白日
@miharu-hongoh
第1話 夏の日
「だからさぁ、もう”雑巾”なんて置いていこうぜ。」
蝉の声があちらこちらから絶え間なく降り注ぎ、アスファルトからゆらゆらと陽炎が立ち昇る灼熱の車道脇の歩道にいた四人の男の子の中の一人が、他の三人に向かって吐き捨てるように言った。
それは祖師谷公園の前にあるバス停で、そこに小学一年生の男の子が四人、バラバラな大きさの紙袋やビニール袋を提げてしばらく前から集まっていた。
バスに乗ってこのバス停に降りた子もいれば、親の運転する車で来た子もいる。
約束の時間に到着するバスは既に行ってしまい、その次のバスまで到着した。
どうやってこのバス停まで来るのかはわからないが、四人は来るはずのもう一人を待って焦れていた。
その来るはずのもう一人を彼らは”雑巾”と呼んでいた。
「でも”雑巾”は和君の家を知らないと思うから一緒に行かないと。」
提げると紙袋の底が地面に付いてしまうから気を付けて持ちなさい。と母親に言われた為に、腕をL字に保って荷物を持っている風間隼人が荷物の重たさに不機嫌になりながらも、イライラして今にも誰かを蹴りそうな清瀬宏に言う。
「置いていこうぜ。」
他の三人も内心はそう思っていた。清瀬はそれを口にしただけだ。
それでも風間隼人の意見も無視は出来ない。
「でも、遅れてくる方が悪いんだから、しょうがないよ。
あんまり遅くなると和君が心配するよ。」
清瀬はこの暑さに耐えきれず、何とかして三人を説得しようとしたが
「”雑巾”と一緒じゃないことを和君になんて説明するの?」
と、汗をかいた白いビニール袋を提げる滝口宗介の指摘に言葉に詰まった。
彼らが「和君」と呼ぶ榊原和幸が、夏休みに入って最初の週末に「お泊り会をするからおいでよ」と誘ったのは五人。
先ほどから一番苛立ちを隠せない清瀬宏と、大きな紙袋を持った風間隼人、風間隼人よりは小ぶりな紙袋だがかなり重たそうな荷物の小島健斗、汗をかいたビニール袋を持つ滝口宗介、そして”雑巾”。
榊原和幸に”雑巾”が一緒じゃないことをなんて説明するのか?と言われて清瀬が言い返せなかったのは、榊原和幸が誰かを置き去りにして来るような行為を嫌うだろうとわかっていたからだった。例えそれが”雑巾”だとしても。
「そういえば、”雑巾”って、なんて名前だったっけ?」
滝口宗介が「さっきから思い出そうとしているんだけど…」と首を捻る。
問われて他の三人も”雑巾”の名前を思い出そうとしたが、誰も”雑巾”の名前をまともに覚えていない。何となく苗字はわかる気がするけど下の名前があやふやだったり、何となく覚えてる気がする苗字も怪しかった。
そもそも”雑巾”を教室で見た記憶があまりない。担任教師の田坂は”雑巾”の机を教壇近くに置き、備品置きにしているくらいだ。
それほど学校にいないのに彼には既に”雑巾”というあだ名は付いている。
誰が言い始めたのかは知らないが、たまに登校してくる時に着ているのは元は何色だったのか想像もつかない汚れたランニングシャツで、上履きはどうしたらそこまで汚れるんだろう?と不思議なくらいに真っ黒だった。
それが古い雑巾みたいだと誰かが言い始めたのだ。
その上”雑巾”からは表現のしようがない体臭が漂い、口からは公園の汚いトイレと同じ臭いがする。
だから、その呼び名はすぐに定着した。
使い古しの生渇きの”雑巾”。
どうしてそんな奴がこの「お泊り会」に来るんだ?と清瀬は腹立たしく思っていた。
だから腹立ち紛れに
「そもそも、なんで”雑巾”が和君のお泊り会に来るんだよ!」
と誰に言うでもなく言い捨てると、その答えを小島健斗が知っていた。
どうやら、担任教師の田坂が榊原和幸に頼んだらしい。
「え~、ほんとに?」
「何、それ?どういう事?」
「なんで先生が、そんなこと和君に頼むんだよ?」
小島健斗が知る範囲では、学校に来ない”雑巾”は友達が出来ない。
それで榊原和幸に仲良くしてあげてくれないかと頼んだという。
「変な話。そもそも、友達がいないのは”雑巾”に問題があるからじゃん?」
「そうだよね、仲良くしたいって思えないし、学校に来なくても心配じゃないし。」
四人はここぞとばかりに不満が口を突いた。
暑いし、荷物は重たいし、約束の時間に間に合うかどうかも心配だし。
そこに更に苛立ちを増幅させるように降り頻る蝉の声と歩道のタイルから立ち昇って来る熱気、納得できない”雑巾”の参加。
清瀬はもう限界だった。
「いいよ、もう行こう!みんなでちゃんと待ったじゃん?
