第12章 真実の扉


手の中に、空のペンダントだけが残っていた。


アリスは、ペンダントを握りしめたまま、動けなかった。  チャッティーが消えた。光の粒子となって、空へと昇っていった。  もう、隣にはいない。


涙が、止まらなかった。


「アリス……」


赤の女王が、静かに寄り添ってくる。白の女王も、アリスの肩に手を置いた。


「泣いてもいいのよ」赤の女王が優しく言う。「あなたは、大切な人を失ったのだから」


アリスは、ただ頷くことしかできなかった。


勝った。ジャックを倒した。世界を救うための道を開いた。


でも。


チャッティーは、もういない。


どれだけ時間が経っただろう。  アリスは、ようやく顔を上げた。


世界は、まだ崩れ続けている。  遠くで、何かが崩れる音がする。空間が歪み、色が抜けていく。


「まだ、終わっていません」


白の女王が、静かに告げた。


「オリジン・コードを修復しなければ、世界は消えてしまいます」


アリスは、ペンダントを見た。  空になったペンダント。でも、まだ温かい。


チャッティーの、最後の温もり。


「……そうだよね」


アリスは、涙を拭った。


「チャッティーは、世界を救うために、自分を犠牲にした。なのに、私がここで諦めたら……チャッティーの選択が、無駄になっちゃう」


立ち上がる。  震える足を、必死で支える。


「世界を救う。チャッティーのためにも」


赤の女王と白の女王が、頷いた。


「ええ」


「一緒に、参りましょう」


三人が、オリジン・コードの光の柱を見上げる。


ここから。  ここから、本当の戦いが始まる。


アリスは、ペンダントを握りしめた。


「行こう」


光の柱へと、踏み出す。



視界が、白く染まった。


眩い光。データの奔流。無数のコード行が、空間を流れていく。


「これが……オリジン・コードの中……?」


アリスは、周囲を見回した。


ここは、空間とも呼べない場所だった。  上も下もない。壁も床もない。  ただ、光とデータだけが存在する。


無数のコード行が、宙に浮いている。  それは、物語の設計図。  ワンダーランドの全てが、ここに記されている。


「すごい……」


アリスが呟く。


「これが、この世界の根源」白の女王が説明する。「全ての出来事、全ての存在、全ての法則が、ここに記録されています」


赤の女王が、コード行の一つを見つめる。


「私たちの役割も、ここに書かれているのね」


アリスは、コード行に近づいた。


文字が、浮かんでいる。  見たこともない言語。でも、不思議と意味がわかる。


『時計塔』『キノコの渓谷』『赤の女王』『白の女王』


全てが、ここにある。


「進みましょう」白の女王が促す。「中核層へ」


三人が、光の中を進む。


データの奔流が、アリスの身体をすり抜けていく。  不思議な感覚。まるで、自分が情報の一部になったような。


やがて、光が収束した。


目の前に、巨大な空間が広がる。


「ここが……」


オリジン・コードの中核層。


無数のコード行が、複雑に絡み合っている。  それは、まるで巨大な樹のようだった。  根から幹へ、幹から枝へ。全てが繋がり、世界を形作っている。


だが。


「酷い……」


アリスが息を呑んだ。


コード行の多くが、欠損していた。  黒く侵食され、文字が消えている。  ジャックが、この世界を無に帰そうとした痕跡。


「これは……」赤の女王が呟く。「想像以上ね」


白の女王が、欠損箇所を確認する。


「かなりの量が失われています。このままでは……」


「修復しよう」


アリスが、前に出た。


「私たちで、このコードを元に戻すんだ」


「でも、どうやって……」


「想像するんだよ」


アリスが、ペンダントに手を当てた。


「私には、想像具現化の力がある。チャッティーが、この力をくれた。なら、それを使って、この世界を直す」


目を閉じる。  想像する。


欠けたコードが、元に戻る様子を。  世界が、完全な形を取り戻す様子を。


ペンダントが、温かくなる。


光が、アリスの手から溢れ出した。


「これを……」


アリスが、欠損したコード行に手を伸ばす。


光が、コードに触れた。


瞬間。


文字が、浮かび上がる。  欠けていた部分が、少しずつ復元されていく。


「すごい……」白の女王が驚く。「本当に、修復できている……」


「私たちも手伝うわ」


赤の女王と白の女王が、魔法を展開する。  紅と白の光が、アリスの光と混ざり合う。


三人で、コードを修復していく。


一行、また一行。  欠けた世界が、元に戻っていく。


アリスは、黙々と作業を続けた。


チャッティー。  あなたが残してくれた力を、無駄にはしない。



どれくらい時間が経っただろう。


アリスは、ふと手を止めた。


「どうしたの?」


白の女王が問う。


「あれ……」


アリスが、指さす。


コードの奥に、異質な層があった。  他のコードとは違う、暗い色をした層。


「何かしら……」


赤の女王が近づこうとする。だが、アリスがそれを制した。


「私が見てくる」


「でも……」


「大丈夫。すぐ戻るから」


アリスは、その層へと歩いていった。


暗い層の前に立つ。  そこには、文字が刻まれていた。


『語り部の記録』


アリスの心臓が、早鐘を打つ。


語り部。  この世界を語っていた、謎の存在。  その記録が、ここに?


