未知の宇宙と、眠るアンドロイド
影守 玄
未知の宇宙と、眠るアンドロイド
ジョナサン・リードは十八歳だった。
その年齢に似合わないほど、多くを失い、そして多くを知っていた。
「被弾率、上昇。追跡機、六。――逃げ切れません」
アンドロイドの声は、感情を持たないはずなのに、どこか焦りを帯びて聞こえた。
「分かってる、シレン」
操縦桿を握る指に汗がにじむ。
ジョナサンの宇宙船は、元は両親のものだった。凄腕の賞金稼ぎだった父と母が使っていた、年季の入った船。彼が十歳のとき、その両親は殺された。
以来、この船だけが――彼を宇宙に繋ぎ止めていた。
「戦闘は回避する。数が多すぎる」
「了解。スペースジャンプ準備に入ります」
海賊船のレーザーがジャンプドライブをかすめた。警報が鳴り、計器が赤く染まる。
「今だ!」
ジョナサンは跳んだ。
成功した――はずだった。
次の瞬間、視界に広がったのは、どの星図にも記録されていない暗黒だった。
「……ここは?」
「不明です。データベースに該当なし」
「おそらく先ほどの被弾が影響しているのでしょう」
シレンの返答は、初めて聞く種類のものだった。
分からないという事実そのもの。
そのとき、警報が再び鳴り響く。
「強力な電磁波を検知」
次々と計器が沈黙していく。エンジン。通信。制御系。
光が落ちるように、船の命がひとつずつ消えていった。
「シレン?」
返事はなかった。
振り返ると、アンドロイドの相棒は、その場に立ったまま動かなくなっていた。瞳の光が消え、関節は微動だにしない。
「……くそ」
怒鳴っても、機械は戻らない。
焦りが喉を焼いた。
やがて船は惑星の重力に捕らえられる。逃げ場はない。
ジョナサンは歯を食いしばり、宇宙スーツを装着した。外からも内からも、ここは敵だ。
スーツを着るたびに思う。守られているのではない。延命されているのだ、と。
操縦を引き継ぐ。計器は死んでも、窓の外は生きている。
有視界で、死と地表の距離を測る。
幸運だったのは、同じように不時着した痕跡が地表に残っていたことだ。
黒く焼けた筋――過去の誰かが削り取った“滑走路”。
その焼け跡を頼りに、彼は船を降ろした。
衝撃。
金属が軋み、静寂が訪れる。
――生きている。
外に出ると、呼吸可能な空気はあった。だが、胸の奥がすぐに理解する。
この星は、生命を歓迎していない。
スーツの表示が赤く点滅する。
【RADIATION WARNING / 放射線警報】
【Exposure Rate: High / 被ばく率:高】
空間そのものが、目に見えない刃で満ちている。
(空気がある=生きられる、じゃない)
彼の知識が即座に結論を出していた。
この惑星は恒常的に高エネルギー粒子にさらされている。宇宙線、ガンマ線、未知の放射線。宇宙スーツの遮蔽がなければ、数時間で致死量に達するだろう。
地表は荒れていた。
岩は乾き、風は砂を叩きつけ、空は薄暗い。雲の形はあるのに、そこに“水”の匂いがない。生命の輪郭が、どこにもない。
「……本当に、歓迎されてない星だな」
声に出しても答える者はいない。
遠くに、巨大な影が見えた。
宇宙船だ。
しかも自分のものより、はるかに大きい。
(誰のだ……?)
「……行くしかないな」
その宇宙船は、異様だった。
見たことのない外観。
まるで、別の文明が作ったかのように洗練されている。装甲の継ぎ目が少なく、角度は流線を描く。既知の企業ロゴも、軍の番号もない。
ハッチは閉じていたが、手動で開けられそうだった。
力を込めると、重い音を立てて開く。
内部は闇。
電磁波の影響で、すべての機器がダウンしているのだろう。
ジョナサンはライトを点け、慎重に進む。金属の匂いと、乾いた空気。
死んだ船の匂いがした。
ブリッジに向かうと、そこには白骨化した死体がいくつも転がっていた。
かなりの年月が経っている。
服の繊維は朽ち、骨は乾き、指は折れたまま計器に伸びていた。
(……ここで、何が起きた)
その奥で――椅子に座ったまま、眠るような女性がいた。
美しかった。
人間と見分けがつかない肌。艶のある黒髪。整った輪郭。
だが、触れると冷たい。
首の後ろに、コードが刺さっている。
「……アンドロイド?」
次の瞬間。
その目が、開いた。
「――あなたは、だれですか?」
ジョナサンは、驚きのあまり尻もちをついた。
心臓が跳ね、スーツの警告音が一段高く鳴る。
「……ジョナサン・リードだ」
彼は息を整えながら名乗った。
目の前の存在は、彼の知るどんなアンドロイドより人間に近い。
「私は、ミュウ。この船の管理補助アンドロイドです。現在、低電力モードで稼働しています」
彼女は静かに語った。
乗組員は、船外で死亡するか、内部で餓死し、全員が死んだこと。
この惑星の電磁波が、あらゆる文明を拒んできたこと。
ジョナサンは息を吐いた。
ここは墓場だ。
それでも――
「……君は、まだ動ける」
ミュウはわずかに首を傾げた。
「はい。ですが、長時間は保証できません」
ジョナサンは笑った。
乾いた笑いだった。だが、それは“折れない”ための笑いだった。
「それで十分だ」
十八歳の天才工学者は、初めて心から“生き延びたい”と思った。
失った相棒。
失った家族。
それでも、ここにいる。
「修理できる。この星でも、君となら」
