そしてルシアンは魔王になる〜辺境騎士が魔王に至るまでの叙事詩〜

山猫計

滅亡編

第1話 辺境の領地

 火花が散った。

 鋼と鋼が噛み合った、その刹那。呆気ないほど簡単に、俺の剣は弾き飛ばされ、宙を一度だけ舞ってから、武闘場の石床を乾いた音を立てて転がった。


「魔術ばかりにかまけてる陰険なハーフエルフが! この俺に一太刀も浴びせられると思うな」


 そう吐き捨てるように言って、男は嫌な笑みを浮かべた。

 練習着姿の騎士――ドラゴ・ヴァンダ。剣を握る手に迷いはなく、その動きには、この城で積み上げてきた年月そのものが滲んでいる。


 武闘場の上座には、玉座代わりの椅子に深く腰掛けた男がいた。

 試合の成り行きを支配するように、冷ややかな視線をこちらへ向けている。

 ――サロード・ヴァンダ。獅子のような男。


「そこまでだ」


 サロード・ヴァンダが手をひと叩きする。

 乾いた音が空気を震わせ、武闘場に張りつめていた緊張が、そこで断ち切られた。


 二人は親子だ。

 サロード・ヴァンダはこの山城を治める領主であり、ドラゴはその嫡子。いずれ剣も領地も、すべてを受け継ぐ男。


「十人目の相手をここまで早く薙ぎ倒すとは、悪くない出来だ。ドラゴ、そろそろ次に戦が起きた時には、指揮でもとってみるか」


 一瞬、武闘場の空気が張り詰める。


 サロード・ヴァンダは、玉座にふんぞり返る暴君ではない。戦の現実を知り、敗北の重さを理解している男だ。その彼が、次の戦を“任せる”と言った意味は重い。


「は!……よろしいのですか父上。つまり、私が指揮官であると」


 ドラゴは一瞬だけ言葉を選び、しかし隠しきれない昂揚を声音に滲ませた。


「ふむ。我が息子のお手並み拝見といこうか」


 サロードは短く笑い、手を組んで頷く。

 そのやり取りを、俺は無様に眺めていた。


 王国から北端。常に雲と霧に閉ざされたルクス山。その頂に築かれたこの山城で、俺はハーフエルフの騎士として暮らしていた。


 名は、ルシアン・ブライト。


 俺はいわゆる「転生者」というやつだ。前世の記憶を中途半端に残したまま、まったく別の世界に放り込まれた。

 世界観にはそれなりに精通しているから分かる。ハーフエルフに剣を握らせるのはどう考えても悪手だ。


 エルフの血は、魔術に通じる。

 それは、異世界では常識に近い基本事項だ。だが、ここでは俺は騎士で、剣を振るう存在として扱われている。


 だから俺は、こっそりと魔術書を集め、独学で魔術を学んでいる。

 とはいえ、騎士としての職務に追われ、思うように魔術の修練の時間は取れない。それに剣技では未だ一度も勝てたことがなかった。


 机に積み重ねた魔術書は、いつも仲間たちの嘲笑の的だった。

 埃を被った背表紙が並ぶたびに、「また卑怯者の道楽か」と肩を竦められる。


 このルクス山では、剣こそが正義であり、腕力こそが誇りだ。

