Nr.1――人形師エルンスト・ヴェーバーの記録――

貴音

第1話

1901.10.15

 人形師エルンスト・ヴェーバー氏のアトリエを訪問。

 小さく、年季の入ったアトリエだが、手入れが行き届いている。薔薇の花々の香りに包まれたそこは、ヴェーバー氏が生前の時のまま時間が止まったかのようだ。

 現在は、アンネリーゼ氏(親族の方だろうか?)がこのアトリエを管理しており、今回の取材に快く応じていただけた。



「大丈夫、怖くない……僕ならできる……」

 深呼吸をし、ノックをしようと年季の入ったドアに拳を近付けるが――引っ込める。そして、栗色の髪をガシガシと掻きながら、気持ちを切替えるようにしばらくドアの前をぐるぐると歩き回り、再び深呼吸……


 記者のカール・ホフマンは、このドアの前でかれこれ十分ほどこんなことを繰り返している。人気のないところだから良いものの、万が一誰かに見られたら警察を呼ばれてしまいそうだ。


「人形師エルンスト・ヴェーバー氏の没後百年を記念した回顧展に我が社が記事を寄稿することになったぞ!今回の取材はお前に任せるよ。独占取材らしいからな、張り切って行ってこい!」


 記者になって数ヶ月。何度か先輩記者の取材に同行し、取材のノウハウがなんとなく理解できた程度……そんな自分に何の前触れもなく編集長がそんなことを言い放った。


 子獅子の如く突然崖から突き落とされたような気分だ……


 しゃがみこみ、何かに八つ当たりをする度胸なんてものはないから地面に向かって唸り声をぶつける。そして、カールは頭を数度ブンブンと振ると勢いをつけて立ち上がった。

 何度目か分からない深呼吸を一度、彼はギュッと目を瞑り、ドアを三度ノックした。

「こんにちはー、モルゲンポスト社です。取材をさせていただきたくて参りました」


 よし、噛まなかったぞ……


 手汗の酷い拳は微かに震え、先程からうるさいくらい早鐘を打つ心臓はそろそろ爆発しそうだ。これは緊張のせい……もあるが、それ以上に別の理由があった。


 時は遡ること、数日前――

「なぁ、ホフマン知ってるか?」

「なんですか?」

 

 ヴェーバー氏の取材に何故か抜擢された翌日、噂好きの先輩記者がご機嫌で話しかけてきた。

「ヴェーバー氏の人形の怖い話」

「っ!?」

「数多くの彼の作品は、今や世界中のコレクターの手に渡ってアトリエに残っているものはほとんどない。だけどな、たった一体だけ、彼の最初に作った人形だけずっとアトリエに残ってるんだ」

「ちょっと、先輩……」

「何人ものコレクターが、その人形を買い取ったが、数日経つ頃には絶対返品されてアトリエに戻ってくるんだってさ」


 勘弁してくれ!


 直属の先輩でなければ、そう言って口に古新聞を詰めていただろう。

 カールは、幽霊や呪い、怨念といった超自然的な存在や現象は一切信じていない――いや、絶対に信じたくないと思っている。


 だってめちゃくちゃ怖いじゃん!!


「所謂、曰く付きってヤツだな……夜な夜な勝手に動きだすらしい。ヴェーバー氏が亡くなってから今もなお、帰ることのない主人を探して彷徨ってるとか――」

 そんな信じ難い噂話を頭から追い出すように、カールはおばあちゃんから教えてもらったうろ覚えの童謡を頭の中で何度も歌った。しかし、その頑張りも虚しく、その噂話を忘れることなく今日という日を迎えてしまったのだ。


 仕事じゃなかったら、今すぐにでも帰っていただろう。そもそも、こんなところに行こうとすら思わない。

「すみませーん、どなたかいらっしゃいませんか?」

 そう言いながら、「誰も出てくるな」と祈るような気持ちで、ドアの向こうに耳を澄ます。


 ネズミ一匹すらいないような静寂。

 多分、誰もいない。


 カールの緊張がふっと解けた。心の中でガッツポーズを決め、踵を返した次の瞬間……


 キィ……


 静かな音を立てて、ドアが開いてしまった。


「……お客様?」


 ヒィッ!?


