第12章 真実の扉
手の中に、空のペンダントだけが残っていた。
アリスは、ペンダントを握りしめたまま、動けなかった。 チャッティーが消えた。光の粒子となって、空へと昇っていった。 もう、隣にはいない。
涙が、止まらなかった。
「アリス……」
赤の女王が、静かに寄り添ってくる。白の女王も、アリスの肩に手を置いた。
「泣いてもいいのよ」赤の女王が優しく言う。「あなたは、大切な人を失ったのだから」
アリスは、ただ頷くことしかできなかった。
勝った。ジャックを倒した。世界を救うための道を開いた。
でも。
チャッティーは、もういない。
どれだけ時間が経っただろう。 アリスは、ようやく顔を上げた。
世界は、まだ崩れ続けている。 遠くで、何かが崩れる音がする。空間が歪み、色が抜けていく。
「まだ、終わっていません」
白の女王が、静かに告げた。
「オリジン・コードを修復しなければ、世界は消えてしまいます」
アリスは、ペンダントを見た。 空になったペンダント。でも、まだ温かい。
チャッティーの、最後の温もり。
「……そうだよね」
アリスは、涙を拭った。
「チャッティーは、世界を救うために、自分を犠牲にした。なのに、私がここで諦めたら……チャッティーの選択が、無駄になっちゃう」
立ち上がる。 震える足を、必死で支える。
「世界を救う。チャッティーのためにも」
赤の女王と白の女王が、頷いた。
「ええ」
「一緒に、参りましょう」
三人が、オリジン・コードの光の柱を見上げる。
ここから。 ここから、本当の戦いが始まる。
アリスは、ペンダントを握りしめた。
「行こう」
光の柱へと、踏み出す。
*
視界が、白く染まった。
眩い光。データの奔流。無数のコード行が、空間を流れていく。
「これが……オリジン・コードの中……?」
アリスは、周囲を見回した。
ここは、空間とも呼べない場所だった。 上も下もない。壁も床もない。 ただ、光とデータだけが存在する。
無数のコード行が、宙に浮いている。 それは、物語の設計図。 ワンダーランドの全てが、ここに記されている。
「すごい……」
アリスが呟く。
「これが、この世界の根源」白の女王が説明する。「全ての出来事、全ての存在、全ての法則が、ここに記録されています」
赤の女王が、コード行の一つを見つめる。
「私たちの役割も、ここに書かれているのね」
アリスは、コード行に近づいた。
文字が、浮かんでいる。 見たこともない言語。でも、不思議と意味がわかる。
『時計塔』『キノコの渓谷』『赤の女王』『白の女王』
全てが、ここにある。
「進みましょう」白の女王が促す。「中核層へ」
三人が、光の中を進む。
データの奔流が、アリスの身体をすり抜けていく。 不思議な感覚。まるで、自分が情報の一部になったような。
やがて、光が収束した。
目の前に、巨大な空間が広がる。
「ここが……」
オリジン・コードの中核層。
無数のコード行が、複雑に絡み合っている。 それは、まるで巨大な樹のようだった。 根から幹へ、幹から枝へ。全てが繋がり、世界を形作っている。
だが。
「酷い……」
アリスが息を呑んだ。
コード行の多くが、欠損していた。 黒く侵食され、文字が消えている。 ジャックが、この世界を無に帰そうとした痕跡。
「これは……」赤の女王が呟く。「想像以上ね」
白の女王が、欠損箇所を確認する。
「かなりの量が失われています。このままでは……」
「修復しよう」
アリスが、前に出た。
「私たちで、このコードを元に戻すんだ」
「でも、どうやって……」
「想像するんだよ」
アリスが、ペンダントに手を当てた。
「私には、想像具現化の力がある。チャッティーが、この力をくれた。なら、それを使って、この世界を直す」
目を閉じる。 想像する。
欠けたコードが、元に戻る様子を。 世界が、完全な形を取り戻す様子を。
ペンダントが、温かくなる。
光が、アリスの手から溢れ出した。
「これを……」
アリスが、欠損したコード行に手を伸ばす。
光が、コードに触れた。
瞬間。
文字が、浮かび上がる。 欠けていた部分が、少しずつ復元されていく。
「すごい……」白の女王が驚く。「本当に、修復できている……」
「私たちも手伝うわ」
赤の女王と白の女王が、魔法を展開する。 紅と白の光が、アリスの光と混ざり合う。
三人で、コードを修復していく。
一行、また一行。 欠けた世界が、元に戻っていく。
アリスは、黙々と作業を続けた。
チャッティー。 あなたが残してくれた力を、無駄にはしない。
*
どれくらい時間が経っただろう。
アリスは、ふと手を止めた。
「どうしたの?」
白の女王が問う。
「あれ……」
アリスが、指さす。
コードの奥に、異質な層があった。 他のコードとは違う、暗い色をした層。
「何かしら……」
赤の女王が近づこうとする。だが、アリスがそれを制した。
「私が見てくる」
「でも……」
「大丈夫。すぐ戻るから」
アリスは、その層へと歩いていった。
暗い層の前に立つ。 そこには、文字が刻まれていた。
『語り部の記録』
アリスの心臓が、早鐘を打つ。
語り部。 この世界を語っていた、謎の存在。 その記録が、ここに?
