第七話 皇宮入り



 皇宮の正門、南大門。


 広大な帝都の北寄りの高台にある皇宮に入るには、最南に設けられた巨大な南大門を通過しなければならない。門前に十段ほどの階段があり、皇族や高位官僚でもここで下馬が求められる。厳重な警備体制が敷かれ、検札や検査のために通行人の長い行列ができている。


 玻璃はりは設計道具を詰め込んだ布製の大きな鞄を背負い、南大門前の階段を一段ずつ登る。その壇上には、真紅の外套を風にはためかせ偉そうに腕を組む訓薫鳳くんくんぽうが、偉そうな仁王立ちで偉そうに見下ろしている。



「よう。来たな、おん玻璃」


こう玻璃よ。おじいちゃんは温姓だけど、私は違うの」


「重そうな荷物だな。持ってやろうか」


「触るなっ。大事な道具だから」



 薫鳳を睨みながら最上段に到達した玻璃は、布鞄に触れようとした薫鳳の手を平手ではたき落とした。苦笑する薫鳳は、銀製の札を玻璃に手渡す。


 薫鳳と玻璃の地獄の初対面は、わずか二週間前のことだ。


 玻璃は四阿にて薫鳳の皇宮内の調香室で働く決意を表明したが、皇宮内で仕事をする職人には匠官しょうかんという官位が必要となる。通常はその申請に早くても半年はかかると言われているが、薫鳳が皇太后に掛け合うと、玻璃にはたった一週間で二級匠官に任官された。皇太后の薫鳳への強い寵愛もあるが、帝国美術学院で何度も首席の成績を獲っていること、後宮で愛される香水瓶の多くの設計者であったことなどが大きく評価されたようだ。


 薫鳳が玻璃に渡した銀札は、匠官の持つ通行許可である。南大門だけではなく、宮中各所で厳しく制限されている各門の通行手形も兼ねる。


 南大門を抜けると、祝融殿しゅくゆうでんと呼ばれる大きな宮殿が立ちはだかる。中に様々な役所の部署が入っており、玻璃も数年前まではこの中にある帝国美術学院に通っていた。先日祖父と来て薫鳳と出会った園庭もその傍らにある。


 この祝融殿や自由園庭に入った経験がある国民はそこそこいるが、そこから北は国政の場。足を踏み入れられるのは、限られた地位の人間だけである。



「す、すごい……。なんていう大きさ」



 さすがの玻璃も、外朝中央の壮大さに圧倒され、幼児並みの語彙しか出ない。目を見開いて生唾を呑む。


 祝融殿の北側には広大な広場。右手には官僚が政務を行なう東の句芒殿こうぼうでん、左手には貴賓館として外交時などに使われる西の蓐収殿しょくしゅうでん、広場の先には式典などの重大行事が行われる皇宮最大の宮殿、北の玄冥殿げんめいでんがそびえる。まさに国政の中枢である。


 薫鳳の調香室は、さらにその先の内廷の朱雀宮すざくきゅうの一画なのだという。内廷は皇族の生活の空間であり、南の朱雀宮以外は男子禁制の後宮である。朱雀宮でさえ一部の重臣しか足を運べないと聞く。この訓薫鳳という男はどれだけの特権を与えられているのかと、そこに至る外朝の絢爛な回廊を歩く玻璃は次第に震えてきた。


 先を歩く薫鳳は肩越しに、二つに折られた紙きれを差し出した。



「玻璃。おまえがここで働くにあたって、とても重要なことを分かりやすく図にまとめておいた。よく見てしっかり頭に入れておいてくれ」


 人差し指と中指に挟まれた紙を、玻璃はつまみ取って開く。そこには、三行で簡潔にまとめられていた。



================

 特級匠官(薫鳳様)

  ↓

 一級匠官

   ↓

 二級匠官(おまえ)

================



 玻璃は瞬時に舌打ちして、紙をくしゃくしゃに丸めて薫鳳の背中に投げつける。



「図にするほどの話じゃないでしょ。ふざけてんの」


「玻璃、ここは市井とは違う。厳格な政治の場だ」


「あなたに言われなくても知ってるけど」


「ちゃんと聞け。オレは別に何を言われようと構わねえが、この皇宮にはオレのように頭の柔らかい奴は案外少ないってことを心に留めろ」


「どういうことよ」


「二級匠官が特級匠官に非礼を働いたことが知られるだけでも、帝都を追放されることもあるってことだ。ましてや、皇宮内でゴミをポイ捨てするところを目撃されようものなら、五十杖の杖刑じゃすまねえぞ」



 薫鳳の淡々とした説明を聞くや、玻璃は慌てて先ほど背中に投げて落ちた紙を拾い上げる。キョロキョロと辺りを確認すると、幸い人影はなく誰に見られていなかったようだ。



「そこで玻璃。特級匠官のオレへの呼び方なんだが」


「はいはい。薫鳳様って呼べってことですよね」


「どうしてそう思うんだ」


「さっき紙にそう書いてたでしょ!」


「まあそれでもいいが、調香室の連中は薫鳳先生と呼んでるな」


「はいはい。薫鳳大先生師匠様」


「茶化すなよ。はいは一回」


「はい、薫鳳先生」


「いいか玻璃。おまえはオレのことを、女を物のように扱っている男と思ってるようだが、オレほど女に優しい男はいない」


「気持ち悪い自慢はやめていただけませんか。皇宮内で嘔吐したら何発の杖刑ですか」


「嘘じゃない。皇宮にいれば嫌でも思い知ることになるぜ。オレなんかとは全然違う、女を物以下に扱う人間が、この国の中枢にどれだけ多いかってことをな」


「……」



 薫鳳の言葉が冷たく心に響く。確かに先日四阿あずまやで見た薫鳳の女性の扱いは、玻璃から見れば自分が気持ちが悪いだけで、相手の女性はむしろ自分から求めていたようだった。だが、この国の高貴な人間にもっと酷い男尊女卑主義の男が多いことは、帝国美術学院時代にも散々思い知らされた。ここはそんな魔窟でもあるんだ、玻璃はそう気を引き締める。


 外朝と内廷を分ける朱雀門は、南大門に比べれば小ぶりだが、それだけに厳戒な警備体制である。だが、薫鳳は軽く通行札を見せただけで門兵たちが最敬礼をする。玻璃の大きな鞄も簡単に調べられただけで通された。


 ここからは内廷。目の前に豪奢な朱雀宮がその姿を表す。この国の限られた一部の人間しか足を踏み入れられない未知の領域。



「どこだろうが関係ない。私は私の仕事をする」



 玻璃は両手で自分の頬をパンパンと張って気合いを入れ、さっさと朱雀宮に入っていく薫鳳の背中を追いかけた。




(第二章へつづく)

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