第5話
『遊女』と『芸者』。
前者は色を売り、後者は芸を売る──似ているようで、まるで違う世界。
それでも〝お客を喜ばせたい〟って気持ちは、きっとどちらも同じなんだろう。
時が流れて、令和のいまでも、その世界で生きている人たちがいる。
もちろん、遊女じゃなくて、芸者の方だ。
毎日のお稽古で、踊りや鳴り物、唄の練習に励む姿は、どこか昔の映画を観ているみたいだ。
ふく里の姐さんたちもみんな昔に
──俺も、その輪の中にいるんだな……
最初はただ、母さんやばあちゃんが楽しそうに話してた世界を見てみたかっただけなのに。
気がつけば、踊りの所作やお師匠さんの一挙手一投足に惹かれて、今じゃすっかり、こっち側の人間になってしまった。
「中々いい出来だ、やっぱり蘭子さんの血は争えないねぇ」
扇子を開いたり閉じたりする音が、瑠生の胸の奥をいつもざわつかせる。
わざとやっているのか、師匠の癖なのか。
判断できないうちは、完璧に踊れてないってことだ。
「ありがとうございますっ」
正座をして指先を揃え、瑠生は畳に深く頭を下げた。
「瑠生の踊りは美しいけど、下半身が頼りないね。反対に上半身、特に指先の所作はいい。腰をもっと落とす練習をしなさい」
宇多に注意されるのはいつも下半身だ。
前にこっそりスクワットを試してみたけれど、腰を下げるたびに体が揺れて思う通りにできなかった。
「それと、あんたには色気がない。やっぱり中学生にはまだ早いか」
結ったグレイヘアの後毛を整えながら、宇多がスッと立ち上がり、肩越しに振り向く。
その動きのなめらかさに、思わず息が止まった。
体のどこをどう使えば、あんな色気が出るんだろう。
宇多師匠、七十は過ぎてるのに、色っぽいんだよな。それに比べて俺は……
「お師匠さん、その前に瑠生坊は男の子ですよ。もしかして、忘れてません?」
梅ちえに言われ、宇多が今、気付いたように、わざとハッとしたように瑠生を見る。
いや、前から知ってるでしょっ! と瑠生は叫びたくなった。着物だって、男物なのに、と。
「師匠、そのネタ、もう飽きましたよ」
お笑い好きの宇多は、瑠生のダメ出しに面白くなさそうな顔をする。
ウケが欲しいなら同じネタはやめた方がいいと、心の中でさらにツッコんでしまった。
冗談好きな
初めて宇多と会ったときは、緊張しすぎて足が震えたのを今でも覚えている。けれど実際に接してみると、偉ぶるところのない、笑顔の似合う師匠だった。
今は引退して芸者の稽古をつけてくれる、楽しいことが大好きな師匠だ。普段は笑ってばかりなのに、稽古が始まると声の調子まで変わる。
その瞬間、誰もが背筋を伸ばす。瑠生も例外じゃない。
ふく里で暮らすまで知らなかった世界。
お客に気持ちよく過ごしてもらおうと、努力を惜しまない心意気が好きだ。
芸者も、ホテルのフロントも──きっと根っこは同じなんだと思う。
母さんも、楽しそうに仕事の話してたもんな。でも、今は踊る方が好きなんだけどね。
「瑠生は珍しいよね、男の子なのに芸者──しかも踊りに興味を持つなんて」
「俺、笛も好きだよ。上手く吹けると嬉しい」
休憩中、みんなで大福を食べていると、瑠生は振り返って言った。
すると、里菊がくすくすと笑いだした。
「なぁに、瑠生坊、そのお顔。また半玉にでもなるつもり?」
ふんわりした口調で里菊に言われた。
鏡台まで立膝のまま歩くと、布をめくって自分の顔を鏡に写した。
「うわっ、ほんとだ。真っ白」
鏡の中の自分を見て、思わず顔をしかめた。そこには、口の周りを粉だらけにした自分がいた。
「そのまま顔全部に塗って紅でも差せば、美少女の出来上がりだね。いっそ、半玉でデビューしたら? 人気が出てうちの置屋も儲かるってもんよ」
他人事なので梅ちえが好き勝手に言う。
瑠生はティッシュで口元を拭くと、スクっと立ち上がった。着物の裾を手で整えながら梅ちえの前で仁王立ちする。
「そんなに俺を虐めると梅ちえ姐さんのお客を、俺がみんなメロメロにしてやるからな」
腰に手を当てて梅ちえを見下ろした。
「それはやめて、本当になりそうだから」と大袈裟に泣いて縋ってくる。
横で見ていた宇多と里菊がお腹を抱えて笑った。
こんな穏やかな日々を、母を亡くしたときにはもう味わえないと思っていた。
親戚中に拒まれた瑠生を、『友人の孫だから』と言って引き取ってくれた桔梗。
だから瑠生は誓わずにはいられなかった。
桔梗を、ふく里を、絶対に大切にしようと
……俺に幸せをくれた人たちを、俺がちゃんと守ってみせるんだ。
梅ちえに軽口を叩かれ、里菊の笑い声に包まれている。名高い師匠から稽古もつけてもらえて、瑠生はこの幸せがずっと続くことを心から願っていた。
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