 魔術は、正面から斬り合えない者が頼る裏技――臆病者や欺瞞ぎまんの象徴として扱われている。


「剣を振れ。呪文なんぞ唱えてる暇があったらな」


 そんな言葉が、冗談めかして、しかし本気で投げつけられる。

 笑い声の裏には、「同じ場所には立てない」という無言の線引きがあった。


 それでも俺は、書を閉じなかった。

 剣だけでは届かないものがあると、誰よりも知っていたからだ。


 だから今に至るまで、俺机の上には魔術書が積まれている。

 嘲られ、見下され、それでも。

 俺は黙って頁をめくり続けていた。


 上官にあたるドラゴは俺を見下ろし、蔑むような視線を向けてくる。


「落ちこぼれの汚れたハーフエルフが。そのような軟弱な剣技で、この城の防衛が務まるとでも思っているのか?」


 唾が飛んできて、頬にかかった。

 俺は何も言わず、拳でそれを拭い、ただ笑顔を作る。


「申し訳ございません。汚らわしい血筋柄、どうも剣の才には恵まれないようで。もっと鍛えて参ります」


 ハーフエルフは温厚な種族だと言われている。


 ――違う。

 迫害され、生き延びるために身につけた処世術が、そう見えるだけだ。


 怒りを飲み込み、刃を伏せ、笑うこと。

 それが、俺がこの城で生き残るための、唯一の術だった。



 ――この世界は、荒れている。


 世を統べるはずの王は、もはや王冠を被った置物に過ぎず、その言葉は風よりも軽かった。王都から放たれる勅命は国境に届く前に砕け、世界は刻まれ、裂かれ、無数の小国へと分断されていった。

 秩序は血に塗り替えられ、正義は剣の長さで測られる。


 領主が領土を広げる方法は、ただ一つ。

 戦に勝つこと。

 奪い、焼き、屍の上に旗を立てること。そこでは理念も慈悲も意味を持たない。あるのは、力――それだけだった。


 いわゆる今は、戦乱の世である。


 王国北端の辺境、ルクス山もまた、火の一つに過ぎなかった。

 常に雲と霧をまとい、切り立った岩肌と険しい尾根に守られたこの山は、天然の要塞であり、同時に呪われた境界でもあった。


 そして、海に面した肥沃な地方を支配する一族、ブラックウェル家。彼らにとって、ルクス山は喉に刺さった骨のような存在。この山を越えぬ限り、彼らは内陸へも北方へも勢力を伸ばすことができない。

 だが、山頂に築かれたルクス山城の立地は、戦略的に見て圧倒的だった。狭隘な山道、見下ろす高低差、霧に紛れた防衛線――正面からの攻城戦は、常に攻め手の血を要求する。


 こうして、ヴァンダ家とブラックウェル家の争いは続いた。

 山を攻めるブラックウェル家。

 それを迎え撃つヴァンダ家。


 年を跨ぎ、世代を跨ぎ、剣と槍の音だけが受け継がれていく。

 もはやそれは戦争というより、恒例行事だった。季節が巡れば必ず起こる、血に染まった祭りのようなものだ。誰も終わりを期待せず、誰も勝利を疑わない。ただ、次に死ぬのが誰かを数えるだけ。