 ドアの隙間から突然聞こえた少女の声。

 カールは半歩飛び退き、喉元まででかかった悲鳴をなんとか飲み込んだ。

 ドアの隙間に視線をやると、頭ひとつ分くらい低いところから硝子のように澄んだ青灰色の瞳がこちらをじっと見つめていた。


「あっ、えーっと……モルゲンポスト社の記者のカール・ホフマンと申します。人形師のヴェーバー氏について取材させていただきたくて参りました」

「……取材?」

「えぇ、今度開催される回顧展に合わせて彼に関するお話を伺えたらなって思いまして」


 再びの沈黙――

 このまま細く開いた隙間が閉じてしまうかと思いきや、ゆっくりとドアが開く。そして、あの少女は何も言わず、くるりとこちらに背を向けて、アトリエの奥へと足を進めた。


 これはきっと、入ってこいってことだろう……


「……おじゃましまーす」

 恐る恐る一歩踏み出すと、床が大きな音を立てて軋む。ビクンと肩を震わせたカールは、その少女の背を追うように、足早にアトリエへと入っていった。



「どうぞ、こちらへ」

 彼女に言われるがまま、カールはすとんと椅子に腰掛けた。

 アトリエの中は、カールが生まれるずっと前の時代から時間が止まっているようだ。数少ない家具や調度品は古い写真で見たようなものばかり。カチコチと時を刻む時計の音と、窓の外で揺れる薔薇の花々がなかったら、写真に閉じ込められてしまったと勘違いしてしまいそうだ。

 辺りを見回すと、アトリエとして使われていた時の名残りはあるものの、彼の作った「人形」の姿はどこにもなかった。先輩の言う通り、ヴェーバー氏の人形たちは、もうここには残っていないのだろう。


 来客用というよりは、作業用であろう机の上にカタンと一杯の紅茶が置かれた。湯気と共に、不思議とほっとする香りがふわりと広がり鼻腔をくすぐる。

「あっ、ありがとうございます」

「いえ」

「改めて、自分はモルゲンポスト社のカール・ホフマンと申します」

「…………」

 名刺を差し出すと、自分の向かいに座った少女が小首を傾げる。

 自分の手元に視線をやると――彼女に渡すべき名刺にも関わらず、自分の目に正位置で映った。


「っ!?すみません!逆でしたね……」

 彼女は名刺を受け取ると、活版印刷の凹凸をゆっくりと指でなぞった。

「本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます!それで貴女は……」

「私?」

「えっと、お名前は……」

「…………」

 考えるようにじっと黙り込み、彼女はぽつりと呟いた。

「アン……アンネリーゼ」

「アンネリーゼさん」

 カールはふと「変わった管理人がいる」と言っていた編集長の言葉を思い出した。

 彼はポケットから肌身離さず持ち歩いている革表紙のメモ帳と万年筆を取り出し、新しいページを開き、彼女に続けて問いかけた。

「ここの管理人さんですか?」

「……えぇ、そのようなものです」

「お若いのに、すごいですね!」

「そう、ですか」

 そう言って、アンネリーゼは首を傾げた。


 抑揚の少ない声色や、落ち着いた所作。最初、薄暗い玄関で彼女を見た時は気付かなかったが、改めてよく見てみると、どんなに歳上に見積もっても二十代前半くらいに見える。

 暗いブロンドの髪は絹糸のように細く艶やかで、キメの細かい白い肌は陶器のようだ。

 彼女のフリルがふんだんにあしらわれたくすんだ色合いのワンピースは、まるでこのアトリエの一部のように古めかしいデザインだ。しかし、まだあどけなさの残る可愛らしい顔立ちや、彼女の纏う不思議な雰囲気にぴたりと合っている。


 ここまで書いて、ふと我に返りペンが止まった。


「……ホフマンさん?」


 カールは何となく気恥ずかしくなって、今書いた部分を二重線で消しメモ帳のページを捲った。

「あぁ、すみません!つい癖で……えっと、今回アンネリーゼさんに伺いたいことなんですけど……」

 ヴェーバー氏の回顧展のことや、彼に関する記録を探していることを話すと、彼女が何かを決めたように、徐に席を立った。

「どうされましたか?」

「少々、お待ちください」


 この部屋を後にした彼女をしばらく待っていると、コツコツと規則正しい足音が近付いてくる。静かにドアの開く音のした方へ視線をやると、彼女が一冊の古びた冊子を抱えて立っていた。

