『小間物屋ゆうつづ』
白瀬 いお
壱:痣は、数えない
活気のある大通りから繋がる細い道への入口は、ひっそりとそこにあり、人影は足を止めることなく通り過ぎて行くだけだった。
そんな細い道の先に、その店はある。飴色の木の板で作られた看板には、金色の滑らかな字体で『小間物屋ゆうつづ』という店名と、営業時間だけがひっそりと書かれていた。特別目を引くわけではないその文字だが、まるで新品のように少しの色褪せもない。
店は、さほど大きくはないが、二階建てで日当たりも良いように見える。取っ手も洒落ているが、押しつけがましくはない。
その取っ手に手をかけ、若い女性がゆっくり扉を開く。蝶番は鳴かなかったが、扉の隙間から奥へと流れ込む風が、店内へ進む一歩を後押しした。
「いらっしゃい」
黒い着物を纏い、白いレースのショールをかけた女が、彼女へと声をかける。この店、小間物屋ゆうつづの店主の微笑みに、彼女はほっとしたような、しかし少し緊張した面持ちで、視線をうろ、と動かした。
整然と揃えられた商品棚には、見やすく商品が陳列されている。パッと見ただけでも、アクセサリー類から小さなインテリア雑貨まで幅広く置いてあるのが分かるが、彼女はそちらに足を運ぶことはしなかった。
暫し、沈黙が流れる。最初に口を開いたのは、彼女だった。
「あの。……このお店には、持っていると願いごとが叶う商品が売ってるって聞いたんですけど。ただ、その。アクセサリーとか、小物とか、言う人によってバラバラで。どれのこと指しているのか、あの、分からなくて」
「相談事ね。それじゃあ、奥へどうぞ。悩み事に沿って、わたしが提示できる選択肢を出しましょう。品物という形でね」
そう言って、店主はレジ横にある引き戸を開けた。カラカラと、心地よい軽い音が鳴る。
先に入室した店主に続いて、彼女が入り、扉を閉めた。部屋の真ん中にはカーペットが敷かれ、その上に白い丸テーブルと椅子が二脚置かれている。
店主は奥側に座り、手前の椅子を彼女に勧めた。丸テーブルの上には、来ることを分かっていたかのように、淹れたての紅茶が二つ置かれている。
彼女は、恐る恐るといったように椅子を引き、腰を下ろした。バッグを膝の上に置いて、スカートの上で手を握りながら、どう伝えるべきか悩んでいるように口を少しだけ開いては閉じる。
店主は急かすことはせずに、ただ、自分の分の紅茶を飲みながら、静かに待った。時計の針の音も、店の外の微かなざわめきも届かない部屋の中で、ただ暖かな陽の光だけが窓ガラスから差し込んでいた。
「……痣が、増えているんです。知らない間に、体の、……服に隠れるところに」
「ふうん。自覚のないうちに、ぶつけているんじゃなくて?」
「私も最初はそうなのかなって思いました。でも、違うんです。毎回……朝起きる度に、増えてるんです! ベッドにぶつけて痣になるようなものは置いてないし、夜中にトイレに立った時ぶつけたとしても、毎日なんて……こんなの、今までなくて……」
彼女は、強ばった顔で左腕を右手で握る。時折そこを擦る仕草をしているので、その〝痣〟は左腕に多いのかもしれない、と感じられた。
暫くの沈黙の後、記憶を手繰るようにゆっくりと話し出す。
不可解な痣が気になり始めたのは、半年前くらいだったと言う。初めは連日残業続きで疲れていたから、知らない間にぶつけたのだろうと、そう軽く考えていたそうだ。
しかし、日を追うごとに痣は増えていく。一つ、また一つ。眠る前には白かった肌に、朝起きたら青い痣が出来ている。だが、やはり彼女には覚えがない。そそっかしい性格ではないので、これまでの人生でこのように見知らぬ間に痣が出来ていたことはなかったと言う。
彼女は、まず、夢遊病を疑ったという。毎朝痣が増えているのなら、つまり自身の記憶がない間──眠っている間に、何かをしているのではないか、と。その時、テレビ番組で夢遊病患者が自分の意識のない間に冷蔵庫の中のものを食べてしまう、という症例を放送していたので、余計にそうではないか、と思ったと言う。
「でも、違いました。ペットカメラを部屋に置いておいて、寝ている間を録画しておいたんです。……変な行動、なにもしていませんでした。たまにトイレに行く日もあったけど、朝までぐっすり寝ている日がほとんどで」
「だから、夢遊病の可能性は低い、ということね」
「はい。毎朝痣が増えているのが不気味で、でも友達に相談しても「私もそういう、身に覚えのない痣出来る時あるよ」って言われてばかりで」
「そう」
店主はゆっくりとティーカップを持ち上げて、唇へ静かに寄せた。
思考から来る沈黙ではない。ソーサーへティーカップを置いてから、店主は一度目を瞑った。それは、ほんの数秒だけのことだった。
俯きがちになっている彼女に「品物を持ってくるから、待っていて」とだけ告げて、椅子から立ち上がり、部屋を出る。その足取りは、入室する時となにも変わらなかった。
暫くして、店主が再び部屋へと戻ってくる。先程と同じ椅子に座り、ティーカップごとソーサーをテーブル端へとずらしてから、中央に純白の布が敷かれた木のトレーを置いた。
そこには、青色のとんぼ玉で作られたブレスレットが乗っている。派手な装飾はないが、シンプル過ぎない、どんな服装にでも合わせられそうなものだった。
「貴方にわたしが提示できる選択肢は、二つ。このブレスレットを身につけるか、身につけないか」
「……これを、着けていたら……もう、痣は、増えませんか?」
「それは貴方次第。わたしが出来るのは、これを出すことだけよ」
「……」
とんぼ玉のブレスレットを見つめて、黙り込む。信じて良いのか迷っているようにも、店主に対して懐疑心を抱いているようにも、藁にも縋る思いを抱いているようにも、様々な感情が瞳に浮かんでは消えているのが見えた。
店主は、そんな彼女を視界にいれながらも、決断を急かさない。端に寄せたソーサーを自身の前に戻して、先ほどと同じように取っ手を摘み、紅茶を飲んでいる。
値札は提示されている。特段高いわけではない。それが余計、困惑させているのかもしれないが、店主にとってはそれが適正価格だった。
少しの沈黙の後、彼女は顔を上げる。
「……これ、ください」
「ええ。じゃあ、もう二つ、伝えておくわね。一つ目は、ブレスレットを三ヶ月間ずっと身につけていること。二つ目は、三ヶ月後──つまり今日と同じ日に
「え、ええと……、場所は、ちょっと……」
「そう。まあそんなものよ、地元の神社の名前も知らない人だっているしね」
変わらず微笑む店主に、彼女もほっと肩から力を抜いて、ようやっとティーカップへ手を伸ばす。薄らと見える湯気が、紅茶がまだ冷めていないことを伝えてくる。
ゆっくりとした動作で一口飲み、思わずといった様子で息を吐いた彼女に対して、店主は再び椅子から立ち上がった。
今度は部屋に置かれた棚の一段目を開けて、その中から紙を一枚取り出す。今どき珍しい和紙には、件の夜限神社周囲の地図が書いてあった。
「これが地図よ。あとは自分で調べて頂戴、貴方の家からの道順とかね」
「わ、わかりました。ありがとうございます……」
「いいえ。お茶を飲んだら会計をしましょう、ゆっくりで構わないわ。見ての通り、混み合ってはいないもの」
店主の言葉に、彼女はふふ、と小さく笑った。自虐的ではない、ただ事実を述べているだけだという態度が良かったのだろう。
ぽつぽつと取り留めのない話をして、紅茶をおかわりしてから、女性は来店した時に比べていくらか明るい表情で会計を済ませ、店を出て行った。
「良き人生を」
店の扉が、音もなく静かに閉まる。相変わらず雑音のしない室内で、店主の歩みだけが小さく鳴った。
引き戸の向こうの部屋の中、先程まで二人分のティーカップとティーポットが置かれていた丸テーブルの上には、何もない。店主はそれを確認してから、戸を閉めた。
その日は、他に客が訪れることはなかった。
月が真上に昇る頃、店主は店の二階にある生活スペースで、大きなソファに寝そべりラジオを聞き流しながら、チョコレートを摘んでいた。
行儀が悪いその体勢も、店主がすれば美しい絵画のようにさえ見える。小さいとはいえ、一箱二十個入りのチョコレートをぺろりと完食した後、店主はゆっくりと瞬いた。
「わたしは選択肢を増やすだけ。選ぶのは、貴方なのよ」
三ヶ月後、店主は店の一室に友人を招き、お茶を楽しんでいた。
白髪が混じり始めた歳の、穏やかな眼差しの男が手土産にとくれた黒糖まんじゅうをお茶菓子に、少し濃いめに淹れた緑茶を啜る。
「この頃、どう?」
「変わりありませんよ。皆さんお参りをされた後、おみくじを引いて一喜一憂したり、絵馬に願いを書き記したりなさっています」
「そう、平和で良いことね」
二人の話は、ゆったりと進んで行く。穏やかな日の、午後のことであった。
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