 そして俺は、その「祭り」のただ中で生きることになった――


 戦は、今日もまた起きた。


 ブラックウェル家の侵攻。

 山を這い上がる無数の影。鳴り響く角笛。剣と剣が打ち合う金属音、空を切り裂く矢、腹の底に響く大砲の咆哮。

 それらはこのルクス山では珍しい光景ではない。季節の移ろいと同じくらい、繰り返されてきた光景だった。


 ――だが、今回は違った。


 いつもなら、一定の距離でぶつかり合い、消耗戦の果てにブラックウェル軍が退き、こちらは城門を閉ざして終わる。

 それが暗黙の了解であり、両家が無言のうちに守ってきただった。


 しかし、その伝統を塗り替えた者がいた。

 初めて指揮を執った、ドラゴ・ヴァンダだ。


「皆の者、追え!」


 彼は高台に立ち、剣を振り上げる。

 それは武器であると同時に、指揮棒だった。


「追って追って、その背中に剣を立てよ!」


 撤退を始めたブラックウェル軍の背に、その切っ先が突きつけられる。

 一瞬、戦場の空気が凍りついた。兵たちは互いの顔を見合わせ、ためらいを隠せない。


 それも無理はない。

 これは、領主ヴァンダ卿が決して行わなかった判断だからだ。


 この戦は、あくまで“小競り合い”で済ませるべきもの。

 それで済むなら、それに越したことはない。

 我らヴァンダ軍は、この山城に籠もるからこそ鉄壁なのだ。険しい地形、狭い進軍路、霧と雲――すべてが味方をする。

 逆に言えば、この城を離れた瞬間、我らはただの数で劣る軍勢に過ぎない。


 それは誰も口には出さない。

 だが、城にいる者なら誰もが感じている、周知の事実だった。


 だからこそ、撤退する敵を追うのは悪手。

 これ以上の流血は不要であり、火を注げば炎は大戦へと変わる。


 ――この小競り合いが、本当の戦になる。


 それでもドラゴは、剣を下ろさなかった。

 いや、むしろその目は、昂揚に輝いていた。


 俺は知っている。

 ドラゴは、ヴァンダ卿とは違う。

 父が守り続けた均衡よりも、彼は前進を選ぶ男だ。

 保守ではなく、革新。現状維持ではなく、突破。

 彼は野心家だった。


 そして――。


 号令が下りる。

 迷いを振り切るように、兵たちが動き出す。


 ヴァンダ軍は初めて、撤退するブラックウェル軍に向けて剣を振るい、矢を放ち、大砲の火を浴びせた。


 それは、戻れない一歩だった。


 


 戦の後、俺はを任された。

 撤退に失敗し、負傷して動けなくなったブラックウェル軍の兵士を確実に殺す役目。


 追撃戦の裏側で行われる、最も静かで、最も血の匂いが濃い仕事。

 名誉も戦功もない。ただ数を減らすための作業に近い。


 山の中腹は、砲撃の余韻で白い煙が滞留していた。

 硝煙と焼けた土の匂い。湿った血の匂い。

 背を裂かれた兵士が、腹ばいのまま呻き声を漏らし、指先で地面を掻いている。逃げ場などないと理解していても、身体だけが生に縋ろうとする。


 俺は無言で歩み寄り、剣を構え――


 そこで、違和感に気づいた。


 煙の向こう。

 俺より先に、倒れた兵士へ近づいている影がある。


 刃が振り下ろされる。

 迷いのない一閃。短く、正確で、無駄がない。


 おかしい。

 この区域は俺一人に割り当てられている。

 ましてや、我らがヴァンダ軍の兵が勝手に持ち場を越えてくるはずがない。


 距離を詰め、目を凝らして――息を呑んだ。


 それは、ヴァンダ軍の鎧ではなかった。

 ブラックウェル軍の鎧。しかも、下級兵のものではない。

 黒を基調に、赤いマントを背に流した装飾。指揮官級、あるいはそれに準ずる立場の装い。


 そして、その鎧を纏っているのは――少女だった。


 切り揃えられた漆黒の髪。

 煤と血に汚れながらも、造形だけは異様なほど整った横顔。

 戦場には不釣り合いな、白磁のような肌。


 剣を振るう所作は冷酷なほど洗練されているのに、年若い。

 俺は一瞬、現実感を失った。


 地獄の只中に咲いた、一輪の花。

 そんな安っぽい比喩が、頭に浮かんでしまうこと自体が腹立たしかった。


 ――彼女が、こちらを見た。


 ほんの一瞬。

 敵意も驚きもない、ただ事実として俺を認識するだけの視線。


 その直後、彼女は口元を歪め、血を吐いた。

 赤い雫が顎を伝い、鎧に落ちる。


 横腹。

 鎧の継ぎ目が抉れ、内側が焼け焦げている。

 大砲の炸裂に巻き込まれた傷だ。致命傷ではないが、動き続ければ命を削る。


 彼女は一歩、ふらつき、膝をついた。

 それでも剣を手放さないまま、必死に踏みとどまろうとして――


 次の瞬間、力尽きたように、地面へ倒れ伏した。


 煙の中で、戦場の音だけが遠ざかっていく。

 俺は剣を握ったまま、その場から動けずにいた。


 この戦で、俺が初めて“殺す”以外の選択肢を意識した瞬間だった。


 

 

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