「弓道部の的中音が、俺の初恋の合図だった」
神崎りん
第1話「運命の弓」
「運命」とはなんだろう。
初めて、弓道場の床を踏んだ時はそんなことを考えもしなかったのに。
誰かが糸を手繰り寄せているのか。それとも
数えきれないほどの無数の偶然が重なり合い、
それを人々が「運命」と呼んでいるだけなのか。
僕が弓道を始めたのは、彼女の引く姿を見たからだ。凛とした佇まい、ピンと張り詰めたあの空気、
そして矢が彼女から放たれる瞬間ーーあの日、
弓道場で見た光景が、僕の人生を180度変えた。
周りから人気者の彼女、そして教室の端にいる自分。同じクラスにいても話さなかった。話せなかった彼女と、神社の境内で出会うまで、僕は知らなかった。運命とは矢が的に向かって飛ぶように、
まっすぐで、でもほんの少しの風が吹けば軌道が
変わってしまうことを。
これは、僕と彼女が、小さな「偶然」を「運命」に
変えていく物語である。
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四月。
県立桜丘高校。別名"桜校"に入学して1週間も経っていない。
新しい制服。新しい教室。新しいクラスメイト。
全てのものが新鮮で、少しだけ緊張する。
僕、桐生蒼太は、人見知りで全然人と話せないような感じではないけど、自分から積極的に話しかけにいくタイプでもない。中学の時も、仲の良い友達は
何人かいたが、教室の中心で騒ぐよりも、教室の端で大人しくしているような存在だった。
窓際の後ろからニ番目の席。ここが僕の定位置だ。
午前中の授業が四時間終わり、お昼休みになると、教室がザワザワし始める。
「ねえねえ、白鳥さん、部活何入るか決まった?」
「うーん、それがまだ決まってないんだよねー
色々見学しよっかなぁって」
教室の中央から何やら騒がしい声が聞こえてくる。
白鳥梢。
僕と同じクラスの女子だ。入学式の日から彼女の周りには多くの人が集まっている。明るくて、
話しやすくて、元気で、笑顔が素敵な女の子。
"クラスの人気者"という言葉がピッタリの
存在だった。
僕は窓の外を眺めながら、お弁当を広げる。
決して彼女に話しかけられないわけではない。
でも、あんなにクラスのみんなに囲まれている人とはどうやって話せばいいのかわからない。きっと
僕みたいな教室の端で大人しくしている人が、
話しかけても、迷惑だろう。
そんなことを考えながら、口の中いっぱいに
おにぎりを頬張る。
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放課後。
部活の見学の期間が始まった。
僕はまだなんの部活に入るか決めていない。
中学の時は帰宅部だったし、運動部はやりたい
スポーツも特にない。文化部でもいいかもしれない
が、なにか新しいことにチャレンジしたい気もする。
「まぁ、とりあえず、色々見てくるか」
校舎を出て、グラウンドの方へ向かうと
サッカー部、野球部、テニス部、陸上部が練習をしている。どの部活を活気に満ち溢れていて、
先輩が楽しそうに練習している。
でもどの部活もピンとこない。
自分がそのスポーツをやった時の姿が想像できない
からだ。
少し歩くと、後者の奥に見える古い建物が目に入った。
弓道場。
そういえば、この学校弓道部があるんだっけ。
弓道なんて、テレビで見たことがあるぐらいでよくわからないけど、どんな感じだろう。
興味本位で弓道場に向かって歩き始めた。
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弓道場に近づくと、静かな空気が流れていた。
グラウンドの騒がしさとは対照的に、
弓道場はしんと静まり返っている。
入り口の扉が少し開いていて、中の様子が
少し見えた。
そこには、数人の先輩と、新入生らしき人が集まっていた。新入生は僕以外にも何人か集まっているようだ。
「はい、じゃあ、この中に弓道経験者っている?」
先輩の声が響く。
しばらく沈黙が続いた後に、1人の女子生徒が
手をまっすぐ上げた。
「あ、私、中学で少しやっていました」
その声に僕は思わず顔を上げた。
白鳥梢。
同じクラスのあの人気な女の子だった。
