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シーン⑦
「澪!」
その時、店のドアが勢いよく開き、陽菜が息を切らしながら入ってきた。
「もう! ここにいたの!? 探しちゃったじゃない!」
陽菜は、まるで親に叱られる子どものように、少しだけ不満げな顔で澪に言った。
そして、俺に気づくと、眉間に深い皺を寄せ、鋭い眼差しを向けてきた。
「澪。ここには来たらダメって言ったよね?」
「だって。」
「だって何?」
「食べたかったんだもん。美味しいケーキ。」
そのやりとりを聞いてに颯太は居ても立っても居られなくなってしまった。
「なんでダメなんですか?」
陽菜はさらに眼光を強めた。
颯太は何か罵詈雑言を浴びせられる覚悟をしていたが陽菜はそれ以上何も言わなかった。
「あなた、この後時間ある?」
その言葉に今すぐ答えを出せずにカウンター近くを覗くと
マスターと大輔がどうぞと手を差し伸べていた。
「はい。大丈夫ですけど。」
「なら着いて来て。全部教えてあげる。」
陽菜は「その覚悟があるならだけど。」と付け加えてきた。
最後のひとことに颯太は男として引けないと思った。
颯太が連れて来られたのは病院だった。
そういえば澪の日記にも病院に行くと書いていた気がする。
陽菜はなぜ颯太を病院に連れてきたのか話してはくれなかった。
受付をして呼び出しがあるまで三人は病室で静かに過ごした。
席順は澪、陽菜、颯太という並びだった。
澪は陽菜と先ほどのことで気まずそう、颯太はもちろん陽菜と話すことなんてない。
席順ミスだろ。と気まずい時間を颯太は席順、いや陽菜のせいにした。
「笹川澪さん。」
澪が呼ばれると澪だけが診察室に行く。
陽菜は「来い」と言わんばかりにある場所に向かう。
それはリハビリ室だった。
しばらくすると、澪が先生と一緒にリハビリ室に来る。
リハビリ室では澪はカードのマークを記憶してそれを答えるという治療をしていた。
澪は問題なくカードの内容を当てれていた。
これがなんだというのだ。颯太はもうたまらなくなっていた。
「ここに来たら何が分かんの?」
「あんたってデリカシーないよね。」
颯太の疑問を陽菜は一蹴する。
「まずあのリハビリは日常。特に一日のなかで記憶障害が起きていないかの検査でもあるの。」
「記憶障害?」
そうか、だから俺のことを覚えていなかったのか。
先日のショックから颯太は一気に立ち直ってきた。
「ってことはもう治りかけてるってこと?カードの中身覚えてるみたいだし。」
「いいや。あれは悪化してないかの検査。澪は。」
そこまで言うと陽菜は口をつぐんでしまった。
「彼女は35分しか前日の記憶を引き継げないんだ。」
陽菜の代わりに真実を教えてくれた少し野太くだらけた声は聞き覚えがあった。
「一ノ瀬先生?」
一ノ瀬はこの病院でカウンセリングをしていた。さらには澪はその患者だという。
一ノ瀬は澪の病気について説明してくれた。
彼女の記憶障害は中学時代の事故によって起こった。
事故以前の記憶はそのままあるが、事故以降は記憶が35分しか引き継げなくなっていた。
35分は続けた35分かもしれないし、途切れ途切れの35分かもしれない。
例えば続けた記憶の場合。
アニメが大体30分弱。
ドラマは1時間弱だから半分ほどしか覚えられない。
授業は専門学校で言うと一コマ90分だから一コマの三分の一。
食事も35分くらいとるだろうし。
お風呂も長ければそれくらい。
これらを1日の中でやったとして、このどれかの記憶しかない。
さらには途切れている場合、1日で合計35分かお手洗いに行っているかもしれない。
昨日の記憶のすべてがお手洗いの時間なんてことも。
さらに陽菜も「想像してみろ」と続けた
誰かに会っても覚えていない。
美味しいものを食べても覚えていない。
楽しいことも悲しいこともあった日にも、悲しいことしか覚えていない。
彼女はそんな日々を送っているのだ。
1日の睡眠時間を8時間だとすると、1日の活動時間は16時間。
分に直すと960分。
彼女の記憶に残るには960分の35に残らなければいけない。
「全てを覚えらるわけがない。だからあの子は日記をつけてるのよ。」
陽菜の言葉に、あのこと細かく書かれていた日記の謎が解けた。
でもまだ解けない謎がある。
「35分の価値って?」
陽菜は少し黙って、諦めたように答えた。
「35分に残るまで食べ続ける価値があるってことよ。」
なるほど。この言葉自体の理解より、陽菜の諦めた感じの原因が分かった。
俺のケーキが美味しかったと認めたくなかったのか。と颯太はまず思った。
そして後からじわじわと嬉しさと何か分からないおぞましい感情が浮いてきた。
彼女にケーキを認めてもらえたのは嬉しい。
でもこのおぞましさの原因がすぐには分からなかった。
「分かったでしょ。中途半端な思い出はあの子を苦しめるだけなの。
例えそれほど美味しいケーキに出会ってもあの子の記憶に残るまでは
何千回、何万回とケーキを食べて覚えてない絶望を味わうことになるのよ。」
陽菜は、そのまま澪に構わないで欲しいということと、ケーキを諦めるように説得して欲しいと頼んできた。
一ノ瀬は陽菜のカウンセリングに向かう。
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