいてくる。


「……お願いします」


ノアが頭を下げると、少女は軽く肩をすくめた。


「オッケー。じゃ、走るよ。私はミラ」


「ノアです」


「知ってる。顔に書いてある」


「……書いてないです」


「書いてる書いてる。“巻き込まれ体質”って」


ミラは笑い、ノアの手首を掴んだ。


二人は路地を抜け、裏道を駆ける。

嘘の音は相変わらず街中に満ちているのに、ミラの声だけは澄んでいた。


走りながら、ノアの腹が鳴った。


「……」


ミラが吹き出す。


「まずは飯だね。嘘の都は、腹が減る」


角を曲がった先に、大きな建物が見えた。

剣と天秤の紋章。人の出入り。喧騒。


冒険者ギルド。


ノアが扉に手をかけた瞬間――


耳が、すっと静かになった。


嘘の笛も、嘘の太鼓も、消える。

まるで耳の中の毒が抜けたみたいに。


(……なに、これ)


息が詰まる。

泣きそうになるのを堪えながら、ノアは扉を押した。


その奥で、受付嬢が笑顔を向ける。


「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへ――」


その言葉には、嘘の音がない。


――なのに。


ギルドのさらに奥、二階の暗がりから、これまで聞いたことのないほど醜い“嘘”が鳴った。


ノアの背筋が、凍る。


(……ここにも、いる)

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