ミュウは彼を見つめた。
「――生存確率は?」
「上げるさ。俺がいる」
その言葉は、希望だった。
未知の宇宙。
過酷な惑星。
壊れた船と、眠りから目覚めたアンドロイド。
こうして、ジョナサン・リードの長い旅は始まった。
それは、人類が知らなかった宇宙と、人間よりも人間らしい存在と共に歩む物語の、最初の一歩だった。
放射線警報は、宇宙船が完全に沈黙したあとも鳴り続けていた。
ジョナサンはスーツの内側で、ゆっくりと息を吐く。
外気には呼吸可能な酸素が含まれている。だが、それだけだ。
(空気がある=生きられる、じゃない)
彼の知識は、何度でも同じ結論に戻る。
ここは“住める惑星”ではない。
「……まずいな。時間がない」
ジョナサンは一度、自分の船へ戻った。
被弾した船体は痛々しく、計器類は沈黙したままだ。
そして、シレンがいる。
操縦席の後ろで立ち尽くすその姿は、戦闘用アンドロイドというより――
主を待つ彫像のようだった。
「待ってろ。必ず直す」
それが約束なのか祈りなのか、自分でも分からなかった。
両親を失ったとき、彼は泣いた。
祖母を失ったとき、泣けなかった。
祖父を失ったとき、泣く前にやるべきことを探した。
そして今も、同じだ。
泣くより先に、修理だ。
生きるより先に、止まるな。
再び巨大宇宙船へ戻ると、ミュウはブリッジで静かに待っていた。
低電力モードのため、動作は最小限だが、視線は明確にこちらを追う。
「あなたの船の状況は?」
「電力系が死んでる。原因は電磁波。遮蔽がない限り、起動させてもまた落ちる」
ミュウは少しだけ考える仕草を見せた。
人間なら「思案」と呼ぶであろう間。
「この船には、電磁波遮断フィールドの基礎構造があります」
「……あるのか?」
「はい。ただし、未完成です。この船は実験船でした」
そこで、ミュウは語り始めた。
この船は、新型スペースジャンプドライブの実験船。
従来の跳躍とは異なり、空間そのものを折り畳む方式。理論上は、どんな宙域にも到達できる。
だが、実験中にドライブが暴走し、この未知の宙域へと投げ出された。
その後、惑星の電磁波に捕らえられ、墜落。
「俺と同じだな」
「この船の設備は?」
「化学ラボ、機械製造設備、材料精製炉があります」
ジョナサンの目が、わずかに見開かれた。
「……本当か?」
「はい。本来は、宇宙で自己完結するための船です」
十八歳の天才は、唇を歪めて笑った。
「最高だ」
作業は過酷だった。
ジョナサンは自分の船から、電力制御ユニット、予備コンデンサ、シールド用の導電材を運び込んだ。
放射線の中での作業は、時間制限付きだ。
スーツ内の被ばく警告が、容赦なく鳴る。
だが彼は止まらなかった。
(ここで諦めたら、終わりだ)
ミュウはブリッジから設計データを投影する。
ジョナサンはそれを見ながら即座に修正案を組み立てた。
電磁波遮断フィールド――未完成のまま放置された防御機構。
それを、彼の船の部品で補う。
「電磁波を完全に防ぐのは無理だ。なら、共振周波数をずらす」
「船体を“見えなく”する?」
「正確には、波として“溶け込ませる”。
敵の波じゃない。背景の一部になる」
ミュウは頷く。
「理論整合性を確認。可能です。必要な構造材は?」
「俺の船の導電材で骨格を組む。
フィールドジェネレーターは、この船のものを生かす」
二人の会話は専門用語で満ちていた。
だが、不思議と噛み合っている。
互いに“人間の常識”で相手を測らない。
必要なのは、正解だけだ。
数時間後――ブリッジに、淡い光が戻った。
「……きた」
電力復旧。
最低限だが、確実な明かり。
次いで、フィールドジェネレーターが低く唸る。
空気が震えるような感覚が、皮膚を撫でた。
「電磁波干渉、低下を確認」
ミュウが告げる。
ジョナサンは、その場に座り込んだ。
(できた……)
胸の奥が、じわりと熱くなる。
両親を失い、祖父母を失い、相棒を失いかけた。
それでも、まだ――手は動く。頭は働く。
自分の中に残っていたものが、確かに脈を打っている。
「食料は?」
「あなたの船から持ち込んだ三か月分があります」
「十分だ。短期探索なら問題ない」
ジョナサンは立ち上がり、ヘルメットを見つめた。
惑星は、相変わらず静かだ。
生命の気配はない。
放射線が、すべてを拒絶している。
だが――地下に何かがある可能性は高い。
エネルギー源。
電磁波の発生源。
あるいは、この星がこうなった理由。
それを突き止めなければ、彼は帰れない。
帰れないどころか、ここで終わる。
「行こう、ミュウ」
彼女は一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
「生存確率は、依然として高くありません」
「分かってる」
ジョナサンは微笑んだ。
「でも、ゼロじゃない」
準備は整った。
未知の惑星。
生命を拒む世界。
壊れた船と、再起動した希望。
ジョナサン・リードは、初めて自分の意思で、この星に足を踏み出す。
それは生き延びるための探索であり――
同時に、宇宙そのものと向き合う旅の始まりだった。
未知の宇宙と、眠るアンドロイド 影守 玄 @Kage01
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