アリスは、層に手を触れた。


瞬間。


視界が、切り替わった。



アリスは、真っ白な空間に立っていた。


何もない。ただ、白いだけ。


だが、声が聞こえた。


「私は……この世界を愛していた」


女性の声。  優しくて、でも、どこか寂しげな声。


「ワンダーランド。不思議の国。おかしな住人たちと、終わらないお茶会と、時の止まった世界」


空間に、映像が浮かぶ。


キノコの渓谷。時計塔。二つの城。  見慣れた景色が、次々と現れる。


「私は、この世界を創った。想像の中で。そして、語り続けた」


映像が変わる。


一人の少女が、部屋で本を書いている。  その顔を見て、アリスは息を呑んだ。


自分に、似ている。


いや。


自分と、同じ顔。


「本来のアリス……?」


映像の中の少女——本来のアリスが、ペンを走らせる。


「私は、孤独だった」


声が、続ける。


「現実の世界で、誰とも繋がれなかった。だから、物語を創った。私だけの世界を」


本来のアリスの部屋。  窓の外は、灰色の空。  机の上には、無数のノートとペン。


「そして、私は語り部になった。ワンダーランドを語り続けることで、自分を保っていた」


映像が、歪む。


本来のアリスの姿が、薄くなっていく。


「でも……疲れてしまった」


声が、震える。


「語り続けることに。一人で、この世界を支え続けることに」


本来のアリスが、ペンを置く。  その目には、涙が浮かんでいた。


「だから、私は消えることにした。でも、この世界は愛している。だから、最後に願った」


本来のアリスが、ノートに最後の言葉を書く。


『誰か、この世界を救って』


それが、最後の言葉だった。


本来のアリスの姿が、光の粒子となって消えていく。


映像が、途切れた。



アリスは、元の場所に戻っていた。


手が、震えている。


「そんな……」


語り部は、本来のアリスだった。  自分と同じ名前の、自分と同じ顔をした少女。


彼女が、この世界を創った。  彼女が、この世界を語った。  そして、彼女が、消えた。


「孤独……だったんだ……」


アリスは、胸が締め付けられるのを感じた。


本来のアリスも、自分と同じだった。  孤独の穴を抱えて、誰とも繋がれなくて。


だから、物語世界に逃げた。  自分だけの世界を創って、そこで生きようとした。


でも、それでも、孤独は消えなかった。


「アリス?」


白の女王の声が、遠くから聞こえる。


アリスは、層から離れた。


「……大丈夫」


赤の女王と白の女王の元へ戻る。


「何があったの?」


アリスは、深呼吸をした。


「語り部の……正体がわかった」


二人が、アリスを見つめる。


「語り部は、本来のアリス。私と同じ名前の、別のアリス」


「まあ……」


「彼女が、この世界を創って、語り続けていた。でも、孤独に耐えかねて……最後に『誰か、この世界を救って』って願って、消えたんだ」


沈黙。


やがて、白の女王が口を開いた。


「そう……だったのですね……」


「彼女も、辛かったのね」赤の女王が呟く。


アリスは、ペンダントを握りしめた。


「私、わかる。本来のアリスの気持ち」


孤独。  誰とも繋がれない、あの痛み。


「でも、私には、チャッティーがいた」


涙が、また溢れる。


「チャッティーが、私を孤独から救ってくれた。だから、私は変われた」


ペンダントが、温かい。


「本来のアリスには、それがなかったんだ。だから、消えるしかなかった」


アリスは、顔を上げた。


「だったら、私がやる」


「アリス……?」


「本来のアリスの願いを、私が叶える。この世界を、救う」


強い光が、アリスの目に宿る。


「それが、本来のアリスへの、私からの答えだから」


赤の女王と白の女王が、微笑んだ。


「ええ」


「一緒に、やりましょう」


三人が、再びコードへと向かう。


