第3話 流行り病
医局の門をくぐると、薬草の匂いと雑多な足音が辺りを満たしていた。調薬棚の前で何人もの医者や宦官が行き交い、帳面に目を走らせたり薬を包んだりしている。
そんな中を一嵐は身をくねらせてすり抜けた。
目的地は医局の最奥、扉のない襖の向こう。
薄暗い空間の中央に据えられた机の奥では、男が一人、煙管を手にして座っていた。宦官の多分に漏れず肉付きが豊かであり、官服がぴったり肌に張り付いている。
煙をまとっているその姿はまるで獏のようである。
「おや、これはこれは、配達人殿」
名を
「どうも。少しお時間いただいても?」
「ええ、ええ。構いませんとも」
喉の奥を鳴らすように笑いをこぼしつつ、崔狗は煙管を机に置いた。
「品物がないようですが、何用で?」
「お察しかと」
「ふむ。……外では幽霊騒動とやらが巻き起こっているようだ」
一嵐が切り込むより先に、崔狗の方が話を始めた。一嵐は慎重に言葉を重ねる。
「あなたにも手紙が届いたと聞きました」
「ええ。今朝のことです」
「……中身を聞いても?」
一嵐が用心深く問うと、崔狗は思いのほかあっさりとうなずいた。
「構いませんよ。どうせ隠しきれる類の話でもなし。ただ、現物は刑部に回収されてしまって、ここにはありませんが」
崔狗はそう前置きをし、煙管を一吸いしてから手紙の内容を流れるように語った。
「『お前が犯した罪を私は知っている。お前が私を殺した。赦しを乞え。懺悔せよ』とな」
一嵐は顎に手を当てた。
(中身もしっかり幽霊を演じているな……)
ただの小手先の脅しではない。犯人には相当強い感情が渦巻いているようだ。
「私には何のことやら。こちとら人の腹は開けても、心の中までは診られませんのでね」
肩をすくめて崔狗が笑った。帝をも巻き込む騒動の渦中にいるというのに、崔狗のまなざしには煙のような不明瞭さが立ち込めている。
一嵐はその目を観察しながら問いかけた。
「先月亡くなった、林翆という下女のことを聞いても?」
崔狗の動きがほんのわずかに止まった。煙管の火種がじり、と音を立てる。
「さて、それは医療記録に属する話ですので」
「もう死んでいるのに?」
「だとすれば、なおさら慎重に扱わねばなりませんなあ」
「しかし、その林翆が手紙を送ったとされている。そうなれば事情は変わるのでは?」
「死者は死者です。筆を執ることはないし、ましてや配達を頼むなど笑止千万でしょう」
一嵐は目を閉じ、こめかみを指で押さえた。
崔狗の言い回しはいつもこうだ。肝心な点では煙に巻き、言質を与えず、真実の在りかをうやむやにしてしまう。
どうすればこの曲者から情報を引き出せるかと考えあぐねていると、崔狗は再び煙管を手にし、先端を一嵐に向けた。
「私から言えるのは一つ。林翆という下女は死んだ。それだけです」
それだけ告げて、崔狗は煙管を口に戻した。部屋に再び煙と薬の匂いが立ち込める。
「……どうも。手間を取らせました」
これ以上問うても何も出てこないだろうと判断した一嵐は一礼し、医局を後にした。
(医者がだめなら、あとは……)
一嵐はちらりと太陽を一瞥した。やや日が傾きつつある。
「間に合うな」
一人でつぶやくと、一嵐は配達用の倉庫に向かって駆け出した。
◇◇◇
品物を両脇に抱え、持ちきれない分は頭の上に。それでいてひょいひょいと軽快に駆けていく一嵐を最初は目を丸くして見ていた下女や宦官たちであるが、三か月もたてば見慣れたらしい。今となっては道を開けてくれるようになった。
まあ、変人認定されて単に避けられている可能性もあるが、それならそれで好都合なので良しとしよう。
「お届け物です」
戸を叩くと、届け先の妃の代わりに下女が顔をのぞかせた。朱玉屏のようにわざわざ応対する妃は稀であり、普通はこうして専属の下女が対応する。
「ああ、配達人さん。お疲れさま」
「どうも」
受け渡しの手続きをしつつ、一嵐は何気ない風を装って探りを入れた。
「体調に変わりはないですか」
「ええ、大丈夫だけど、どうして?」
「最近、ちょっとした病が流行っているそうでして。先月も流行っていたものだとか」
すると下女は、ああ、と思い出したようにうなずいた。
「先月は下女が何人か亡くなったのよね。薬がなくなったとかで」
一嵐はぴくりと眉を動かした。薬がなくなったというのは初耳だ。
「それはかわいそうに」
「ええ……あ、そういえば、噂の林翆って子も薬をもらえなくて亡くなったそうよ。親しくしていた子がひどく取り乱していて、可愛そうだったわ」
林翆、の名に一嵐は口元を隠して口角を上げた。
(やはりこういう情報は下層の人間に聞くに限るな)
市井でも、知りたい情報は商人より浮浪者の方がよく知っていた。もっとも、彼らの場合は娯楽のためではなく、生きるために情報の網を張り巡らせているわけだが。
一嵐は笑みを消すと、相変わらず素知らぬ風を装って答えた。
「へえ、そうだったんですか。それならお医者様に手紙を送ったのもうなずけますね」
「まあ、正直、逆恨みにも思えるけれど……はい、どうぞ」
妃と下女の名前を書いた紙を受け取る。これを配達記録と突き合わせてようやく一つの配達が完了する。配達人が品物を盗まないようにするための措置らしいが、あいにく一嵐は宝飾品やら化粧品屋らに興味はないので、ただ七面倒なだけだ。
「では、今後ともご贔屓に」
一嵐が礼を言いつつ立ち去ろうとすると、下女が手を伸ばして引き留めた。
「あ、ちょっと待って。これを
そう言って一通の封書を差し出す。普段なら一も二もなく引き受けるところだが、この度はそうもいかなかった。
「……幽霊からの手紙じゃないでしょうね」
「え?」
下女はぽかんと口を開いて一嵐を見つめると、途端に口元を押さえて笑い出した。思わず眉根にしわが寄る。
(笑い事じゃないんだけどな)
下女はひとしきり笑ったあと、封書を一嵐の手に乗せた。
「大丈夫。これは私のところの妃さまが緋月蓉さまに宛てたものよ」
「はあ……ならいいんですが」
一嵐が渋々封書を受け取った。
念のために確認する。紙の質感、宛先、差出人。どれも例の手紙とは違う。
ほっと安堵の息を吐くと、下女は再びくすりと笑った。
「……なにか」
「意外だったの。あなた、幽霊とか信じなさそうだから」
一嵐は黙って肩をすくめた。まさにその幽霊のせいで殺されそうになっているなどと、言ったとしても信じてもらえないだろう。
「……では、確かに引き受けました」
影が長くなりつつあるのを確認した一嵐は、一つ頭を下げて背を向けた。
(それにしても、薬がなくなったとはな)
崔狗はそんなこと一言も口にしていなかった。まさか本当に知らなかったなどということはないだろう。知っていて黙っていたのだ。
きな臭いな、と一嵐は西日の影に覆われながら思う。
薬が不足した結果、治療を受けられなかった下女が亡くなってしまった、というのは十分に起こりうる話だ。隠す必要のある話とは思えない。
その裏には何かが、おそらく帝にかかわる何かが隠されている。
「思いのほか深い沼にはまったなあ……」
一嵐はつぶやいたが、その目の底には好奇の光が宿っていた。
(まったく、抜け出すのが惜しいくらいだ)
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