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シーン㉞
人が何かを諦める時に感じるのは「喪失感」だと思っていた。
実際、学生時代はそうだった。
部活の大会で負けた時、受験に失敗した時。
その時でしか得れないものを諦めるしかない。
それゆえの喪失感。
颯太の中で、大人になる瞬間というものがひとつ増えた。
諦める時に感じるのが「喪失感」ではなく、
「妥協」に変わってしまった瞬間。
澪のことを諦めたわけじゃない。
でももし諦めるとして、なにか区切りがあるとしたら何も無い。
強いて言うならば、記憶という繋がりが無くなったこの瞬間なのかもしれない。
今までの大会や受験といった、もう挑戦できないものではなかった。
この先の人生で、一生挑戦することが出来る。
だから諦めるとしたら、それは妥協でしかない。
颯太のスマホにメールが届く。
「末筆になりますが、望月様のこれからのご活躍を心よりお祈り申し上げます。」
最後の文だけ読んでメールを閉じた。
大人になったといっても、喪失感を感じる諦めは経験することになる。
風に煽られる。
かかしだったら、すぐに倒れてしまいそうな風だ。
倒れても起こしてくれる人なんているのか。
自力で起き上がることを覚えるのも大人になるということなのかもしれない。
とりあえずこんなときはあそこだ。
颯太は「カフェ・ドゥ・ソレイユ」に足を運ぶ。
待っていたのはいつも通りマスターと、
そのマスターのいれたコーヒーを嗜む先客だった。
「よお。」
そういって先客はカウンターの隣の席に颯太を誘う。
「宿題の答えを聞きに来た。」
そう言うと先客はマスターの出したコーヒーを颯太に出し直す。
「答えは出てません。」
颯太はコーヒーを飲む。
相変わらず美味い。
「でも何かは出てるんだろ?」
まるで心を読まれたようだった。
この場所でコーヒーを飲みながら心を読まれる。
いつもマスターにされることだ、驚きはしない。
そういえば一ノ瀬はカウンセラーもやってたんだ。
尚更、驚きはしない。
「恋は現在進行形で、愛は過去形。」
颯太は文章ではなく、それだけ答えた。
文章にするまでは答えが導き出せていないから、これは途中式のようなものだった。
「じゃあ、未来は何か。それが分からないから答えが出てないってことか。」
またもや心を読まれた。
颯太はただ首を縦に振る。
「まあいいんじゃないかそれで。」
一ノ瀬はコーヒーを飲み込む。
「俺の答えも言っておこうか。」
「え?」
颯太は思わず声に出ていた。
一ノ瀬はその反応の意味をすぐに理解して、返した。
「この宿題の答えはひとつじゃない。
望月は望月なりの答えを見つけるといい。」
颯太はコーヒーを飲み込む。
一ノ瀬はそのまま続けた。
――――
愛とは自分で貯めることが出来ない。
誰かから貰うことで溜まり、それを受け入れることで大きくなる。
さらにその愛を誰かに与えることで、また誰かの愛を貯めていく。
その愛が枯渇した状態で、他の誰かを愛そうとした時に
その愛は憎しみに変わってしまう。
――――
一ノ瀬の意見を聞き、颯太は理解した。
しかし納得は出来なかった。
それは自分の答えではないし、自分の答えには繋がらないからだ。
一ノ瀬が店を出てしばらく、コーヒーを飲みながら考えた。
何についてかは分からない。
とにかく考えた。
自分の将来のこと。
澪の将来のこと。
2人の将来のこと。
考えても何も見つからなかった。
だからとりあえず外に出てみることにした。
宛もなく歩いた先は病院だった。
分かっていた、ここに来てしまうことは。
澪の病室のドアに手をかけると声が聞こえた。
陽菜と、そして大輔と彩花もいるようだった。
3人とも澪との新しい関係に歩き出していた。
止まっているのは颯太だけだった。
そう思うと、病室のドアから手は離れ、足は屋上へと向かっていた。
病院の屋上。
この場所は苦手だ。
素直になりなさいと言われている気がして、今の自分が嫌になる。
照れくささで言えなかった「ありがとう」
意地で言えなかった「ごめんね」
素直になるというのが、そんな単純な事じゃ無くなったのも大人になったということなのかと颯太は思った。
「はぁ。」
大きなため息を聞いてか、足音が聞こえてくる。
先客が居たのか。
気が付かなかった。
黄昏ていたことへの恥ずかしさと、ポエムなんて読まなくてよかったという安心感がこみあげる。
いや、多分もうすぐ読んでいそうなくらい自分の世界に入り込んでいた。
「何か悩み事かい?」
先客が声をかけてきた。
以前、どこかで聞いた声。
目線を相手の足元から上げるが、胸元あたりで声の記憶が蘇った。
目の前にいたのは、澪の父親だった。
俺は、病院の屋上から、外を眺めていた。もう、諦めるしかないのだろうか。
そこに、澪の父親がやってきた。
「諦めるのか?」
俺は、何も答えられなかった。
「…君以外に、澪を任せるつもりはない」
澪の父親の言葉に、俺は驚いた。あの父親に、俺のことが認められたのか。俺の心は、嬉しさと、安堵の気持ちで満たされた。
その時、リハビリ中に病院の窓から海を見た澪が、静かに呟いた。
「…水族館」
その言葉を聞いたのは、たまたま通りかかった一ノ瀬先生だけだった。
35分の記念日 芒雲 紘真 @nuageharison
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