第四章 国譲りを読み直す

 記紀神話の中で、最も政治的な含意を持つ部分はどこか。


 おそらく、国譲り神話だろう。


 物語はこうだ。高天原たかまがはら天照大神あまてらすおおみかみは、葦原中国あしはらのなかつくに——地上の国——を統治させるため、自分の子孫を降ろそうと考える。しかし地上には、大国主神おおくにぬしのかみという強大な神がすでにいた。


 天照大神は使者を送るが、最初の使者は大国主神に懐柔されて帰ってこない。次の使者も同様。三度目に、武甕槌神たけみかづちのかみという武神が派遣される。武甕槌神は出雲の稲佐いなさの浜に降り立ち、剣を波の上に逆さまに突き立てて、大国主神に問う。この国を天津神あまつかみに献上する意志はあるか、と。


 大国主神は息子たちに相談する。事代主神ことしろぬしのかみは承諾し、建御名方神たけみなかたのかみは抵抗するが敗れる。そして大国主神は、ある条件を出して国を譲る。


 自分のために、天津神の住む御殿のような壮大な宮殿を建ててほしい。そうすれば、自分は「幽事かくりごと」——目に見えない世界のこと——を治めよう。「顕事あらわごと」——現実世界の政治——は、天津神の子孫が治めるがよい。


 この取引が成立し、大国主神のために出雲大社が建てられた。


 従来の学術的解釈では、国譲り神話は「征服の神話化」とされてきた。各地の豪族が大和朝廷に服属していった歴史的過程を、神話の形で語ったものだ、と。大国主神は、服属した地方豪族の象徴であり、国譲りとは政治的敗北の婉曲表現だ、と。


 この解釈は、おそらく正しい。


 しかし、別の角度からこの物語を読むことはできないだろうか。


 注目したいのは、大国主神が殺されていないことだ。


 征服神話としては、これは奇妙なことではないか。ギリシャ神話では、オリュンポスの神々はティターン族を打ち負かし、タルタロスに幽閉した。北欧神話では、アース神族はヴァン神族と戦い、人質を交換して和平を結んだ。勝者と敗者の関係は、通常、もっと峻厳なものだ。


 ところが国譲り神話では、敗者であるはずの大国主神に、壮大な宮殿が与えられている。その宮殿は、今日まで出雲大社として存続している。そして大国主神には、「幽事かくりごと」を治めるという、独自の領分が認められている。


 さらに興味深い伝承がある。


 毎年旧暦十月、全国の神々が出雲に集まるという。出雲では「神在月かみありづき」、他の地域では「神無月かんなづき」と呼ばれる。八百万の神々が出雲大社に参集し、縁結びなどの「幽事」について会議を行うという。


 ところが、この集まりに天津神は参加しないという説がある。


 伊勢神宮に祀られている天照大神は、出雲には行かない。天津神あまつかみ系の神々は、出雲の集まりに参加しない。集まるのは国津神くにつかみだけだ、と。


 もちろん、これは後世の伝承であり、記紀に明記されているわけではない。しかし、この伝承が示唆していることは興味深い。


 天津神と国津神は、融合したのではなく、役割分担したのだ。


顕事あらわごと」と「幽事かくりごと」。政治の領域と、目に見えない世界の領域。外側の殻と、内側の核。


 これを、単なる「征服と服属」とは異なる視点から読むことはできないだろうか。


「保護的統合」という視点から。

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