「おお!経験者。せっかくだからちょっと引いてもらってもいい?みんなにも見せてあげて」
「は、はい」
梢が、照れくさそうに静かに笑いながら、先輩から受け取った懸(かけ)と下懸(したがけ)を
自分の右手にすらすらつけていく。その姿もとても
凛々しく、絵になる。
先輩から矢と弓を受け取り、的前に立つ。
その瞬間、弓道場の空気が変わった。
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梢の表情が、ふっと引き締まる。
さっきまでの明るい笑顔はそこになく、
真剣な眼差しが的を捉えている。
ゆっくりと弓を構える。
背筋が伸び、呼吸を整える。
矢を番え、弦を引く。
自分の位置から見ると、足が肩が、体全体が
一直線になり、美しかった。
僕は息するのも忘れて、その姿を真剣に見つめていた。
彼女の横顔が、夕日に照らされ輝いている。
凛としていて、美しくて、どこか儚い。
そんな感じがした。
そしてー
パンッ。
ヒュー。
弦を放つ音が、弓道場全体に響きわたる。
矢が一直線に飛んでいく。
カーン。
的のど真ん中に当たる音。
僕の心臓が大きく跳ねた。
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「おお!すごい、ど真ん中!」
先輩たちが大きな拍手をする。見学に来ていた他の新入生も感嘆の声を上げる。自分もつい拍手をする。
梢は、少し静かに笑って、弓を先輩に返す。
「いやー、ブランクあるのにすごいね。うちの部活
入ってくれたらうれしいなぁ」
「あ、ありがとうございます。そう言ってもらえて
うれしいです。考えてみます。」
梢が他の見学者の列に戻っていく。
僕は、まだ弓道場の入り口のドアで立ち尽くしていた。
心臓が胸の中でまだドキドキしている。
さっきの彼女のあの姿が、ずっと脳裏に焼きついて離れない。
凛とした横顔。張り詰めた空気。そして、
あの矢が放たれた時のーー静寂。
僕はあの姿に思わず心を奪われた。
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「お?入り口にあるそこの君。よかったら中に入
ってごらん。弓持ってみる?」
先輩の声に我に返った。
「あ、はい。ありがとうございます。」
ふらふらと、周りの注目を集めながら入っていく。
でも、僕の目には、的なんて見ていなかった。
見学者の中にいる白鳥梢の後ろ姿をずっと見つめていた。
彼女は、前髪を気にしながら先輩の話を聞いている。
普段同じクラスの人に囲まれているクラスの人気の女の子。
弓を引いている彼女は、誰とも違う顔をしている。
あんな表情、教室では見たことがない。
「ねぇ、そこの君。弓道部どう?興味ある?」
先輩が僕に問いかける。
僕は少しだけ迷ってから、答えた。
「あ、はい。入部したいです。よろしくお願いしま
す」
その言葉は、あまり考えずとも、驚くほど自然に出てきた。
弓道がやりたいのか
それともーーー
僕はまだ、その答えをまだ導くことができていなかった。
ただ、あの凛々しい姿を見たい。
ただそれだけだったーーー
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部活見学が終わり、校舎に戻る途中。
僕はぼんやりと考えていた。
白鳥梢。
同じクラスで、同じ部活になるかもしれない人。
でも、僕なんかが、話せるだろうか。
教室でいつもクラスの人に囲まれているクラスの人気者。きっとそれは部活が仮に一緒だとしても
変わらないだろう。
僕はきっと、輪の外側にいる。
いや、もう輪の外側にもういる。
それでもーー
もう一度、あの横顔を見たい。
もう一度、矢が放たれる姿を見たい。
もう一度、あの後ろ姿を見たい。
そう考えると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
僕の高校生活は、この日から、少しずつ動き始めた。
まだ、それが「恋」だとは気づかないまま。
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