恋する獣
蒼機 純
序章 獣
始祖の王。破滅の牙。終わりの影。畏怖を込められた呼び名を持つ獣。
数多の世界を渡り歩き、星と文明に根絶をもたらしてきた一匹の獣は知っていた。
人間ほど欲深く、自らに並び立つほどの傲慢さを持つ獣はいない、と。
脆弱で、短命。しかし、その知力と小さき体に宿る欲は愛を注ぐに値する、と獣は思う。
体に突き刺さった剣の柄を噛み、一気に引き抜く。温かい鮮血が体から零れ出る。だがそれも瞬きする間で塞がってしまう。
床に吐き捨てた聖剣を前足で踏み潰し、刀身は塵となっていく。
獣は笑う。今回の世界は中々に獣の乾いた心を潤してくれたからだ。
両腕を噛み砕かれ、片眼を潰された人間。戦う術を奪われたというのに、獣の前にいる男はいまだに獣に心地よい敵意を向けてくれるからだ。
「聖剣の傷さえも一瞬でっ!?」
『良い一撃だった。六百年ぶりに痛みを感じたからね。誇っていいよ、君』
「くそっ」
『勇者、なのだろう? 言葉が汚いよ?』
喉を鳴らして獣は笑った。間もなく死に絶えるだろう勇者の前に座る。
『我を討つ存在はどの世界にもいない。神さえも我の扱いに困っている。たかが一つの世界で勇者をしている人間如きに我が討たれるはずがそもそもないんだ』
自らの強さ。異常さ。立ち位置は理解している。獣は獣自身のことをよく理解していた。
絶対的強者。だからこそ挑戦は常に受ける。所詮は退屈しのぎの戯れなのだから。
『おや?』
思わず声を出してしまった。驚いたのはいつぶりだろうか?
今にも死を迎えそうな目の前の存在が、その片眼に光りを宿したからだ。
前足を組み、獣は鼻先を男に近づける。間もなく肉塊となる灯火のような生命。獣はその刹那の煌めきを美しい、と思った。
『今回の戯れは実に心が動くね。君、名前は?』
「・・・・・・」
『焦らさないでくれよ? 思わず、噛み砕いてしまいそうだ。我は君がどうしてそんなに希望を抱いているのか興味深いんだ』
「人間を舐めすぎだからだ」
『ほう?』
「人間は想いを繋ぐ。一つ一つの想いが重なり、強固になっていく」
『たかが知れているだろう? 強固になっても、その想いは我には届かないよ』
「届くさ」
口から血反吐を零し、男は口元に笑みを浮かべる。
獣は両目を見開いた。心が震えたのだ。その男の言葉に、獣の感情は揺さぶられる。
「俺の名前はエレン・ヴォーバン。聖剣スーリンに呪われた勇者だ。この魂は聖剣の導きによって朽ちず、紡がれ、世界を渡り、貴様の傲慢を打ち砕く」
『心躍ることを言うじゃないか。エレン・ヴォーバン-―――少し長いね、エレンと呼ぼうか』
獣は口を開ける。愛するに値する人間を生きている内に噛み砕き、自らの体内に取り込みたいと思ったからだ。
『ねぇ、エレン。君は我の宿敵になってくれるのかい? 神さえも見放したこの獣の乾きを癒やしてくれるのかい?』
「――――」
『返事はなしか。焦らす男じゃないか。ふふ。あはははははは』
自らを睨み、口元に不敵な笑みを浮かべて絶命した人間を見て、獣は体を震わせて笑った。
愛おしい。狂おしいほどに愛しい。こんなに自らに向かい合った存在に獣は歓喜する。
この気持ちを何というのだろうか? その肉体を抱き、愛を尽して、愛で。自らの手でめちゃくちゃにしてしまいたい感情。
絶命した人間の体から一筋の閃光が空に向かい、消える。
獣はそれを満足げに見て、愛した人間だった肉塊を丸呑みした。
バリバリ。ゴキ。
骨が砕け、温かい血が口に広がり、心地よい。
咀嚼を終えた獣は赤黒い空へと顔を向ける。次に向かうべき世界、エレンの魂が向かった世界を見据えた。
エレンが再び我に相対するには時間を有する。些か、この体では早めに摘み取ってしまいそうだ。
獣はぺろり、と舌で唇を湿らせた。
『これだけ我を期待させたんだ。満足するまで、我の乾きを癒やしてくれよ?』
獣の体がゴボゴボと隆起し、圧縮されていく。漆黒の毛並みは腰まで届く黒髪になり、スラリと伸びた四肢は純白の肌。切れ長な金色な双眸には熱が帯びる。
人間の女性。生まれたままの姿になった獣はまだその感情をしっかりと認識していなかった。
そう。獣は人間の言葉でいえば【恋】をしていたのだ。
「ふふ。エレン。今行くよ?」
獣は世界を渡る。愛すべき存在が向かった世界へと。
恋する獣 蒼機 純 @nazonohito1215
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