第5話 男飼 4

 その後、数日が過ぎて、秋祭りが始まる前日になろうというのに、ゆかり姉さんからの連絡は全然なかった。ほっとしたような、残念なような、複雑な心境だ。


 下手に首を突っ込むとひどい目に合いそうな気もするし、でも知りたいし。

 結局ゆかり姉さんも諦めたのだろう。今更どうなる事でもないと。

 また様子を身に行ってみようと、下校準備をしていたら、隣の席の亜由美が話しかけてきた。


「ねえ、もう男飼来てるみたいだよ。見に行ってみない?」

 そうだった。明日からの祭りに向けて、村はすでに準備完了してる。


 男飼も来てる頃なのだ。

 行ってみたいのは山々だったけど、どうせ中には入れてもらえないのだ。


「止めとくわ。それよりゆかり姉さんの事が気になるから」

 私の言葉に亜由美はあっさり引き下がる。

 亜由美も一緒にゆかり姉さんの家に来ないかなと思ったけど、反対のことを言ってきた。


「じゃあ私は他の子を誘って男飼に行ってみるよ、ミチルも気が変ったら来てみてよ。私達ももう15なんだから、興行前なら中を見せてくれるかもしれないよ。オンってどんな動物なのか、早く見てみたいもんね」

 カバンをひょいと持ち上げて、亜由美は背を向けた。


 うっそうとした森の中にある学校を出て、斜めから来る木漏れ日を浴びながら川沿いの小道を歩いていたら、だんだん胸騒ぎがしてきた。


 あの時あれだけ意気軒昂だったゆかり姉さんが、そう簡単に諦めるとは思えないのだ。

 でも連絡がない。

 ひょっとして村長にばれてお仕置きされたのかもしれない。


 村で掟を破るような事をした人は、その罪の重さに応じて様々な仕置きをされる。

 軽いもので鞭打ち10回とか、20回。木に吊るされて三日間飲まず食わずというのもある。


 それ以上の仕置きもあるけど、最近そんな罰を受けた人は居ないから、私は見た事がない。

 ゆかり姉さんも村長の怒りをかって鞭打たれたのかも。

 それならそれがニュースにならないのは不思議だけど、ゆかり姉さんからの連絡がないのは背中やお尻が痛くて外に出れないからと考えれば辻褄が合いそうだ。


 薬になりそうな葉を摘んでいこうかとも思ったけど、まだそうと決まったわけじゃないし、遅くなるから止めておこう。

 秋の日が傾き周囲が橙色に変る。燃えているかのような景色の中、小川の横に木造の小さな家が見えてきた。


 まだ家に入る前から、私にはその家が無人だというのがわかった。

 中で空気が動いてないし、熱量も感じられない。

 でもとりあえず中に入ってみよう。他人の家に勝手に入るのはまずいけど、ゆかり姉さんが心配だ。


 事が事だけに、村長に相談するのもはばかられるし。

 扉の鍵はかかってなかった。ますます怪しい。自分の意思で出かけたのなら鍵くらいかけていくはずだ。



 薄暗い家の中は予想通り無人だった。先日来た時と同じ、紅茶の匂いがした。

 でも奥に行くとまるで違ってた。中が荒らされてるのだ。


 棚の本なんかは全部ひっくり返されて、部屋中に灰色の本や緑色の蛙の置物や赤い茶碗等が転がっていて、足の踏み場も無いくらいだった。


 息を呑んで部屋の中を見まわしてると、後ろの方に人の近づく気配がした。

 家の外でこっちを伺ってるみたいだ。


 私は音を立てないようにして、裏口から外に出た。雑草の茂みに隠れるように背を丸めて小走りにそこを離れた。


 向かうのは男飼の場所だ。

 亜由美と落ち合う事にしよう。男飼がすべてのキーワードを握ってるように感じられる。

 ありえない事だけど、ゆかり姉さんがそこに捕まってるような気もしていた。

 

