第2章「魔法という新エネルギー」
村の倉庫は、カビと埃の匂いが充満していた。窓から差し込む光の筋が、宙を舞う塵を照らし出している。カイトは咳き込みながら、積み上げられた道具や廃材を漁った。
使えそうなものはあるか。
錆びた鉄の棒、欠けた斧、壊れた鍬、腐りかけた木材の山。どれも使い古され、捨てられたものばかりだ。だが、カイトの目は光っていた。エンジニアの目だ。ゴミは、見方を変えれば資源になる。
「これは……」
カイトは一本の鉄棒を手に取った。長さは一メートルほど。太さは親指大。錆が浮いているが、芯はまだしっかりしている。これを軸にできる。
次に、木材だ。フレームを組むには、まっすぐで丈夫な木が必要だ。幸い、古い家具の残骸がいくつかあった。解体すれば使える。
車輪は……これが問題だ。荷車の車輪は大きすぎる。もっと小さく、軽いものが必要だ。
「自分で作るしかないか」
カイトは呟いた。前世で工作機械を扱ったことはない。設計図を描き、試作を発注し、評価するのが仕事だった。だが、理論は知っている。木工の基本も、学生時代に少しだけ齧った。
やるしかない。
カイトは倉庫から使えそうな道具と材料を運び出した。村人たちが不思議そうに見ている。孤児の子供が、何をしているんだ、という目だ。
「カイト、何を作ってるんだい?」
若い農夫が声をかけてきた。名前はロアン。優しい青年で、時々カイトに食べ物を分けてくれた。
「荷車です。でも、普通のとはちょっと違う……動く荷車を作ろうと思って」
「動く荷車?牛や馬がいなくても動くのか?」
「はい。魔法で動かします」
ロアンは目を丸くした。そして、大笑いした。
「魔法で!?お前、面白いこと言うな!魔法使いでもないのに、そんなこと――」
「できます」
カイトは真っ直ぐにロアンを見た。その目には、確信があった。ロアンは笑いを止めた。
「……本気なのか?」
「本気です。見ていてください」
カイトは村の外れ、自分が寝泊まりしている小屋の隣に作業場を作った。屋根はない。ただ、地面を平らにして、作業台代わりに古い木板を並べただけの場所だ。
そこで、カイトは作業を始めた。
まず、車輪だ。
直径三十センチほどの円盤を作る。木材を切り出し、削り、磨く。スポークは省略する。プロトタイプだ。完璧である必要はない。動けばいい。
だが、ここで問題が発生した。
木材を切る鋸が、あまりにも切れ味が悪いのだ。歯がボロボロで、まともに切れない。一センチ切るのに十分以上かかる。このペースでは、車輪一つ作るのに何日もかかってしまう。
カイトは汗を拭った。夕日が村を染めている。もう作業を続けるのは難しい。
「やっぱり、道具がないと厳しいか……」
前世なら、CADで設計図を描き、工場に発注すれば、数週間で精密な部品が届いた。3Dプリンターで試作を作ることもできた。だが、ここにはそんなものはない。全て、自分の手で作るしかない。
カイトは小屋に戻った。夕食は、グレンじいが持ってきてくれた黒パンとスープだった。硬いパンを噛みしめながら、カイトは考えた。
効率を上げるには、道具を改善する必要がある。だが、道具を作るにも道具が必要だ。堂々巡りだ。
いや、待て。
魔法だ。魔法を使えば、加工ができるかもしれない。
カイトは手のひらに炎を灯した。小さな炎が、闇の中で揺れている。この炎で木を焼き切ることはできないだろうか?いや、制御が難しい。燃え広がってしまう可能性がある。
ならば、熱で金属を溶かして、型に流し込む?鋳造だ。だが、それには高温が必要だ。この小さな炎では無理だ。
カイトは炎を消した。暗闇が戻ってくる。
魔法の原理を理解する必要がある。