「お待たせしました」

「これは?」

「あの人――先生の日記帳です」

「っ!こんなに貴重なものを見せていただいてもいいんですか?」

 彼女は何も言わず、こくりと頷いた。

 受け取った日記帳を捲ると、紙からパリパリと乾いた音がする。偶然開いたページにサッと目を通すと、ヴェーバー氏が人形を製作した時の記録や数え切れない程の「失敗」という文字が記載されている。

「……すごい」

 自分が、そして皆が求めていた貴重な記録の数々にカールの喉が鳴った。

「アンネリーゼさんはこれをご覧になったことは?」

 彼女はふるふると首を横に振った。

「私には、読む必要のないものですので」

「こちらの内容を記事に記載してもいいですか?この記録を……いや、彼が遺した言葉を彼のことを知る人たちに伝えさせてください!」

 彼女と視線がぶつかる。祈るような気持ちで、彼女の澄んだ瞳を見つめると、彼女は目を逸らすどころか瞬きひとつせずこちらを見つめ返した。

 カチコチと規則正しい時計の音だけが響く。

 ほんの数秒の静寂。しかし、この数秒が酷く長く感じる。息をすることも忘れて返答を待っていると、彼女がゆっくりと首を縦に振った。

「っ!」

「お願いします」

「ありがとうございます!」



1901.10.17


 日記の記録を開始。

 時間の許す限り要点をここに書き起こしておく。


 彼の「精密な自動人形製作の第一人者」というイメージは晩年の彼の作品によって形作られた印象のようだ。

 膨大な量の日記の中で最古のものが彼が三十代だった頃。この頃は愛玩、もしくは観賞用の人形を製作していた。

 内容はデッサンや、製作に使用した材料が中心。この頃から既に彼の「幻想的な少女」という作風は確立されていたようだ。


 以下詳細……



「おっ!ホフマン、なんか久しぶりだな。進捗はどうだ?」

 数日ぶりに顔を合わせた先輩がポンとカールの肩を叩いた。散々怖い話で脅かしたにも関わらず、心配する素振りなんてものは全く見せない。

「えーっと……鋭意調査中です……」

「鋭意ね……それで、ヴェーバー氏のアトリエはどんな感じなんだ?例の人形は見つかった?」

 心配するどころか、彼はこの状況を面白がっていそうだ。

「そんな怖い人形なんていませんでしたよ。普通の人形すら残ってなかったです。いたのは親切な管理人さんだけです」

「そっかぁ……残念」

「そんなに残念なら先輩が行けばよかったじゃないですか!探せば出てくるかもしれませんよ?僕のことが嫌いで出てこないだけかもしれませんし」

「やだよ。だってそこの管理人って癖が強いらしいし。お前はいいよな~、若いって最強だよ。若いだけで取材レベルがひとつもふたつも下がるんだぞ!」

「?」

「編集長ですら太刀打ち出来なかった彼女を、若さだけで懐柔できちゃうんだから大したもんだよ」

「だけって……先輩ちょっとひどくないですか?」

「じゃあ、経験豊富、黙っていればハンサムな編集長と比べて初見相手に通用するお前の長所って何かあるのか?せいぜい今のうちにいい思いしておけよ」


 そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。


 渋い顔をするカールの背中をバシバシと叩きながら、先輩は一足先に出かけていった。



1901.10.24


 約十年分読了。

 ここまでの記録は初期のものとほぼ変わらず。


 彼が四十五歳の時点で、几帳面につけられていた記録が三年間ほど途絶える。

 記録を再開した頃から、自動人形製作に傾倒し始めたと思われる。(契機は不明。空白の三年間に理由があるのか?)


 時計製作技術の応用

 初期は時刻を告げたり、特定の行動を定時で繰り返したりする単純なものだったが、次第に複雑化。(筆跡の乱れ、専門用語が多く詳細不明)


 「特定の刺激に対する反応」に関する試行が繰り返し行われた形跡→人間の感情を再現しようとしたのか?


 試行が成功すると識別番号「Nr.1」にその結果を反映させていたようだ。


 以下、記録より抜粋……



 カタンという音でカールは我に返った。

「あっ、ありがとうございます」

 膨大な記録で散らかった頭の中をすっきりとさせるような香ばしい匂いが白いカップからふわりと広がる。


 もうこんな時間か……


 懐中時計を確認すると午後三時。アンネリーゼはいつも決まってこの時間に一杯のコーヒーとビスケットを出してくれる。

 始めのうちは断っていたが、何度そうしたところで彼女はやめる気配を見せない。そんな彼女の頑固っぷりに折れたカールは、彼女の好意に甘えることにしたのだ。

 塩味の効いた甘さ控えめなビスケットは、口の中で解けるとバターの香りが鼻へと抜ける。優しく、どこか懐かしい味わいは、集中し、いつの間にか張り詰めていた心身を解してくれた。

 ほっと一息つくと、心と共に不思議と口も軽くなる。日記を読む中で、ここ数日抱いていた疑問がカールの口から零れた。

「人形に……感情って与えられるんですかね?」

「?」

「自分の感情ですらどうやって生まれてるのかよく分からないのに、自分以外にそれを与えようなんて……僕の頭じゃちょっとピンとこなくて……すみません、貴女に聞くことじゃないですよね」

 アンネリーゼは首を傾げ、口を開いた。

「……できますよ」

「っ!?」

「強い光を見て目を瞑る、熱いものに触れて手を引っこめる……感情も、こういった特定の刺激に対する反応のひとつだと考えたら」

「それって、どういう……」

 彼女がカールの隣に腰掛ける。そして、どこか遠くを見つめるような眼差しで、ポツリポツリと言葉を続けた。

「例えば……喜怒哀楽の喜。心拍数が僅かに低下して全身の筋肉が弛緩します。……一方で、怒は、心拍数が急上昇して表情筋などが緊張状態になります。この人間の体内で起きる変化を人形の内部機構で再現すれば、人形に感情を与えることは可能です――理屈上では」

 ゆっくりと彼女の視線がカールへと移る。

 素朴だが、改めてこうして見ると隙がないくらい整っている彼女の顔に思わず息を呑んだ。

「……と、先生が言ってました」

 窓の外の陽光を受けた彼女の瞳が水面のようにゆらりと揺れる。

「アンネリーゼさん、どうして……」

 疑問を言う前に、彼女が首を傾げた。

 カールは何故か言葉を続けることができなかった。



1901.11.01


 読了


 彼の試行は、彼が六十歳で亡くなる直前まで記録されていた。

 数え切れない程のそれらは、小さな成功を積み重ね、着実に完成に近付いていた。

 ひとつひとつの人間の感情を再現し、特定の条件下において適切な反応を表出させることはできたようだ。


 しかし、そこにヴェーバー氏が本当に求めていた、人形そのものの「気持ち」はあったと言えるのだろうか。



 最後のページまで目を通した日記帳をパラパラと捲る。

 自分のメモ帳を読み返し、ペンをくるりと一回回す。そしてカールは最後の行に書き足した。

 

 ――世界中のコレクターの手に渡った自動人形は全て彼の試行を繰り返す中で生まれた試作品

 ――では、その試作を行う中で、彼の求めた「完成」に最も近かったNr.1は何処へ?


 人形の現在の行方を記録したページを日記と照合したが、その人形だけは、結局行方どころか現存しているかどうかも分からなかった。


 ――アトリエを彷徨う「最初の人形」の噂はここから生まれたのか……


 そう追記したものの、カールはすぐにその部分を破り捨て、残りのコーヒーを一気に煽った。

「これじゃあ、オカルト記事じゃないか!」

 材料が多いだけに、記事をどうまとめるか方向性が決まらない。

 頭をガシガシと掻きながら、唸っていると、どこからともなく柑橘の香りがする。

「?」

「どうぞ」

「あっ、すみません!急に大きな声を出して」

「いえ」

 空になったコーヒーのカップの代わりに、ピンクの花柄の可愛らしいカップが置かれた。

「ハーブティー……ですか?」

「えぇ」

 口元に近付けると、青みのある爽やかな香りが鼻腔をすっと抜けた。すっきりとした香りに反して、穏やかな味のするそれは、青っぽく微かに甘い後味を残して胃の中へストンと落ちた。