 男飼の場所に行ってみると、ちょうど亜由美たちが的屋のおばさんと交渉してるところだった。

「駄目だ駄目だ、子供には見せられないよ。さっさとお帰り」

 でも、交渉は難航してるみたい。亜由美と、その友達二人はハエを追っ払うみたいに追い返されている。


「あ、ミチル」

 亜由美が私に気づいて走りよってきた。


「やっぱり無理みたい。本当にケチなんだから」

 亜由美は唇を尖らせて言った。


「当たり前だよ。ただで見せてくれるわけないじゃない」


「じゃあ、お金払えば見せてくれるかな」

 お金払ってまで見たいのかしら亜由美は。ちょっと引きそうになった。

 そんなこと考えてると、的屋のおばさんが表情を変えて言い出した。


「あ、あんた、ミチルちゃんって言うんだ。かわいいね。おばさんも見せてやりたいけどね。掟があるからねえ」

 言い回しが少し勿体をつけてる。妙な感じだ。


「しかし、まあ興行前だし、オンを見るだけなら許してやってもいいよ」


「ええー、さっきと違うじゃない、さっきは絶対駄目だって言ってたのに、わかった。ミチルがかわいいからそんな事言うんでしょ、でも駄目よミチルを口説こうとしたって、ミチルは姉さん達のアイドルなんだから」

 亜由美の言葉に、的屋のおばさんは、ばれちゃったかーってふざけてるけど、やっぱり変だ。何かわざとらしい。


 入らないほうが良い。私は亜由美の腕をとって、もう暗くなるから帰ろうって言ったけど、亜由美は予知の力が弱いのか、せっかくだから見て行こうってさっさと塀の中に入っていった。


 ほかの二人もそれに習って男飼の敷地に足を踏み入れた。

 怖い。なんだか急に怖くなってきた。ゆかり姉さんの部屋の惨状が頭の中で渦を巻く。


 でも、亜由美たちをここにおいて帰るわけには行かないから、すくみそうになる足を無理やり動かして私は男飼の地に入った。

 塀の中に入ると、まず空気の匂いが違っていた。

 汗臭く垢臭い。どろどろした臭気が充満している。


 閉ざされた空間と言うわけでもないのに、周囲の景色の色さえ違って見える。

 入り口近くにプレハブ小屋が並んでいるのは、幼い記憶どおりだった。

 そしてその奥に、昔小夏姉さんが出てきた倉庫がやはり記憶どおりに建っている。



「プレハブ小屋はオンと交わる場所さ。あんたたちも中学生ならその辺はわかってるんだろ。明日の夜は男飼デビューの姉さんたちとかわいそうなオンたちの悲鳴でうるさいだろうな」