翌朝、カイトはグレンじいに頼んで、魔法について教えてくれる人を紹介してもらった。村には、わずかに魔力を持つ者が何人かいるらしい。その中の一人、癒しの魔法を使える老婆、マルタが教えてくれることになった。
「魔法ねえ……あたしも大したことはできないんだよ」
マルタはしわがれた声で言った。小さな小屋の中で、薬草を煎じている。独特の香りが鼻を突く。
「でも、基本は教えられるかね。まず、魔力ってのは、生き物の中にある力だ。心臓が血を巡らせるように、魔力も体の中を巡っている」
「体の中を……巡っている?」
「そうさ。普段は意識しないがね。魔法を使うってのは、その流れを意識的に操ることさ」
マルタは手のひらをカイトに向けた。ほんのりと緑色の光が浮かび上がる。
「これは治癒の魔法だ。傷を癒す。魔力を、治す力に変換してるのさ」
変換。そうだ、エネルギーの変換だ。カイトは前のめりになった。
「その変換は、どうやって制御するんですか?」
「イメージだよ。強く、明確に、何をしたいか想像する。曖昧だと、魔力は散ってしまう」
イメージ。つまり、意志の力で魔力の出力形態を決定する、ということか。
カイトは理解した。これは、プログラミングに似ている。入力(魔力)を、処理(イメージ)によって、出力(現象)に変換する。
「もっと詳しく教えてください。魔力を、動きに変えることはできますか?物を動かす、とか」
マルタは首を傾げた。
「物を動かす……念動力かい?あたしにはできないねえ。だが、王都の魔法使いならできるって話だよ。風の魔法で物を飛ばしたり、ね」
風。空気の流れを作り出す。つまり、魔力を運動エネルギーに変換している。ならば、回転運動にも変換できるはずだ。
「ありがとうございます、マルタさん。すごく参考になりました」
カイトは小屋を飛び出した。頭の中で、魔導エンジンの設計図が形を成し始めている。
魔力を回転運動に変換する装置。それには、魔力を集中させる「回路」のようなものが必要だ。そして、その回路に沿って魔力を流し、特定の方向に力を発生させる。
カイトは地面に棒切れで図を描いた。円盤状の構造。中心に魔力を注入する核を置く。そこから放射状に「魔法陣」のようなものを刻む。魔力はその陣に沿って流れ、円盤の縁で力を発生させる。その力のベクトルを揃えれば、円盤は回転する。
理論的には可能だ。だが、魔法陣をどう描くか。それが分からない。
カイトは村中を歩き回り、魔法に関する情報を集めた。だが、この村には魔法使いはいない。わずかに魔力を持つ者も、せいぜい小さな火を灯すか、軽い傷を癒す程度だ。高度な魔法の知識など、誰も持っていなかった。
だったら、自分で実験するしかない。
カイトは作業場に戻った。木の板を一枚用意し、炭で円を描く。その円の中に、放射状に線を引く。八本の線。それぞれの線の先端に、小さな円を描く。
これが、魔力の流れる経路だ、とイメージする。
そして、中心に手のひらを当てた。魔力を注ぎ込む。
「回れ……」
カイトは強く念じた。木の板が回転するイメージ。時計回りに、速く、滑らかに。
だが、何も起こらなかった。
魔力は注がれているはずだ。手のひらが熱い。だが、板は微動だにしない。
「なぜだ……」
カイトは額に手を当てた。汗が滲んでいる。魔力を使いすぎたのか、頭が痛い。
問題は何だ。魔力の量が足りないのか?いや、それだけではない。設計が間違っている。魔力の流れ方が、イメージ通りになっていないんだ。
カイトは目を閉じた。エンジニアとしての思考が働く。問題を分解する。
魔力の注入 → 魔法陣による誘導 → 力の発生 → 回転運動
どこで失敗している?
カイトは魔法陣を凝視した。ただの炭で描いた線だ。これに、魔力を誘導する機能があるのか?