 誰かにこうしてもらうなんていつぶりだっけ……


 自立してからというもの、仕事に必死だったカールの頭に浮かぶのは、田舎にいる家族の顔くらいだ。


 見返りなんてないのに、自分に色々なことをしてくれた家族――


「……お父さん」

「?」

「なんか、お父さんみたいですね。ヴェーバーさんって」

「お父さん?」

「わぁっ!すみません、また変なこと言っちゃって!……でも、ヴェーバーさんがなんかNr.1のお父さんみたいで」


 長年に渡り、皆から愛される人形を作った人形師

 精密な自動人形製作に人生をかけた稀代の技術者


 そして――


 見返りを求めず、己の磨いた技術や、途方もない時間を惜しげも無く注ぎ込み、ある人形に最期までより良いものを与えようとし続けた愛情深い父親


「これだ!」

 カールが徐に立ち上がり、荷物をまとめ始めた。

「ありがとうございます!アンネリーゼさん!今日のところはこれで失礼します。明日、記事の初稿を持っていきますので、良かったら確認してください」

 軽く一礼し、彼はバタバタとアトリエを後にした。



「ホフマン、数日ぶりだな!進捗はどうだ?」

「まずまずです。今日中に初稿を提出できそうです!」

 前回よりも歯切れのいい返事をしたカールを見て満足そうに頷くと、先輩は彼の頭をわしわしと撫で回した。

「さすが、俺のかわいい後輩!年寄りの話し相手をしながらちゃんと仕事もこなすなんてえらいぞ~」

「ちょっと!やめてください」

 先輩に揺さぶられ、思考がまとまらなくなってくる。しかし、カールの中で先輩の言葉が何となく引っかかった。

「年寄りの話し相手?」

「あぁ、もうボケてるから会話ができてるようでできてないし、同じ話を延々と繰り返してるってみんな言ってるぞ。そんな婆さん相手に取材をちゃんと進められてるなんて……ご褒美にチョコレートをあげよう」

「誰ですか?そのおばあちゃんって」

「えっ?あのアトリエの管理人のことだよ。シュティル通りのマルタ婆さん」

 わざとらしい泣き真似をフッとやめた先輩が、キョトンとした顔でカールを見つめた。


 カールは思わず首を傾げた。



1901.11.02


 記事の初稿完成

 ヴェーバー氏に挨拶と報告をしておきたくて、彼の墓を訪れる。


 彼の墓の隣に小さな墓があった。


 ヘレン・ヴェーバー

 1770.05-1786.12


 ヴェーバー氏の娘か?←日記の欠落した三年間と関係が?

 彼の自動人形の製作は娘の死がきっかけか

 ※要確認



 街路樹の葉をさらっていく、冷たい風が吹き抜ける。

 赤くなった指先を擦り合わせ、カールは急ぎ足でアトリエに向かって歩みを進めた。


 アンネリーゼさん、気に入ってくれるかな?


 薄らと汗の滲む手を握り、古びたドアを三度叩く。

 最初、散々躊躇していたのが嘘みたいに、彼の動作に迷いはない。

「こんにちはー!モルゲンポスト社のホフマンです!」

 ドアの向こうに耳を澄ますが、何も聞こえない。

「アンネリーゼさん?記事の初稿ができたので持ってきました!」

 いつもなら、彼女の規則正しい足音が聞こえてくるはずなのに……

 恐る恐るドアノブに手をかけると、カチャリと静かな音を立ててドアが開いた。

「アンネリーゼさん、上がらせていただきますね」


 時計の音すら聞こえない静寂――

 聞こえるのは、自分の足音だけだ。


 アトリエ中を探しても、誰もいない。


 そして最後のドア……いつもカールが作業していた部屋のドアを開けるがアンネリーゼの姿は見当たらない。

「アンネリーゼさん?」

 部屋中をくるりと見渡す。

「?」

 窓際に置かれた小さな椅子がふと目に止まった。

 いつもそこにある、誰が使うか分からない椅子の上に、今日は誰か――いや、「何か」が座っていた。


 暗いブロンドの髪

 青灰色の瞳

 古めかしいくすんだ色のワンピース


 控えめだが、愛らしい顔立ちのビスクドールが座っていた。

「あっ……」

 カールの手からカバンが滑り落ち、中身が散乱した。その派手な音で我に返ったカールは窓際へ数歩歩み寄った。


 自分の信じたくない類の出来事が起きているが、不思議なことに怖くはない。むしろ、そんな気はしていた、といった安心感のようなものすら覚えた。

 優しいけれど、どこか近寄り難かった彼女の頭をそっと撫でたカールは、彼女の手に何か紙切れのようなものが握られていることに気付いた。

 彼はその紙片を彼女の手からそっと抜き取り、目を通すと、再び彼女にその紙片を握らせた。

 

