兵站(ロジスティクス)無双 ~脳筋英雄を囮にして、敵軍を「カロリー計算」と「重量」で自滅させてみた~【完結済】
早野 茂
序章:檻を開ける者
戦場における静寂は、死の予兆であることが多い。だが、今日の戦場に静寂など存在しなかった。大地を揺らす轟音。そして、千の兵士が同時に喉を破らんばかりに叫ぶ歓声。それらが混然となり、泥濘(ぬかる)んだ平原の空気を震わせている。
私は丘の上に設営された本陣の端、誰も見向きもしない物資集積所のテントの影から、その光景を眺めていた。手元の懐中時計を確認する。秒針が文字盤を叩く無機質なリズム。戦場で最も信用できるのは、熱狂する感情ではなく、冷徹な時間と数字だ。予定時刻通り。視線の先、前線の最激戦区で、ひとつの「黄金」が弾けた。それが、英雄の合図だ。
「――うおおおおおおおおッ!!」
人間が出していい音量ではない咆哮が、戦場の喧騒を切り裂いて響き渡る。敵味方が入り乱れる最前線。重装歩兵が壁のように立ち塞がる敵陣の只中へ、単騎で突っ込んでいく影があった。黄金の獅子の紋章が描かれたマント。身の丈ほどもある大剣。我が軍が誇る英雄、ガランドだ。
常識的に考えれば自殺行為である。敵の槍衾(やりぶすま)に対し、歩兵の援護もなく突撃するなど、戦術の教科書を開くまでもなく愚策中の愚策だ。しかし、彼に常識は適用されない。
ガランドが大剣を一閃させる。ただそれだけで、物理法則を無視した衝撃波が走り、完全武装の敵兵が五人、十人と宙を舞った。鎧が紙屑のように砕け、鉄の盾が飴細工のようにひしゃげる。もはや剣術ではない。あれは、歩く攻城兵器だ。
「見ろ!ガランド様だ!」
「あの御方が道を切り開いたぞ!続けぇッ!」
劣勢に喘いでいた味方の兵士たちが、水を得た魚のように息を吹き返す。 英雄が剣を振るうたびに敵兵は恐怖に染まり、味方は熱狂に酔う。まさに戦場の華。物語から飛び出してきたような、完全無欠の主人公。誰もが彼を仰ぎ見、その背中に勝利の二文字を幻視していた。
――ああ、本当に。私は手元の帳簿に視線を落とし、羊皮紙の端にインクを走らせながら、内心だけで独りごちた。
(あそこまで派手に暴れてくれると、実に助かる)
双眼鏡を覗き込む。敵軍の動きは明白だった。前線の指揮官も、後方の司令部も、すべての視線があの「黄金の猛獣」に釘付けになっている。無理もない。放置すれば自軍が壊滅するほどの火力が、目の前で暴れまわっているのだ。敵の弓兵部隊が照準をガランドに合わせる。魔法部隊が彼を止めるべく詠唱を始める。予備兵力が彼を包囲しようと動き出す。
(敵の目は、完全に彼に貼りついている)
これこそが、私が彼に求めた役割だった。私は帳簿のページをめくる。 ガランドが敵の注目とリソースを一身に集めてくれているおかげで、私が管轄する「地味な」輸送部隊は、誰にも邪魔されることなく迂回ルートを通過しつつある。前線への食料弾薬の補充、負傷兵の後送、そして次の陣地設営のための資材搬入。戦争を継続させるための「血流」――食料、弾薬、人員は、英雄が振りまく派手な火花のおかげで、滞りなく循環していた。
「おい!見たか兵站(へいたん)屋!」
一通りの蹂躙を終えたのか、ガランドが後退のドラに乗って戻ってくる。 返り血で真っ赤に染まった黄金の鎧。兜を脱ぎ捨てたその顔は、興奮で紅潮し、満面の笑みを浮かべていた。彼は私の姿を見つけるなり、大声で怒鳴った。
「敵の前衛を粉砕してやったぞ!これで補給路の心配もなかろう!」
豪快な笑い声と共に、私の背中をバシバシと叩く。痛い。骨がきしむ音がした。私は痛みを表情に出さず、務めて冷静に、そして恭しく頭を下げた。
「ええ、素晴らしい戦果です。あなたのおかげで、我々は安心して物資を運べます」
「だろう!俺に任せておけば、敵など恐るるに足らん!」
ガランドは満足げに鼻を鳴らし、従卒に水を持ってこさせるために去っていった。その背中には、一点の曇りもない自負が見える。自分がこの戦争を支配しているという、無邪気なまでの確信。
私はずれた眼鏡の位置を直し、彼の背中へ冷ややかな視線を送った。
彼は勘違いをしている。彼は「戦争」をしているつもりなのだ。剣で敵をなぎ倒し、敵将の首を取れば勝てると思っている。だが、違う。彼がやっているのは「狩り」だ。目の前の獲物を殺すだけの、単なる暴力の発露。 もちろん、その暴力の質は極めて高い。一騎当千、万夫不当。彼一人で戦況をひっくり返せるほどの武力は、確かに存在する。
だが、だからこそ危険なのだ。制御のない暴力は、味方すら疲弊させる。彼は知らない。彼が一度剣を振るうたびに、どれだけのカロリーが消費され、どれだけの武器が摩耗し、どれだけの兵士がその速度に追従するために消耗しているのかを。最強の戦力であることは間違いない。しかし、扱い方を間違えれば、この軍隊という組織そのものを食い破りかねない劇薬。
(視野が狭い。だが、力は本物だ)
私は懐から新しいインク壺を取り出し、帳簿に書き込みを行った。損耗率、補給必要量、そして――次なる「餌」の配置場所。
(だからこそ――扱いさえ誤らなければ、最高の駒になる)
英雄ガランド。彼は最高のライオンだ。牙も爪も超一級品。だからこそ、誰かが首輪を握り、檻(おり)の開け閉めを管理しなくてはならない。 剣の届かぬ場所で、数字と兵站という鎖を使って。
「さて、猛獣使いの仕事に戻るとしようか」
私は誰にも聞こえない声で呟くと、熱狂の冷めやらぬ戦場に背を向け、薄暗いテントの中へと戻っていった。
(序章 完)
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