後宮配達人は秘め事を運ぶ
輪目洒落
第1話 死者からの手紙
「もう流行っていないのよね、こういうの」
訳知ったような顔で言いながら、目の前の妃は布にくるまれた小箱を卓に投げ置いた。
妃の名は
だが、なんでも市井で腕を鳴らす豪商の娘であるらしく、身なりは身分不相応に華やかである。ふっくらした唇に真っ赤な紅。扇子を振る手元には金の鈴がぶら下がり、振るたびにしゃらりしゃらりと無駄に鳴る。
市井で散々もてはやされたであろう容姿は決して悪くないものの、粒ぞろいの後宮では下から数えた方が早いというのも納得である。
朱玉屏はふくよかな頬を少ししかめると、扇子を口元に添えて
「もっと早くに届けてくれればよかったのに。それが配達人の仕事でしょ」
配達人、という言葉に、一嵐は思わず表情をひきつらせた。
もともと市井の人間だったのが、なんの因果か後宮専属の配達人として登用されて今日で三か月。とっとと逃げ出したいという思いは募るばかりである。
(女っていうのは本当に面倒くさい)
自身も女でありながらそんなことを思うのは、後宮の澱んだ空気を目の当たりにしたからである。
煌びやかな宝飾品、柔らかな微笑。その裏には鋭い棘が隠れている。
一嵐はそうと分からないように溜め息を吐き出すと、布を開いて小箱を差し出した。
「一度ご覧になってはいかがでしょうか」
「必要ないと言っているのに」
朱玉屏は眉根を寄せたが、別に拒否はされていないだろうと判断した一嵐は遠慮なく蓋を取った。
彼女が注文した品、もとい小箱の中身は一対の翡翠の耳飾り。色、艶、ともに一級品。青みがかった緑の石が陽に透け、細工も精緻。造り手の腕もまた一流だ。
「大変すばらしい細工かと」
「ええ、そうね……」
朱玉屏が考え込むように扇子を揺らし始める。
(靡いたか?)
心変わりして受け取ってくれるのではないか、と一嵐は期待を膨らませたが、現実はそう単純ではない。
「……分かったわ」
朱玉屏はにこやかに微笑むと、小箱を手にとって一嵐の手に押し付けてきた。
「私はもういらないから、あなたにあげる。お代も気にしなくていいわ」
まるで夕餉の残りでも渡すような口ぶりだが、中身は超上質の耳飾りである。一嵐は目を白黒させて小箱を突き返した。
「いや、いただけません」
「いいから、いいから」
やたら手首の力が強く、朱玉屏はぐいぐいと押しつけてくる。
結局、押し問答の末に小箱は一嵐の手に収まることとなった。立場上は下女に近い一嵐が、妃である朱玉屏相手に強く出られないことを知っての暴挙である。
(これだから女は……)
一嵐が心の中で嘆いていると、満足げにしていた朱玉屏は思い出したように袖口を探った。
「そうだ、お礼に見せてあげる。いま流行りの香よ」
なんのお礼だよ、と胸の内でぼやく一嵐をよそに、朱玉屏が自慢げに手にしたのは手のひらに収まるほどの小さな陶器。中から甘ったるい香りがふわりと漏れる。
「これを焚けば、帝にお呼ばれするって話よ」
「はあ」
一嵐は半眼で応じた。
確かにここ最近、後宮では通称『帝呼びの香』が流行っている。
だが一嵐の鼻は利く。ろくでもない品ということは、結果を聞かずとも分かる。
「……やめた方がいいと思いますよ。銭をどぶに捨てているようなものです」
「もう、せっかく教えてあげたのに」
怒ったような口調で言いつつも、朱玉屏はご機嫌だった。流行り物さえ手元にあれば満足する女である。
彼女が噂で注文を入れては放り出すのはこれが初めてではない。香に耳飾り、扇に彩筆、先月などは金糸で刺繍した枕まで買い込み、『これを抱いて寝れば、夜に帝が尋ねてくる』と言っていた。
結果は聞いていないが、まあ察するに難くはない。
「もし欲しかったら分けてあげるわよ」
「いえ、結構です」
一嵐はにべもなく断り、朱玉屏の前を辞した。
部屋を出るとようやく空気が軽くなった。秋の気配が香の煙の奥からかすかに漂い、風に乗って庭の紅葉が揺れる。
鼻先に漂う甘い香りに鼻をひくつかせながら、一嵐は小さく笑った。朱玉屏をはじめ妃たちは知る由もないだろうが、後宮に出回っている香はどれも眉唾物ばかりだ。
市井で衆目に晒せないような品ばかり運んでいた、元運び屋としての経験則である。
(こいつは珍しく本物のようだけど)
手の中で小箱を転がしながら廊下を折れると、視界が一気にざわめいた。
夕刻、後宮はさながら蟻の巣である。明かりが落ちる前に仕事を片付けようと、あちこちで下女たちが行き交い、布をたたみ、荷を運ぶ。宦官たちは大声で指示を飛ばし、誰がなにをどこへ持って行っただの、あれがこれが足りないだのと喚いている。
これでは蟻の方がマシかもしれない。
そんな喧騒の中、一嵐はするりするりと身を躱しながら、ようやく自分の部屋へと戻った。夕焼けが格子から差し込み、部屋に長い影を伸ばしている。
だが、扉の前で一嵐は足を止めた。
濃い影の中、一人の女が佇んでいた。その姿は影の中でぼんやりと浮かんでおり、目を凝らさないと輪郭がはっきりしない。
(生きてるのか?)
思わずそう疑ってしまうほどに女は瘦せ細っていた。肌は死人のように青白く、質素な衣は擦り切れ色褪せている。
その姿を見れば、誰もが幽霊と見紛うだろう。怪力乱神の類を信じない一嵐でさえ、幽霊の言葉が脳裏をよぎったほどだ。
「……あなたが、運び手様ですか」
黙ったままの一嵐にしびれを切らしたか、女の方が口を開いた。その声は乾いてひび割れ、深い井戸の底から響いてくるように冷たい。
「そうですが」
一嵐が短く答えると、女は細い腕で一通の手紙を差し出した。
「これを、
手紙を受け取る前に、一嵐は一歩だけ後ずさった。女の顔はやはり骨のように白く、やつれているとかそういった言葉では説明がつかない。
(……まさかね)
一嵐は手紙を受け取った。
「呉順殿ですね。分かりました。預かりましょう」
女は一嵐の言葉に頷くこともせず、すっと踵を返して去っていった。まるで影のように、足音さえ残さない。
女が角を曲がった後、ふと好奇心に駆られて角を覗きこんだが、そこにはもう誰もいなかった。
(……一日の終わりに嫌なものを見た)
一嵐はため息をつくと、預かった手紙に視線を落とした。表には『呉順様』と細い字で書かれ、裏には女の名前が書かれている。
「
聞いたことのない名前だ。まあ、三千人もの女官や宦官がひしめき合っているこの後宮において、聞いたことがある名の方が少ないのだが。
一嵐は鼻を鳴らすように笑うと、部屋のろうそくに火を灯した。
◇◇◇
翌日、一嵐はまだ日が昇りきらないうちに宦官の詰所に足を運んだ。日が昇ってしまうと、宦官たちは後宮中に散らばってしまい、とてもではないがその中から一人の宦官を探し出すなどできはしない。
砂漠の中から針を探すようなもの、もとい、後宮の中から尋ね人を探すようなものである。
「呉順殿はいらっしゃいますか」
入口の近くにいた宦官に声をかけると、宦官は面倒くさそうに詰所の奥を指さした。
その先にはまだ年若い宦官が身支度をしていた。宦官というのは月日を重ねるにつれ丸くなっていくものだが、まだ宦官になって日が浅いのか、どことなく男らしさを残している。
一嵐が近づいていくと、呉順は眉をぴくりと動かして一嵐を見下ろした。
「へえ、運び手っていうのは妃限定じゃないのか」
「ええ、その通りです。だからこの配達は無給ですよ」
妃や官人が頼んだ品物の配達に関しては一嵐に給金が入るが、一嵐が個人的に引き受けた品物に関しては奉仕活動、つまるところタダ働きである。
それでも頼まれると引き受けてしまうのは、できるだけ女の敵をつくりたくないからという、ただそれだけの理由だった。
「それは悪いことをしたな。……で、私に届け物か? なにかを頼んだ記憶はないが」
「昨日、あなたに、と」
そう言って、封筒を差し出す。呉順は訝しげに受け取り、筆跡を眺め、封に記された名を読んだ。
そして、その瞬間、まるで雷に打たれたように身を震わせた。
「林翆……!? 嘘だ、あれは……」
ぶるぶると唇を震わせる呉順に、一嵐は眉をひそめる。
「ご存知ですか?」
「知ってるも何も……あれは、もう……」
言葉が詰まった。呉順の顔色がみるみる蒼くなっていく。
「あれは死んだんだ。先月、流行り病で……」
呉順の震える息遣いが耳朶を揺らす。
「まさか、ゆ、幽霊……」
手紙を握りしめるその手は死人のように白い。
対して、一嵐は短く鼻を鳴らした。
(幽霊が手紙を書けるものか)
そうでなければ、今ごろ墓場は手紙だらけだろう。
手の込んだ悪戯をする奴がいたものだ、と一嵐は他人事に考えた。
この時はまだ、自分が巻き込まれる羽目になるとはつゆほども思わずに。
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