和君だってこれだけ待ったんだからわかってくれるよ。もう行こう!」
そう言うと清瀬は、先頭を切ってバス停の反対側にある公園入口に駆けだした。
榊原和幸の家はこの公園を抜けた向こう側にある坂道を登り切ったところにある。
四人はその坂の上の榊原の家に何度か行ったことがある。
行ったと言っても入口の門扉についたインターホンで和幸を呼び出して一緒に遊びに出かけるだけで、家の中に呼ばれるのは今日が初めてだ。
四人がそれぞれに荷物を提げていたのには理由があった。
その手荷物は彼らの母親からの榊原家への気遣いで、母親達は次回はぜひ自分たちも榊原の家に招かれたいと思っているのだ。
元からこの近隣に住んでいる母親達は、榊原の家の息子が自分の子供と同じ公立校に通うなどと思いもしなかった。
実際、幼稚園は私立大学の幼稚舎だったらしいから、そのまま初等部へ進むと思われていた。ところが何故か、小学校は地元の公立校に入学した。
事情通の地元の年配者によると、榊原和幸の母親が強く希望したらしい。
父方の祖父にあたる榊原和臣と祖母達は反対したらしいが、榊原和幸の母親はそれを押し切って地元の公立校に榊原和幸を通わせた。
どうも榊原和臣はもともとこの嫁も嫁の実家も気に入らなかったらしい。
遡れば末席とはいえ宮家の榊原家と市井の家では釣り合わないと結婚自体も反対していたが、いつの時代の話ですか?と息子に一笑に付されて押し切られたという。
いったい、誰が誰に聞いてきたんだ?というまことしやかな噂話の域を出ない話ではあるけれど、この小学校の6年間は榊原家とお近づきになれる、もしかしたら生涯で唯一無二の機会かもしれないのは確かだ。
時々一緒に遊んでいるのは知っているけれど、今回はもっと親密な友人になれるチャンスだ。ここで上手く立ち回れば私達も榊原の家に行ける。と、彼女達は考えた。
坂道に向かう四人が提げているのは、そういう母親達の欲望なのだ。
そんな事を考えていた母親達だから、本来ならば子供たちを榊原家まで送り届け、榊原和幸の両親にも直接挨拶をしたいと考えていた。
ところが、ここでも”雑巾”がネックになった。
誰も”雑巾”を迎えに行くと名乗り出ず、誰も”雑巾”の家庭と関りたくなかった。
各々の都合の擦り合わせも上手く行かず、結局はバス停まで送り届ける派とバス停まで車で送る派とに別れ、子供達はほぼ自力で榊原家まで行く羽目になった。
母親達の期待と欲望が詰まった手土産を自ら運ぶことになった四人は、この事だけでも”雑巾”の参加が迷惑だった。
その上に待ち合わせの時間に来ない。
荷物の重たさも、夏の日差しの暑さも、母親達に車で送ってもらえば何の問題もない事だったのだと思うと、やはり全て”雑巾”の所為だと恨みがましい気持ちになった。
風間隼人は他の三人よりも大きな紙袋が邪魔をして、道路を渡る時に少し遅れを取った。
ようやく渡り切って、ふと歩道の右側に目を向けると、ゆらゆらと体を揺らしながら登って来る”雑巾”に気が付いた。
歩道は左手から右手に向かって緩やかな坂道になっている。
その坂道をのろのろと”雑巾”がこちらに向かって登っている。
「おい!走れよ!走れって!」
隼人は”雑巾”に向かって大きな声で怒鳴った。
少し先に行っていた三人が、隼人のその声を聞いて歩道に戻って来た。
そして”雑巾”の姿を確認すると口々に「走れ!」「急げ!」と怒鳴った。
「なに、あいつ、歩いて来たの?」
滝口宗介が風間隼人の隣に来て”雑巾”の様子を伺いながら聞いた。
「どこから?」
「”雑巾”の家がどこかなんて知らないよ。」
「確かに、誰も知らないよね。」
風間隼人がそう答えながら「ちょっと気になったんだけど…」と宗介に言う。
隼人は、榊原和幸の家で”雑巾”を何て呼べばいいのかな?と聞いた。
「え?」
宗介は一瞬戸惑った。そう言われれば、そうだ。なんて呼べばいいんだろう?
誰も”雑巾”の名前を知らない。
宗介と隼人は「早く来いよ!」「急げよ!」と”雑巾”に向かって声を荒らげている清瀬の側に行くと「和君の家で、”雑巾”をなんて呼んだらいい?」と聞いた。
”雑巾”を怒鳴ることに気を取られていた清瀬は宗介達の問いにすぐには答えられなかった。
清瀬は四人に散々怒鳴られても相変わらずのろのろと歩いている”雑巾”に向かってもう一度「急げ!」と怒鳴ると公園に向かって歩き出す。
公園に向かって歩き出した清瀬を見て、清瀬を追いかける様に宗介達が後に続いた。
清瀬はしばらく考えながら歩いたが、何をどう考えてもただムカつくばかりだ。
結局、何も思い浮かばず「”雑巾”は”雑巾”なんだから、いいじゃん、”雑巾”って呼べば。」と三人に向かって言った。
小島健斗が「何の話?」と宗介に聞いている。
隼人は「さすがにそれはマズいよ。」と清瀬を諫めた。
宗介から”雑巾”を何て呼んだらいいかって困ってると聞いた小島健斗が
「それなら名前がわからないんだから”ねぇねぇ”とか、”おーい”とかって声をかければいいんじゃない?僕たちだって側にいる時、わざわざ名前を呼ばないじゃん。」
とあっさり答えを出して、他の三人も納得した。
清瀬が「じゃ、そうしよう。」と言った後に公園に向かって駆けだした。
この公園を抜ければ、榊原和幸の家へ向かう坂道は正面だ。
その坂道を登り切れば榊原和幸の家に着く。いくら”雑巾”でも迷わないはずだ。
それに気づいた他の三人も清瀬を追って駆けだした。
四人との距離はあったが、”雑巾”から四人が走っている様子も方向も見えていた。
あとは少しでも早く追いつくだけだった。
“雑巾”は痛い足を抑えながら走り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます