こちら魔王軍司令部。人類の「侵略」を撃退しましたが、歴史書には「人類の勝利」と記述されました。【完結済】
早野 茂
序章:侵略はいつも「防衛」を名乗る
魔王軍司令部の空気は、常に冷やりとしている。
地下深くに設けられたこの部屋には、日の光が届かない。代わりに、中央に鎮座する巨大な魔力駆動の戦術地図が、淡い青色の光を放っている。
その青い光が、今、赤く染まり始めていた。
「――報告を続けます」
通信兵の震える声が、石造りの壁に反響する
「本日未明、聖王国軍および神殿騎士団の混成部隊が、西方国境ラインを突破。現在、我が国の第三農業都市『ベルン』――穀倉地帯の要衝へ向けて進軍中。……敵の公表した声明文が届いています」
私は、通信兵から羊皮紙を受け取った。
参謀長ルクシオン。
それが私の名であり、かつては人間として生きた者の名でもある。
だからこそ、そこに書かれている「人類の論理」が、痛いほどによく理解できた。
「読み上げろ、ルクシオン」
地図の向こう側から、重みのある低い声が響く。
魔王ゼルヴァス。
この国の王であり、私が忠誠を誓う唯一の主だ。
彼は組んだ両手の上に顎を乗せ、赤く点滅する地図上の光点をじっと見つめている。
「はッ」
私は咳払いを一つして、インクの匂いが残る文書を読み上げた。
「『我々人類連合は、大陸西部の安定化および潜在的脅威の排除を目的とし、必要最小限の軍事的対応を実施する。これは侵略ではない。恒久平和維持のための、“魔王討伐のための先制防衛”である』――以上です」
読み終えた瞬間、司令部に奇妙な沈黙が落ちた。
その場にいた魔族の将校たちが、一様に困惑の表情を浮かべている。
彼らの常識において、国境を越えて他国の土地を踏み荒らす行為は、どう取り繕っても「侵略」以外の何物でもないからだ。
だが、私は知っている。
人間という生き物は、自分たちの欲望を「正義」という言葉で包むことに、驚くほど長けている。
彼らが欲しいのは、我々の領土にある豊富な魔力資源と、肥沃な農地だ。
だが、それを正直に言えば強盗になる。
だから「防衛」と言い換える。
言葉の書き換え。
それこそが、人類最強の武器だ。
「……先制、防衛だと?」
魔王ゼルヴァスが、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳に宿るのは、激しい怒りではない。
深く、静かな悲しみだった。
彼は戦術地図に手をかざす。地図の一部が拡大され、現在進行形で焼かれている村の様子が、魔法映像として浮かび上がった。
燃え落ちる家屋。
逃げ惑うオークの農夫たち。
泣き叫ぶ子供を抱えて走るダークエルフの母親。
そして――白銀の鎧をまとった騎士たちは、ただ命令通りに歩を進めていた。
憎しみも、愉悦もない。
ただ目の前の障害物を排除するように、彼らは一糸乱れぬ行軍で、逃げ遅れた民を踏み越えていく。
「我々は、一度でも彼らの土地を侵したか?一度でも、彼らの民を害したか?」
「記録にある限り、過去三百年、一度もございません」
私は事務的に、しかし事実のみを告げた。
「我々は独自の農業と交易で自給自足し、隣人としての敬意を払ってきました」
「だというのに、彼らはこれを『防衛』と呼ぶのか」
魔王の手が、机の上で強く握りしめられた。
革手袋がきしむ微かな音が、沈黙した司令部に響く。
「――それは、侵略だ」
魔王の言葉が、司令部の空気を変えた。
迷いは消え、重苦しい決断の空気が満ちる。
「ルクシオン参謀長」
「は」
「全軍に通達。これより、我々は防衛戦争に突入する。目的は敵の殲滅ではない。あくまで民の避難と、領土の死守だ。……一人でも多く生かして、逃がせ」
私は敬礼し、踵を返した。
背後で、司令部員たちが慌ただしく動き始める音を聞きながら、私は心の中で独りごちる。
(ああ、始まったな)
地図の上で赤く広がる戦火は、血の色によく似ていた。
これは、一方的に書き換えられようとしている歴史に対する、私たちのささやかな抵抗だ。
魔王軍司令部、作戦開始。
正義の仮面の下で、略奪を行う者たちを――迎え撃つ時間が来た。
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