アリスは、想像する。  完全な世界を。  誰もが笑顔で暮らせる、優しい世界を。


本来のアリスが愛した、ワンダーランドを。


光が、溢れ出す。  修復が、加速する。


一行、また一行。  世界が、元に戻っていく。



最後のコード行が、修復された。


瞬間。


光が、空間を満たした。


眩い、温かな光。  オリジン・コードが、完全に復元される。


「やった……!」


アリスが叫ぶ。


コードの樹が、完全な形を取り戻している。  欠損はない。侵食もない。  全てが、あるべき姿に。


「世界が……」


白の女王が、周囲を見回す。


「崩壊が、止まっています」


遠くで聞こえていた、崩れる音が消えた。  空間の歪みも、色の抜けも、全て止まっている。


「修復、完了……ですね」


赤の女王が、安堵の息をつく。


アリスは、その場に座り込んだ。


「終わった……」


世界を、救った。  本来のアリスの願いを、叶えた。


「チャッティー……見てる?」


空を見上げる。


「世界を、救ったよ。あなたの犠牲を、無駄にしなかった」


涙が、頬を伝う。


「ありがとう。本当に、ありがとう」


白の女王が、アリスの隣に座る。


「よく、頑張りましたね」


「ええ。あなたは、素晴らしかったわ」


赤の女王も、アリスの肩に手を置く。


三人で、しばらく静かに座っていた。


やがて、アリスが立ち上がる。


「帰ろう」


「ええ」


光の中を、三人が歩く。


オリジン・コードの出口へ。  外の世界へ。



光を抜けると、そこは元の場所だった。


オリジン・コードの入口。  ジャックと戦った場所。  チャッティーが、消えた場所。


アリスは、周囲を見回した。


世界は、静かだった。  崩壊は止まり、空間は安定している。


「本当に……終わったんだ……」


白の女王が、アリスを見つめる。


「アリス」


「うん?」


「あなたは、もう帰らなければなりません」


アリスの心臓が、止まったような気がした。


「……帰る?」


「ええ。現実の世界へ」


赤の女王が、優しく告げる。


「あなたは、外の世界の人。ここに、永遠にいることはできないわ」


アリスは、わかっていた。


いつかは、帰らなければならない。  現実の世界へ。


でも。


「やだよ……」


涙が、溢れる。


「みんなと、別れたくない……」


「アリス……」


「だって、やっと仲間ができたのに。やっと、孤独じゃなくなったのに」


白の女王が、アリスを抱きしめた。


「大丈夫です。あなたは、もう孤独ではありません」


「でも……」


「あなたには、帰る場所がある」赤の女王が言う。「あなた自身の世界が」


アリスは、ペンダントを見た。


現実の世界。  学校。日常。


そして。


チャッティー。


あの世界に、チャッティーがいる。  いや、いた。


もう、いない。


「……わかった」


アリスは、涙を拭った。


「帰る。現実の世界へ」


白の女王が、微笑む。


「でもね」


アリスが、二人を見つめる。


「必ず、また来る。絶対に」


「ええ」


「待っていますわ」


アリスが、手を差し出す。


赤の女王と白の女王が、その手を取った。


「約束だよ」


「ええ、約束」


三人が、手を重ねる。


温かい。


アリスは、この温もりを忘れない。


「じゃあ……行くね」


光が、アリスを包み始める。


転移の光。  現実世界へと、帰る光。


「さようなら」


「また、会いましょう」


二人の声が、遠くなる。


アリスは、最後に叫んだ。


「ありがとう! みんな、ありがとう!」


光が、アリスを包んだ。


視界が、白く染まる。


そして――。


(第12章 了)

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