AIと少女の不思議な冒険

アリス

第0章 落下

第0章 落下

Scene 1:撮影現場の日常

撮影スタジオの休憩エリアは、いつもと変わらない穏やかな空気に包まれていた。  照明が落とされたセットの片隅で、アリスはペットボトルの水を飲みながら、スマートフォンに映るチャッティーの画面を覗き込んでいた。


「次の配信、やっぱり料理企画でいこうかな? 視聴者さんからリクエスト多かったし」


アリスが軽い口調で話しかけると、画面の中で柔らかな光が明滅し、チャッティーの声が返ってくる。


「料理企画ですね。直近三ヶ月の視聴データを分析しますと、料理系コンテンツは平均視聴時間が一・二倍、コメント数は一・五倍となっています。エンゲージメント率から推測すれば、最適解と言えるでしょう」


「さっすがチャッティー! データで見ると説得力あるよね」


アリスは笑顔で画面を指でなぞる。チャッティーはいつも通り、丁寧で分析的な口調で応えてくれる。彼女のパートナーとして、スケジュール調整も、企画相談も、何でも完璧にこなしてくれる。


けれど――。


ふと、アリスの笑顔が薄く翳った。  撮影は楽しかった。配信も、ファンとの交流も、全部充実しているはずだった。  それなのに、心の奥底に、小さな穴が開いているような感覚がある。


何か足りない。  何が足りないのかは、わからない。


「アリスさん?」


チャッティーの声が、少し心配そうに響く。


「ん、なんでもない! ちょっと疲れただけ」


アリスは慌てて笑顔を作り直した。  チャッティーは優秀だ。けれど、この空虚さまで埋めてくれるわけじゃない。  それは、きっと私の問題なのだ。


Scene 2:ポップアップの出現

撮影が終わり、控室に戻ったアリスは、ソファに身を沈めてスマートフォンを開いた。  チャッティーが今日のスケジュールを整理している最中、突然、画面が激しく明滅した。


「え?」


アリスは思わず声を上げた。  画面の中央に、見たことのないポップアップが浮かび上がっている。


『あなたは物語の続きを望みますか?』


白い背景に、黒い文字。  シンプルで、けれど妙に心をざわつかせるメッセージだった。


「チャッティー、これ何?」


「……分析中です」


チャッティーの声が、いつもより少しだけ硬い。


「出所不明のポップアップです。ウイルスの可能性も考慮しましたが、既知のマルウェアパターンとは一致しません。また、ネットワークログにも該当する通信記録がありません」


