【第13話】心が近付く音。

その日は、あっという間にやってきた。



待ち合わせ場所に行くと、

見慣れた背中がひとつ、先に立っている。


「よっ」


いつもの心地いい声が、直接耳に届く。


『お疲れさま』


そう返した自分の声も、

思ったより近くて、胸が少し騒がしい。



並んで歩く距離は、ほんの腕一本分。

近づきすぎないように、でも離れすぎないように。


無意識に、けれど懸命に、

私は彼の歩幅に合わせていた。


目的地に到着する。



カラオケの部屋は、

思っていたより少し狭くて、そして、思っていたよりずっと静かだった。



扉が閉まる音が、やけに大きく響く。



―― 今日は、二人きり。



その事実が、

部屋の隅々まで、じわじわと染み渡っていく。


緊張を隠すように、私は京介に話しかける。



『CD持ってきたよ。よかったら聞いて』


「おー、サンキュー。聞くわ」


『そういえばさ……』


切り出したものの、

続く言葉が見つからなくて、私は曖昧に笑った。


「なに?」


京介が、覗き込むように聞き返す。


『……野球の調子、どう?』


「まだ調子悪いんよなぁ」



『そっか……

でも、京介らしくやっていけば、絶対大丈夫やけんね』



調子の悪い時、

選手がどんな孤独の中にいるのか。


その壁を越えるまで、どれほど苦しいのか。

そして、それは結局、自分で越えなければならないことも。


私は、痛いほど知っている。


気安く「頑張れ」なんて言えなかった。


ただ、自分を信じてほしい。

あなたなら大丈夫だと。


その願いだけを込めて、

彼の目を真っ直ぐ見て伝えた。



「おう。いつもありがとね」


その言葉が、胸の奥に、静かに落ちていく。


優しい笑顔の奥に、

消しきれない葛藤を見つけて。


今だけは、辛いことを忘れて、

二人でこの時間を楽しもうと、そっと心に決めた。



「なんかさ」



京介が、背もたれに体を預けて言う。



「二人でカラオケ来たのに、

全然歌わんの、俺らっぽいよね」



『たしかに』


思わず笑う。



「電話でも、よくこうなるやん。

話すだけ話して、気づいたら時間過ぎとる」


『うん。で、最後はどっちかが寝落ち』


二人で声を揃えて笑った。


部屋に漂っていた緊張感が、

いつの間にか、すっと溶けていた。


「でもさ」


京介が、ふと真面目なトーンになる。


「大地きっかけやけど、

帆波と会えたこと、感謝しとるばい。

ここまで仲良くなれると思わんかったけんな、最初は」



『そうやんね。

私も、こんなに仲良くなると思わんかった』


少し間を置いて、続ける。



『きっかけもさ、

京介が元カノさんと別れて前に進まんけん

紹介したいって、大地に言われて。


……え、それで私?って思ったもん(笑)』


「あー、そうやったね(笑)」


 

それから私たちは、

いつものように話に花を咲かせた。



沈黙さえも、心地いい。

一曲も歌わないまま、かなりの時間が過ぎていた。



テーブルの上のマイクに、視線が落ちる。


『……ね。そろそろ、歌う?』


「お、やっと?」


京介が、少し嬉しそうに笑う。



「最初、帆波いこ」


京介からマイクを受け取り、曲を予約する。


震える心を隠すように、小さく息を吸った。

やけに緊張して、声がわずかに震える。



その瞬間――

隣から、曲調にまったく似合わない音が聞こえた。



受付で借りてきた、マラカスとタンバリン。

それを手に、やけに真剣な顔でリズムを刻む京介。


その姿が可笑しくて、


でも、それ以上に――


「大丈夫」と言われているみたいで、

一気に胸が温かくなった。


一曲目を終えると、

京介が拍手を送ってくれる。


恥ずかしさを隠すように、すかさず声をかけた。


『ありがとう。

そういえば……今日は盛り上げ隊の勝負もあったね(笑)』


「そうばい。むしろ、勝負がメインたいね(笑)。

じゃあ、次は俺。」



そう言ってマイクを取る彼の横顔から、

私は、視線を逸らせずにいた。


まだ踏み込んでいない。


触れてもいない。



それなのに――


私は、もう気づいてしまった。



この部屋に流れる音よりも、


私たちの心のほうが――


確かに、


もう戻れない距離まで近づく音を立てていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る