いや、ない。魔法陣は、ただの「ガイドライン」に過ぎない。実際に魔力を流すのは、術者のイメージなんだ。
ならば、もっと精密にイメージしなければならない。魔力が、この線に沿って流れ、ここで力を発生させ、ここで回転のトルクになる。全てを、明確に。
カイトは深呼吸した。もう一度、手のひらを板の中心に当てる。
目を閉じる。
魔力が、手のひらから流れ出す。それは光の川のように、板の中を進む。放射状の経路を通り、縁へと到達する。そこで、魔力は力に変わる。押す力。接線方向に。そう、タイヤが地面を蹴るように。
回れ。
板が、微かに震えた。
カイトは目を開けた。板が、ほんの少しだけ、動いた。一ミリにも満たない。だが、確かに動いた。
「動いた……!」
カイトは声を上げた。成功だ。魔力で、物体を動かすことができた。
だが、この程度では実用に耐えない。もっと強い力が必要だ。もっと効率的な魔法陣が必要だ。
カイトは何度も実験を繰り返した。魔法陣の形を変え、線の数を増やし、魔力の注ぎ方を変えた。
日が暮れても、カイトは作業を続けた。小さな炎を灯して、手元を照らす。魔力が尽きると、休憩し、回復を待ってまた試す。
三日後、カイトはついに安定して板を回転させることに成功した。
魔法陣は、十六本の放射状の線と、その間を繋ぐ円環状の補助線で構成されている。中心に魔力を注ぐと、それが放射線に沿って外側に広がり、円環で力のベクトルが揃えられ、板が回転する。
回転速度は遅い。だが、確実に回っている。そして、何より重要なのは――カイトが手を離しても、しばらくの間、板は回り続けたことだ。
「慣性……いや、魔力が残留している?」
カイトは板を観察した。魔法陣がほんのりと光っている。魔力が、陣の中に留まっているようだ。まるで、キャパシタ(コンデンサ)だ。電荷を蓄えるように、魔力を蓄えている。
これは使える。
カイトは確信した。この原理を応用すれば、魔導エンジンが作れる。
次の段階だ。実際の車輪に、この魔法陣を刻む。
カイトは車輪の製作に取り掛かった。直径五十センチの木製の円盤。四つ作る必要がある。
鋸の切れ味は相変わらず悪かったが、カイトは諦めなかった。一日中、木を削り続ける。手のひらに豆ができ、潰れ、また新しい豆ができる。痛みに顔を歪めながらも、手を止めなかった。
前世では、こんな肉体労働をしたことはなかった。デスクワークが中心で、せいぜい工場視察で歩き回る程度だ。だが、今は違う。全て、自分の手で作らなければならない。
一週間かけて、四つの車輪が完成した。粗削りだが、形にはなっている。
次に、フレームだ。木材を組み合わせて、長方形の枠を作る。その四隅に車軸を取り付ける。車軸には、例の鉄棒を使った。錆を削り落とし、できるだけ滑らかにする。
そして、車輪を車軸に取り付けた。
簡易的な荷台が完成した。まだ動力はない。ただの四輪カートだ。
カイトはこのカートを押してみた。重い。車軸の摩擦が大きい。油が必要だ。
マルタに頼んで、動物の脂をもらった。それを車軸に塗る。少しだけ、滑りが良くなった。
次は、魔導エンジンだ。
カイトは後輪の一つに、魔法陣を刻むことにした。車輪の内側、ハブの部分に、炭で陣を描く。いや、炭では消えてしまう。もっと恒久的な方法が必要だ。
カイトは鉄の釘を熱して、木に焼き付けることを思いついた。火で釘を真っ赤に熱し、木の表面を焦がして線を引く。時間はかかるが、確実だ。
丸一日かけて、車輪に魔法陣を刻み終えた。複雑な幾何学模様が、車輪の表面に浮かび上がっている。
そして、テストの時が来た。
カイトはカートの後ろに座り、魔法陣に手を当てた。深呼吸。集中。
魔力を注ぐ。
回れ。前進しろ。
車輪が、ゆっくりと回り始めた。
カートが、動いた。
ほんの数センチだが、確かに前に進んだ。自力で。牛も馬も使わずに。
「成功だ……!」
カイトは立ち上がった。だが、すぐに問題に気づいた。
片方の後輪だけが駆動しているため、カートは曲がってしまう。直進しない。そして、魔力の消費が激しい。数秒動かしただけで、もう魔力が尽きそうだ。
改善点は山ほどある。だが、原理実証はできた。魔法で車を動かすことは、可能だ。
カイトは夜空を見上げた。星が瞬いている。この世界の星座は、地球とは違うようだ。
だが、カイトの心は晴れやかだった。
ゼロから、ここまで来た。まだ始まりに過ぎないが、確実に前進している。
次は、実用レベルに引き上げる。両輪駆動にし、魔力の効率を上げ、操舵機構を作り、ブレーキを付ける。やるべきことは多い。
だが、できる。
カイトは作業場に戻った。夜通し、改良を続けた。
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