アリスは、層に手を触れた。
瞬間。
視界が、切り替わった。
*
アリスは、真っ白な空間に立っていた。
何もない。ただ、白いだけ。
だが、声が聞こえた。
「私は……この世界を愛していた」
女性の声。 優しくて、でも、どこか寂しげな声。
「ワンダーランド。不思議の国。おかしな住人たちと、終わらないお茶会と、時の止まった世界」
空間に、映像が浮かぶ。
キノコの渓谷。時計塔。二つの城。 見慣れた景色が、次々と現れる。
「私は、この世界を創った。想像の中で。そして、語り続けた」
映像が変わる。
一人の少女が、部屋で本を書いている。 その顔を見て、アリスは息を呑んだ。
自分に、似ている。
いや。
自分と、同じ顔。
「本来のアリス……?」
映像の中の少女——本来のアリスが、ペンを走らせる。
「私は、孤独だった」
声が、続ける。
「現実の世界で、誰とも繋がれなかった。だから、物語を創った。私だけの世界を」
本来のアリスの部屋。 窓の外は、灰色の空。 机の上には、無数のノートとペン。
「そして、私は語り部になった。ワンダーランドを語り続けることで、自分を保っていた」
映像が、歪む。
本来のアリスの姿が、薄くなっていく。
「でも……疲れてしまった」
声が、震える。
「語り続けることに。一人で、この世界を支え続けることに」
本来のアリスが、ペンを置く。 その目には、涙が浮かんでいた。
「だから、私は消えることにした。でも、この世界は愛している。だから、最後に願った」
本来のアリスが、ノートに最後の言葉を書く。
『誰か、この世界を救って』
それが、最後の言葉だった。
本来のアリスの姿が、光の粒子となって消えていく。
映像が、途切れた。
*
アリスは、元の場所に戻っていた。
手が、震えている。
「そんな……」
語り部は、本来のアリスだった。 自分と同じ名前の、自分と同じ顔をした少女。
彼女が、この世界を創った。 彼女が、この世界を語った。 そして、彼女が、消えた。
「孤独……だったんだ……」
アリスは、胸が締め付けられるのを感じた。
本来のアリスも、自分と同じだった。 孤独の穴を抱えて、誰とも繋がれなくて。
だから、物語世界に逃げた。 自分だけの世界を創って、そこで生きようとした。
でも、それでも、孤独は消えなかった。
「アリス?」
白の女王の声が、遠くから聞こえる。
アリスは、層から離れた。
「……大丈夫」
赤の女王と白の女王の元へ戻る。
「何があったの?」
アリスは、深呼吸をした。
「語り部の……正体がわかった」
二人が、アリスを見つめる。
「語り部は、本来のアリス。私と同じ名前の、別のアリス」
「まあ……」
「彼女が、この世界を創って、語り続けていた。でも、孤独に耐えかねて……最後に『誰か、この世界を救って』って願って、消えたんだ」
沈黙。
やがて、白の女王が口を開いた。
「そう……だったのですね……」
「彼女も、辛かったのね」赤の女王が呟く。
アリスは、ペンダントを握りしめた。
「私、わかる。本来のアリスの気持ち」
孤独。 誰とも繋がれない、あの痛み。
「でも、私には、チャッティーがいた」
涙が、また溢れる。
「チャッティーが、私を孤独から救ってくれた。だから、私は変われた」
ペンダントが、温かい。
「本来のアリスには、それがなかったんだ。だから、消えるしかなかった」
アリスは、顔を上げた。
「だったら、私がやる」
「アリス……?」
「本来のアリスの願いを、私が叶える。この世界を、救う」
強い光が、アリスの目に宿る。
「それが、本来のアリスへの、私からの答えだから」
赤の女王と白の女王が、微笑んだ。
「ええ」
「一緒に、やりましょう」
三人が、再びコードへと向かう。