 的屋のおばさんは私たちを先に歩かせて、倉庫の前まで来ると早足で前に回ってきた。


 おばさんが倉庫の扉に手をかける。亜由美たちは皆、期待と不安のまなざしで、その手元を見つめてる。

 それが開かれると、今まで見たこともなかったオンが現れるのだ。

 私たちの未来を握ってる決定的な存在なのにずっと秘密にされてきた、その実態があらわになるんだ。

 ギギイときしむ音がして、鉄の扉がゆっくり開いた。


「すごい。檻がたくさんあるね」

 亜由美が最初に倉庫に入った。おばさんが入り口の横に立って、あとの二人を招き入れる。

 最後に私が入るのをためらっていたら、おばさんのごつい手に肘をつかまれて引っ張られた。


「ほら、見るのなら早くしておくれ、えさの時間になってしまうからね」

 獣臭のつよい倉庫の中は薄暗くて、高い位置にある明り取りから夕方の黄色い光が斜めに倉庫の中を走っていた。


 埃の粒子が宙を舞う様は、まるで水の底に沈められた船の中みたいだ。


「キャーあれがオンだよ。うわー毛むくじゃら。気持ち悪いね」

 亜由美たちはひとかたまりになって、一番近くの檻の前ではしゃいだ声をあげている。


 ひとつつばを飲みこむと、私もその横に立った。

 約二メートル四方の檻の中に、二匹の動物が横たわっていた。


 丸まってるから良くわからないけど、両手両足二本ずつ、尻尾のないところも人間とそれほど変わらない。

 でも私たちには無い体毛が、まるで犬のように密生してるし、それに大きさがかなり小さい。

 あの感じなら立ち上がっても身長1メートルくらいだろう。

 子供のオンだというならわかるけど。


「あれは子供なの?」

 単刀直入におばさんに聞いた。


「いや、あれはあれで大人だよ。あれは食用のオンさ。男飼デビュー用さ。詳しいことは教えられないけどね、交わるためのじゃないって事だよ」


「えーあれを食べるの?冗談でしょう」

 横で聞いてた由利が突拍子も無い声をあげた。


 その声に驚いたのか檻の中の2匹のオンが目を開けてこちらを見た。

 すぐに立ち上がって近くにきた。手を差し伸べて、おーおーと唸ってる。


「えさの時間が近いからね。腹を減らしてるんだ。ちょうどかわいい訪問者がきたところだから、あんたたちをえさにしようかね」

 おばさんは私の目を睨んでそう言った。冗談にしても迫力がある。


「うわーあれ見てよ。すごくでっかい」

 亜由美が言ってるのは、オンの股間にぶら下がった性器のことだ。


 毛むくじゃらのオンは当然裸で、立ち上がったオンの股間には優に20センチはあるPがだらんとぶら下がっていたのだ。


「でもPの奥のあれって何かな」

 由利に意見を求められて亜由美が困ってる。

 確かにPの下には見慣れぬボールのようなものがぶら下がっていた。


「あれはKって言ってね。オンの一番重要な器官であり機能であるんだよ。あれがあるからオンはオンであるのさ」

 おばさんが亜由美たちに説明してるとき、私は奇妙な匂いをかいだ。


 シャンプーの匂い。髪の毛の良い匂い。


 これは確かゆかり姉さんの匂いだ。

 私は説明するのに気をとられたおばさんの隙を突いて、こっそり奥の方に移動した。

 


 そこに行くまでにいくつか檻はあったけど、中も見ずに一番奥の檻の前に私は立った。その中に、ゆかり姉さんが捕らえられているのかと思った。


 でもそこに寝てるのはさっき見たオンとはまるで違って、大きな身体をしたオンだった。

 ゆかり姉さんじゃない。


 近くまで来てみるとゆかり姉さんの匂いは嘘みたいに消えて、目の前のオンの体臭がむっと鼻腔をついてきた。

 ゆかり姉さんの甘い匂いとは似ても似つかない、きつい汗の匂いだ。

 さっきのは気のせいだったのかもしれない。


 戻ろうとした時、そのオンが目を覚ました。

 目が合うとオンは不思議そうな顔をした後、大きく吼えて柵の前まで這って来た。


 必死に立ちあがろうとして、出来ないのは何処かに怪我をしてるせい?

 私は恐る恐るしゃがんで、そのオンと目線を合わせた。


 見開かれた目が語る事柄は、さっきのオンたちとは全く別の意味を持つようだ。

 そこには、切なく悲しい光があったのだ。



「まだ居たのかい。お友達はもう帰ったよ」

 おばさんの声が不意に後ろから聞こえてきた。ぞっとして振り返ると、目の前におばさんの毛深い脛が見えた。

 視線を上げると見開かれた青い眼で私を睨んでいた。


「すぐ帰ります。すいません」

 すぐに立ち上がって脇を通りぬけようとした私の腕は、またもおばさんの力強い手に捕縛された。


 クモの巣にかかった蝶の気持ち。


「ちょいと待ちな」

 私の両手首をしっかり捕まえたおばさんが、顔を寄せて私の眼を覗きこんでくる。


 顔をそむける事ができなかった。恐怖で産毛が立ってちりちり感じる。

 おばさんの目の玉がどんどん大きくなる。


 気持ちの悪い笑いを口元に張りつかせたまま、その眼が顔から飛び出すと、とぐろを巻きながら私の口の中に入りこんでくる。

 悲鳴を上げようにもあげきれない。両手はしっかり握られてるし、首を避けようにも体が動かなかった。


 口が大きく広げられて、顎が外れそうだ。喉の奥にねっとりとした冷たい感触がからんでくる。怪物だ。これは……人間じゃない。

 麻痺しそうになった感覚を必死にゆりおこして、眼の前の頭の中に電気ショックを投げつける。


 キンっとなにかが跳ねるような音がしただけで怪物にはまったく効かなかった。


 喉の奥を胃のほうに下がっていくミミズの這うような感触に吐き気がこみ上げる。

 ゆかり姉さんもこいつにやられたんだ。訳も無くそんな確信がわいた。


「おまえのオンナも食ってやる」

 服が引き千切られた。


 おばさんの両手は私の手首を捕まえてるのだ。でも、誰かの手が私を裸に剥いていく。

 見ると、その黒い腕はおばさんの脇の下から生えたもう一組の別の腕だった。

 気が遠くなる。もう駄目だ。


 眼の前の異様な光景に白い霞が降りようとした時、ギャっと言う悲鳴が上がって、私の口の中から怪物の目玉がずるりと飛び出してきた。

 怪物の手が離れた拍子に私は尻餅をついた。


「貴様、この死にぞこないが」

 髪の毛を赤く燃え上がらせながら、怪物は奥の檻の中に立つオンを睨みつけた。


 そして傍に立て掛けてあった鉄の槍を素早く取り上げて、オンを一突きにした。

 槍はオンの胸を貫いた。狭い檻では避ける事もできなかったんだ。


 怪物の方は髪の毛の炎が首まで下がり、あっという間に体全体がオレンジ色の炎に包まれていった。

 断末魔の叫び声をあげながら怪物は崩れていく。随分あっけない燃え方だった。


 オンの方はというと、檻の中のオンは血を吐いていたけどまだ生きていた。

 檻のかんぬきを開けて扉を開く。


 糞尿の匂いを我慢しながらオンの横にしゃがんだ。涙と涎と血でぐしゃぐしゃになったオンの顔はなぜか笑ってるようだった。


「ゆかり姉さんなの?」

 私を助けてくれたこのオンが、なぜかゆかり姉さんに思えた。


 答える力も残っていないオンは、私の額を指差し、次に自分の額を触った。

 おでこをつけろと言ってるようだ。これってもしかしたら脳内データ転送の事だろうか。


 私は体を乗り出してその汚れた額に自分の額を接触させた。

 ひんやりとした石のような額の感触。大量出血で体温がどんどん下がってるんだ。


 脳内データの転送術は、良く知られた術だけど、よほど力の強い人じゃないとできない難しい術だ。

 簡単だったとしてもする人はあまりいないだろう。


 自分のプライバシーが全部筒抜けになる恐れがあるからだ。


 普通は死んでいく母親の遺言を聞くときにたまに実行される事があるくらいだった。

 悲惨なオンに姿を変えたゆかり姉さんの感情が、私の頭の中にじわじわ染み込んでくる。


 でも切れ切れだ。意味不明のイメージが多い。どうしてあんなに綺麗だったゆかり姉さんがこんな姿に変わってしまったのか、一番知りたい事がなかなか伝わってこない。

 ゆかり姉さん、がんばって。


 死に瀕しているゆかり姉さんに私は残酷な激励を送る。

 私の眼からは透明な涙があふれてきて、下になったゆかり姉さんの髭だらけの顔に雫となって何度も落ちていった。



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