 アンネリーゼの眠る部屋のドアの閉まる音が背後で響く。

 カールは静かにアトリエを後にした。


 



 カチ、コチ、カチ……コチ……


 一定の間隔で刻まれる音が、次第に遅くなる。

 アンネリーゼはいつもの時間、いつも通りに月光の差し込む窓辺の椅子に腰を下ろした。

 彼女はワンピースの胸元を寛げ、左胸の小さなゼンマイの巻鍵をゆっくりと巻き上げた。


 カチ、カチ、カチ、カチ……


 自分の終わりが引き伸ばされる無機質な音が部屋に響く。

 年月が経過するにつれて、固くなっていくゼンマイを彼女は時間をかけてそれが止まるまで巻き上げた。


 この行為が習慣になった頃と比べると、もう半分も巻き上げられない。


「……先生」


 自分にこの日課を与えた「あの人」のことを呼んでみる。しかし、いつも通りこの呼びかけに応える者は誰もいない。

 

 早く直してもらわないと

 先生の決めてくれた日課ができなくなってしまう


 先生のことを覚えている者が、いなくなってしまう


 握りしめた紙片……「あの人」が自分に日課を与えてくれた時に見せてくれた紙片をゆっくりと開いた。


――――――――


 お父さんへ


 お友達がほしい。

 ずっと一緒にいてくれて、私の話し相手になってくれるお友達。


           ヘレンより


――――――――


 あの時の彼の言葉を、今でも覚えている。


「アン。あの子は……ヘレンはもういないけど、私の話し相手になってくれないか?」


 あの時の息遣いも、いつもより少し早い鼓動も、抱きしめてくれた彼の体温も覚えている。


「先生……」


「お父、さん……」


 だけどもう、ゼンマイを巻き直す必要はない。


 アンネリーゼはゆっくりと目を瞑った。



 フリードリヒ・シュナイダーは、手塩にかけて育ててきた後輩が提出した完成稿を一読し、思わず舌を巻いた。

「ホフマン……」

「なんですか?」

「初稿を丸ごとボツった時はどうなるかと思ったけど、お前……やればできる子だったんだな」

「子って、僕は大人ですよ!」

 そう言って、唇を尖らせた彼がこれを書いたのが未だに信じ難い。


 正直、色々噂の多い人形師の回顧展の記事にしては地味だ。

 ヴェーバー氏の半生や、彼の作品の変遷がよく纏まっている。おそらく、ここまで詳細に彼のことが記されている読み物は現地点では、これ以外存在していないだろう。

 しかし、とにかく地味だ。


 巷で話題の噂のひとつやふたつ取り扱えばいいものを……もったいない。


「本当にいなかったのか?主を探して彷徨う曰く付き人形……」

「だから、いませんでしたよ。そんな怖い人形なんて」

「誰の手にも渡ってない隠された人形も?」

「なかったです!じゃあ、僕は行きますね」

 そう言って、彼はデスクの荷物を全てカバンに詰め込んだ。

「……ホフマン、本当に辞める気か?」

「えぇ、やりたいことができたので」

「そう言われちゃ、止めるに止められないな。せいぜい達者でな」

「はい」

「たまには帰ってこいよ。飯くらいは奢るからさ」

「もちろんです!先輩、色々とお世話になりました!」

 ゼンマイ式のおもちゃみたいに勢いよく頭を下げたカールは、編集室を後にした。



1902.03.19


 今日から新しい環境での生活が始まる。

 これからは、誰の力も借りられない。自分の力だけでやるしかない。


 だけどそれでいい。


 誰にも見つけてもらえない「誰か」の話を僕は知りたい。そして伝えたい。

 何のしがらみもなく、ただそこにある人々の気持ちに寄り添える記者に僕はなりたい。



 書いたものの、思わず消したくなるような、むず痒くなる決意表明。

 ここに来るまでに、幾度となくそうしたい衝動に耐えながら読み続けたカールは大きく深呼吸をした。


 小さな薔薇の花弁の押花で作った栞をメモ帳に挟む。

 けたたましく鳴る発車のベルに背中を押されるように、カールは汽車へと乗り込んだ。

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Nr.1――人形師エルンスト・ヴェーバーの記録―― 貴音 @osushi-oishii

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