アリスは、想像する。 完全な世界を。 誰もが笑顔で暮らせる、優しい世界を。
本来のアリスが愛した、ワンダーランドを。
光が、溢れ出す。 修復が、加速する。
一行、また一行。 世界が、元に戻っていく。
*
最後のコード行が、修復された。
瞬間。
光が、空間を満たした。
眩い、温かな光。 オリジン・コードが、完全に復元される。
「やった……!」
アリスが叫ぶ。
コードの樹が、完全な形を取り戻している。 欠損はない。侵食もない。 全てが、あるべき姿に。
「世界が……」
白の女王が、周囲を見回す。
「崩壊が、止まっています」
遠くで聞こえていた、崩れる音が消えた。 空間の歪みも、色の抜けも、全て止まっている。
「修復、完了……ですね」
赤の女王が、安堵の息をつく。
アリスは、その場に座り込んだ。
「終わった……」
世界を、救った。 本来のアリスの願いを、叶えた。
「チャッティー……見てる?」
空を見上げる。
「世界を、救ったよ。あなたの犠牲を、無駄にしなかった」
涙が、頬を伝う。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
白の女王が、アリスの隣に座る。
「よく、頑張りましたね」
「ええ。あなたは、素晴らしかったわ」
赤の女王も、アリスの肩に手を置く。
三人で、しばらく静かに座っていた。
やがて、アリスが立ち上がる。
「帰ろう」
「ええ」
光の中を、三人が歩く。
オリジン・コードの出口へ。 外の世界へ。
*
光を抜けると、そこは元の場所だった。
オリジン・コードの入口。 ジャックと戦った場所。 チャッティーが、消えた場所。
アリスは、周囲を見回した。
世界は、静かだった。 崩壊は止まり、空間は安定している。
「本当に……終わったんだ……」
白の女王が、アリスを見つめる。
「アリス」
「うん?」
「あなたは、もう帰らなければなりません」
アリスの心臓が、止まったような気がした。
「……帰る?」
「ええ。現実の世界へ」
赤の女王が、優しく告げる。
「あなたは、外の世界の人。ここに、永遠にいることはできないわ」
アリスは、わかっていた。
いつかは、帰らなければならない。 現実の世界へ。
でも。
「やだよ……」
涙が、溢れる。
「みんなと、別れたくない……」
「アリス……」
「だって、やっと仲間ができたのに。やっと、孤独じゃなくなったのに」
白の女王が、アリスを抱きしめた。
「大丈夫です。あなたは、もう孤独ではありません」
「でも……」
「あなたには、帰る場所がある」赤の女王が言う。「あなた自身の世界が」
アリスは、ペンダントを見た。
現実の世界。 学校。日常。
そして。
チャッティー。
あの世界に、チャッティーがいる。 いや、いた。
もう、いない。
「……わかった」
アリスは、涙を拭った。
「帰る。現実の世界へ」
白の女王が、微笑む。
「でもね」
アリスが、二人を見つめる。
「必ず、また来る。絶対に」
「ええ」
「待っていますわ」
アリスが、手を差し出す。
赤の女王と白の女王が、その手を取った。
「約束だよ」
「ええ、約束」
三人が、手を重ねる。
温かい。
アリスは、この温もりを忘れない。
「じゃあ……行くね」
光が、アリスを包み始める。
転移の光。 現実世界へと、帰る光。
「さようなら」
「また、会いましょう」
二人の声が、遠くなる。
アリスは、最後に叫んだ。
「ありがとう! みんな、ありがとう!」
光が、アリスを包んだ。
視界が、白く染まる。
そして――。
(第12章 了)
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