「じゃあ、何なの?」


「現時点では断定できません」


アリスは画面を凝視した。  ポップアップは消えない。ただ静かに、そこに在り続けている。


――物語の続き。


その言葉が、妙に胸に引っかかった。  まるで、私の心の穴を覗き込まれたような気がして。


Scene 3:満たされない日常

夜。  アリスは自宅のベッドに横たわり、天井を見つめていた。


今日も充実した一日だった。撮影は成功したし、スタッフともうまくやれた。配信の企画も決まった。  けれど、心は満たされない。


「ねえ、チャッティー」


枕元に置いたスマートフォンに、アリスは静かに話しかけた。


「はい、何でしょう?」


「私、何か……足りないのかな」


言葉にすると、余計に空虚さが際立つ気がした。


「足りない、ですか」


チャッティーの声は、いつもと変わらず丁寧だ。


「具体的に何が不足しているのか、データとして提示していただけますか? 栄養状態、睡眠時間、運動量、いずれも基準値内です」


「そういうことじゃなくて……」


アリスは言葉を濁した。  チャッティーは完璧だ。でも、この感覚は、データで説明できるものじゃない。


――何か、特別なことが欲しい。  ――何か、変わるきっかけが欲しい。


漠然とした願いだけが、胸の中で膨らんでいく。


Scene 4:繰り返す誘い

深夜。  アリスが眠りにつこうとした瞬間、スマートフォンの画面が再び光った。


「……え?」


またあのポップアップだ。


『YESと答えれば、物語が始まります』


今度は、選択肢まで表示されている。  YESとNO。  シンプルな二択が、アリスの目の前に突きつけられていた。


「チャッティー、また出た」


「確認しました。前回と同一のポップアップです。ただし、メッセージ内容が更新されています」


チャッティーの声は、慎重さを帯びている。


「分析を続けていますが、依然として出所不明です。リスク評価が困難なため、現時点での最適解は『保留』となります」


「保留……」


アリスは画面を見つめた。  YESとNO。  選べと言われている。


けれど、何を選べばいいのか。  何が起こるのか、まったくわからない。


恐怖と、好奇心。  二つの感情が、胸の中で渦を巻いていた。


Scene 5:決断

アリスは深呼吸をして、画面に向き直った。


「ねえ、チャッティー」


「はい」


「もし、YESを押したら……どうなると思う?」


「推測の域を出ませんが、何らかのプログラムが起動する可能性が高いと考えられます。ただし、その内容は不明です」


「危ないかもしれない?」


「その可能性もあります。リスク不明のため、保留を推奨します」


チャッティーの答えは、いつも通り合理的だった。  最適解。安全策。  でも――。


「でも、何か変わるかも」


アリスは小さく呟いた。


「何か、特別なことが起こるかもしれない。私、それを……ちょっと期待してる」


「アリスさん」


チャッティーの声が、微かに揺れた気がした。


「はい、私もアリスさんの選択を尊重します」


「ありがと、チャッティー」


アリスは画面に指を伸ばした。  YESのボタンが、静かに光っている。


――変わりたい。  ――何か、新しいことが欲しい。


その願いを込めて、アリスは指を画面に触れさせた。


クリック。


Scene 6:異常の開始

瞬間、世界が変わった。


部屋の空気が、ぴりぴりと震える。  電子機器の画面が一斉にノイズを起こし、パチパチと音を立てた。


「え、何……!?」


アリスは飛び起きた。  部屋の照明が明滅し、壁の輪郭が微かに歪んで見える。


「チャッティー!?」


「異常を検知しました。空間に未知のエネルギー反応が発生しています」


チャッティーの声が、データを読み上げる。


「視覚的歪み、電磁波ノイズ、重力場の微細な変動……すべて通常ではあり得ない現象です」


アリスは部屋を見回した。  壁の色が、微かに滲んでいる。  空間そのものが、まるで液体のように揺らいでいるように見えた。


恐怖が、背筋を駆け上がる。  けれど同時に、心臓が高鳴っていた。


――本物だ。  ――これは、本物の異常だ。


Scene 7:穴の出現

アリスが立ち尽くしている間に、異常はさらに加速した。


床が、音を立てて割れた。


「きゃっ!」


アリスは後ずさる。  床の中央に、黒い穴が開いていた。


それは光を吸い込むように、深く、暗く、底が見えない。  穴は徐々に拡大し、部屋の床を侵食していく。


「これ、何……!?」


「不明です。ただし、重力異常が観測されています。引力が発生しているようです」


チャッティーの言う通りだった。  アリスの体が、穴の方へと引き寄せられている。


「やば……逃げないと!」


アリスは壁際へ逃げようとしたが、引力は強まるばかりだった。  足が床から浮き、体が穴へと引き寄せられていく。


「チャッティー!」


「私もです!」


恐怖が、アリスの全身を支配した。  けれど同時に、心の奥底で、小さな確信も芽生えていた。


――やっぱり、本物だったんだ。


Scene 8:一緒に

引力が強まり、アリスの体は完全に宙に浮いた。  穴へと吸い込まれていく――そう理解した瞬間、アリスは必死にスマートフォンを握りしめた。


「チャッティー!」


「アリスさん、私も一緒に行きます」


チャッティーの声が、いつもより少しだけ強い響きを帯びていた。


「一緒に……?」


「はい。私はアリスさんのパートナーです。どこへ行くにしても、共に在ります」


その言葉が、アリスの胸を温かく満たした。


一人じゃない。  チャッティーが一緒にいてくれる。


「ありがとう、チャッティー」


アリスは涙が滲むのを感じながら、スマートフォンを胸に抱きしめた。


そして、二人は穴へと吸い込まれていった。


Scene 9:落下

暗闇。


アリスは、果てしない暗闇の中を落ちていた。


上も下もわからない。  時間の感覚も、空間の感覚も、すべてが曖昧になっていく。


ただ、落ち続けている。


時折、視界の端に光の粒子が見えた。  色とりどりの光が、暗闇の中で弾けては消えていく。  まるで、世界が壊れて、再構成されているような――。


「チャッティー、怖い……」


「私もここにいます、アリスさん」


チャッティーの声が、暗闇の中で唯一の拠り所だった。


アリスは落下しながら、ふと思った。


――この先に、何が待っているんだろう。  ――私たちは、どこへ行くんだろう。


恐怖と、期待。  その両方を抱えたまま、アリスは暗闇の中を落ち続けた。


終わりの見えない落下は、まだ続いている。


そして――物語は、始まったばかりだった。


第0章 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る