人鳥温泉街の逃亡者

高橋志歩

人鳥温泉街の逃亡者

 海田の眼前に広がる空間は黒から白に変わり、青い線や赤い線が複雑な図形を描く。

 それらはしばらく続くと順番に消えていき、チャイム音が聞こえてから、海田は飾り気のない会議室の椅子に座っていた。


 左手の椅子には礼晃一れいこういちがゆったりと座り、薄い茶色のサングラス越しに海田を見た。

「ああ、来たか」

「遅れてすみません。初回ログインのチェックに思ったより時間がかかって」

「大丈夫だ。支部長もまだ前の打ち合わせが終わらなくて外にいる……今日は真面目にスーツ姿だな」

「お偉い人と会う時はきちんとしますよ」

「ネクタイの趣味はいまいちだな。まあ気楽にしてろ。今支部長を呼ぶ」

 礼は手元に向かって何か言い、海田は周囲を見回した。

「最新の会議室は、違和感がほとんど無くていいですね」

「準備とログイン操作が本当に面倒くさい。まあセキュリティ最優先だから仕方ないが」


 ピポーンというチャイム音が小さく鳴り、海田の向かいに一人の女性が出現した。居住まいを正し、丁寧に挨拶をする。

「初めまして、アンドレア支部長。海田誠也かいだせいやです」


 歯切れのいい、はきはきと響く声が答えた。

「よろしく海田諜報員。アンドレア・ポパーです。スミス顧問と礼チーフから話は聞いています」

 海田は新しい支部長を見た。

 長く豊かな赤毛をゆったりとカールさせ、上質で高級そうな深緑色のスーツを着ている。華やかな顔立ちのくっきりした美女だ。しばらく黙って海田を観察してから満足したのか、急にアンドレアの目が輝き同時にふくれっ面になった。


「あーあ、やっぱり面倒くさいわね。お上品な態度なんて5分でも無理よ」

 礼がなだめるようにアンドレアに話しかける。

「初対面の部下にきちんと対応するのも仕事のうちですよ、支部長」

「うるさいわね。スミスの後なんて、もうやりにくくて仕方ないんだから」

 唇を尖がらせるアンドレアを、海田は黙って眺めていた。

「それはそうと海田、私の事はどれぐらい知ってる?」

「支部長にお会いするのは初めてですが、経歴などは把握しています」

「上出来ね。じゃあ私からの面倒な挨拶は無しで。あなた有能だそうだから、月面都市支部の独立計画阻止のためにきっちり働いてね」

 海田は微笑んだ。

「有能かどうかはわかりませんが、努力します」

 ちらりと海田の方を見た礼は、どことなく落ち着きが無い。


 アンドレアは楽しそうに言った。

「経歴といえば、あなた諜報局を辞めて逃げたのに、スミスに首根っこを掴まれて引き戻されたのよね」

 海田は表情を変えず、穏やかに反論した。

「……やりたい事があったので退職しただけです。スミス顧問に引き戻されたのは否定しません」

「やりたい事って、土産物屋の店長とペンギンの世話?」

「そうです」

 海田の答えを聞いて、アンドレアは眉をひそめた。

「ふうん、ずい分と変な方向に転換したのね」

 礼がアンドレアの話に割り込んだ。

「支部長、この後も予定があります。早く海田に用件を伝えてください」

 アンドレアは礼に向かって嫌な顔をして見せてから、海田に言った。


「では、急だけど本日付けの辞令を伝えます。人鳥温泉街にある人鳥土産物屋の2階に中央諜報局日本支部人鳥事務所を新設し、居住者の海田諜報員を所長に任命します。これは正式な辞令です……嘱託報酬の他にこっちの手当てもつけるから、詳細は後で書類を見て」


 しばらくの間、会議室は完全に無音になった。

 さすがの海田も内容の把握に時間がかかり、横目で礼を見ると目をそらされた。

「礼チーフ。今日は新しい支部長との顔合わせだけだと聞いていましたが」

「事情が変わった。私の下で動いてもらう事に変更は無い」


 海田はしばらく黙った。数日前の元旦に礼が突然やって来て、月面都市支部の独立計画を阻止する任務を言い渡され、詳細は来月の支部で開かれる会議で伝えられる予定だった。

 ところが今朝になって、新しい支部長から顔合わせをさせろと突然の呼び出しが来た。どうせ任務に関する事だろうと、仕方なく店を臨時休業にして事前の準備をしたのだった。


 海田は首を傾げた。

「私は管理部門の業務の経験はありません。嘱託の諜報員に過ぎない私に、なぜ所長という役職を?」

 アンドレアは耳を飾るイヤリングを触りながら面倒くさそうに言った。

「あなたが店長の仕事を最優先にさせろと要求するからよ。田舎の温泉地から呼び出したり、遠隔で指示したりって、こっちは面倒で仕方ないのよね。けど書類上でも肩書きを与えて権限と予算を付けておけば、あなたが自分の判断で動いて最低限の責任も取ってもらえるから、こっちの手間が助かるわけ。報告書と帳簿はきちんと提出してよ。星系管理委員会と税務省がうるさいから」


 なるほどな、と海田は考えたが口調は穏やかに尋ねた。

「予定されている業務内容は何でしょうか?」

「あなたが適当に考えて。機密を広めたりしなけりゃ、好き勝手やっていいわよ」

「アンドレア支部長、この場の発言は全て正式な記録になるんですよ」

 さすがに礼が注意したが、アンドレアは知らん顔だ。

「まあそうねえ。あの温泉街、田舎なのにどういう訳か全宇宙征服連盟の日本支部や星系管理委員会の下部組織があるじゃない。あの連中との友好的交渉窓口という事にしておけば?」

 海田は軽く咳払いをした。短気なエーテル所長の怒り顔が今から目に浮かぶ。


「わかりました。その方向で進めます。ですが私が居住している土産物屋の建物は賃貸物件ですが大丈夫なのですか?」

 アンドレアは目を細めて海田を見た。

「表に看板を出す必要なんてないし、ネットワークのみでの活動なら許可は不要よ。設定済の専用の端末を明後日に届けるから。それと土産物屋を借りているのは、地元自治会の所有物件でしょう? どう説明するかはあなたに一任しておくわ。諜報員をやってた事も全然隠してないんだから、今更驚かれないんじゃない」


 今度は海田が目を細めてアンドレアを見た。

「驚きです。本当に、何もかも急に決まったようですね」

「そうよ。今のところ月面都市支部に動きは無いけど、今のうちに対策準備を進める事に急遽決まったのよ」


 海田は小さく溜息をついてから言った。

「アンドレア支部長。この場で、任務について確認させて欲しい事が幾つかあります」

「いいわよ。何?」

 アンドレアは、両手を組み合わせ、真面目な表情を見せた。

「月面都市支部の独立計画を阻止する任務ですが、これは他の支部や諜報員と協力するのですか?」

 アンドレアは少し考えた。

「その可能性は少ないわね。独立計画の情報そのものがスミス顧問からだし、上層部は今のところ日本支部だけに任せるつもりよ。もちろん今後はどうなるか不明だけど」

「長期間の任務になりそうですが、私は礼チーフの元でこの件のみを担当するのですか?」

「そうよ。今は任せられるのがあなたしかいないのよ。何せ日本支部は、再開したばかりで人手が足りなくてね。知っての通り、諜報員の人員補給はひどく難しいし……まあ時々は礼チーフから細かい仕事もいくだろうから、頑張って手当を稼いでちょうだい」

「……わかりました」

「来月スミス顧問から詳細が直接伝達されるまでは、礼チーフと連絡を取りながらあなたの考えで動いていて」


 海田はアンドレアを見ながら、静かに言った。

「了解しました。人鳥事務所の所長を務めさせていただきます」


 

小さなチャイム音が鳴った。海田はゴーグルを外し、他の機器や机の上の装置のスイッチを切った。ネクタイを緩めて背筋を伸ばし、目元を揉む。

 

 支部長と礼が組んで、完全に縛り付けられた。スミスの思惑もあるだろうが。


 アンドレアは、確かに有能で話が上手い。スミスの後継者と噂されるだけある。海田は冷蔵庫を開けると缶ビールを取り出し、一気に飲み干した。

 住み込みで店を手伝ってくれていた友人のギュンターは、海田が手渡したバイト料を受け取って、3日前に出て行った。またいつでも呼んでくれ、と笑顔で言ってくれた言葉が素直に嬉しかった。けれど今後は難しいかもしれない。海田はギュンターがいなくなった部屋を見た。


 ――空っぽの空間は嫌いだ。


 

 アンドレアは少しばかりくつろいだ姿勢で支部長席に座り、小型ディスプレイに表示されたスミスと会話をしていた。

 <海田君は引き受けたんだね。君のアイデアで上手くいったわけだ。さすがだよ>

「ありがとうございます。私としても、海田は確保しておきたい人員です。扱いが難しいかもですが」

 <大丈夫だよ。彼は必ず役に立つ。最高に動かしやすい駒だからね>

「はい」

 <予定通り、来月の会議には顔を出すから後はよろしく。君のご亭主に、とても着易い服だと僕が喜んでいたと伝えておいて。それじゃ>


 映像は切れ、アンドレアは手元のカップから炭酸水を飲んで喉を潤した。

「スミスは、どうして海田をそこまでして捕まえておこうとするのかしらね。いきなり辞められて腹を立ててた癖に」

 デスクを挟んで向かいに座った礼は、目元のサングラスに指を当てた。

「海田が見習いの時から指導してますから、他の人間よりは把握しやすいんでしょう」

「最高に動かしやすい駒、ねえ……そんなに素直に動く駒じゃなさそうだけど」

「任務には忠実ですよ。ご安心を。ともかく、支部長のおかげでこれから海田を思う存分使う事が出来ます。感謝します」

 アンドレアは頬杖をついて、じろりと礼を見た。

「私がやるのはここまでよ。うろちょろされないように、しっかり見張っておきなさい。スミスみたいに迎えに行ったりするのはお断りだからね」

 礼はにっこりと笑った。

「了解」


 海田は服を着替え、缶ビールを片手にぼんやりと窓の外を眺めていた。珍しく何もする気が起きない。

 習慣でディスプレイの地図でペンギンの大福を確認すると、今は和菓子屋「満載堂」の近くにいる。恐らく団体客に囲まれて、愛想を振っているのだろう。ちょうどいい、と海田は思った。

 しばらく散歩をしてから大福を迎えに行ってやろう。海田は防寒着を羽織って1階に下り、横手の戸口から外に出る。冷たい外気を吸うと、頭が少しはっきりした。


 海田はずっと逃亡者だった。


 10歳の時に家族を失い、全ての記憶を失った。失った記憶が戻る事は決してない。両親と兄、親友の記憶。抱きしめていた子犬。

 12歳の時に、地球にいた親戚に引き取られる形で月から逃げた。

 成長し、親戚から海田が死んだ父親の跡を継ぐ事を期待され、防衛大学の医学部に逃げ込んだ。医師を志した訳ではない。ただ逃げた。

 しかし大学も息苦しくなった時、諜報員にならないかと誘われた。ここならば大丈夫だろうと、大学を辞め諜報の世界に逃げ込んだ。

 

 諜報員の世界では、楽に過ごせた。専門知識を学び、訓練を受け、任務をこなし、出会う人間を観察し、陰謀や駆け引きを企むのは面白かった。

 何よりも諜報の世界は、無限の情報の海だった。身体が続く限りは諜報員でもいいと思っていた。しかしやはり駄目だった。

 海田は退職し、諜報員の世界から逃げ出し、人鳥温泉街に逃げ込んだ。


 立ち止まり、遠くに見える山々を眺める。

 のどかな人鳥温泉街も住民の皆も好きだ。あの日ペンギンの大福を守ると誓い、移住してきて土産物屋で暮らすようになって精神的には落ち着いている。けれど……。

 

 諜報員に戻り有能だと言われても、以前と同じような自惚れた愉快な気分にはなれなかった。

 年齢としてはもう30歳を過ぎた。ずっと逃げ続けてきたけれど、もう逃げる気力すら無くなってきたのかもしれない。このまま諜報員として立ち尽くしたまま生きて、死んでいくのだろうか。


 その時、ペンギンの大福の元気な鳴き声が聞こえた。

 そちらを見ると、嬉しそうに海田に向かってテトテトと精一杯の速度で歩いてくる。海田の胸の奥が暖かになった。

 そうだ、せめて大福が予定されている新しい動物園で幸福になるのを見届けるまでは、この場所にいよう。後、2年か3年か。大福と並んで歩きながら、海田は改めて心の中で誓った。


 ――諜報員の自分に何があっても、ペンギンの大福だけは必ず守る。

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人鳥温泉街の逃亡者 高橋志歩 @sasacat11

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