― 浄土発 ― 浮雲九十九番地 : 覚子と世眠のHAPPY END

かつおぶし

第1話  五香松《ごこうまつ》先生と、五老次郎《ごろうじろう》


「皆さん、おはようございます。来週は、いよいよ下界実習が始まります。そこで今日の授業は、三四年生の復習をします。皆さん、『人間の美味しい食べ方』は分かっていますね?」


 五香松ごこうまつ先生の問いに、右手が五つ上がった。


「では、世眠よみんくん」


 名前を呼ばれた児童は、嬉しそうに立ち上がった。


「首をちょん切って、両耳を引き千切ります」


 誇らしげに答えたが、ほとんどの女子が反対した。


「えー、ちがうよー!」


「何で切るの?後始末は、どうするの?」


「ありえなーい!血がつくー!」


 教室が大騒ぎになる前に、先生は手を打った。


「そうですね、違います。では、三宝さんぼうちゃん」


 あてられた女子は、にこやかに立ち上がって答えた。


「目の玉に、鉄のストローを突き刺すんです。そこから、脳みそを吸い出します」


ブーイングがなかった。

教科書の模範解答より支持されるのは、面白い回答だ。


「いいな、それ!なんか、イケてんじゃん。でもよぉ、目ン玉じゃなくて、頭の天辺にぶっさせばよくね?」


三宝の隣の男子が、挙手もせず喋った。

すると、他の児童も、めいめい勝手な意見を述べ始めた。


「斧で叩き割れば?一番てっとり早いわ」


「馬鹿ね、後片付けが大変よ。舌を引っこ抜くの」


「わい、一度でええから、足を食うてみたいねん。俊足の奴な。遅いのは、いらんわ」


「あたしは、手がいい。最近の下界は、外人も、うようよいる。国によって味が違うのよ。選び放題ね」


いまや黒板を見ている児童は、一人もいない。いや、二人だけいた。

先生は、溜息を吐きたいのを、ぐっと我慢して制した。


「はいはい、静かにー。静かにしなさーい!どれも不正解です。これ以上喋ると、罰掃除させますよー」


いましめは、てき面だった。

五香松先生の罰掃除は、浮雲小学校で有名だ。

もはや、伝説級の罰ゲームである。


                『保持妖怪とは』


黒板の真ん中を、その六文字が陣取った。

チョークを置いた先生が、ぐるりと教室を見回して、空恐ろしい笑みを投げ掛けた。


「知っているのに白を切った皆さん、ええ、そう、あなた達ですよ。飛び切り素敵な宿題を出しますからね」


ゲッーーという悲鳴が、二つほど上がった。他は全員、青ざめた。


「では、改めて三四年生の復習をします。第一章を開いて、教科書を一から読みましょう。では、そうですね……覚子かくこさん、最初の行をどうぞ」


指名された美少女は、しぶしぶ立ち上がると声に出して読み始めた。


「保持妖怪は、由緒正しき古来妖怪と異なり、人間の記憶を食す変異妖怪である。我々の食べ物は、人間の記憶なり。人肉を食す事は禁ずる。故に、あやめてもならない」


 読み終わると、覚子はほっとして腰を下ろした。

 同時に、覚子の隣の席の美少年も、ほっと息を吐いた。

 二人だけは、初めから教科書を開いて微動だにせず俯いていたのだ。


「上手に読めましたね」


 先生は、満足気に頷くと、怖い顔をして教室を見渡した。


「いいですか、人間を殺してはいけません。私たち保持妖怪は、言うなれば怪盗に近いのです。人間の記憶を盗み、それを食する妖怪です」


 子供たちは、熱心に聞くふりをしていたが、中には小声で不平を言う子もいた。


「ちぇっ。人食い鬼に生まれときゃ良かったぜ」


 我が強い女子などは、堂々と言った。


「つまんなあーい。親戚のお兄ちゃまが教えてくれたのに~。人間を呪い殺すの、すっごく面白いんだって~。私も、怨霊の一族に生まれたかった~」


 怨霊と聞いて反応した子が一人だけいた。


「ねえねえ、誰か死人しびとって見た事ある?浮雲に入ったら、怨霊にも見えないんだって。私たち保持妖怪だけが見えるんだって。どうしてかって言うとね、人間の記憶を保持できるから見えるんだって。どう?知らなかったでしょう?」


 すまし顔で自慢した女子は、五香松先生に厳しく叱られた。


水南みずなさん!お喋りは止めなさい!廊下に立たせますよ!」


 いつになく険しい声だったので、皆、首を傾げた。

 ただ、数名の児童は、心配そうに覚子を見遣った。

 可愛そうに、覚子はすっかり青ざめていたのだ。

 この日、六年三組では、格別素敵な宿題が出された、二人を除く全員に。


 生前、覚子は、人間だった。

 迷って逝きついた先が、この浮雲九十九番地だ。

 美味しそうな焼鳥の匂いを辿って藍色の暖簾をくぐると、パンチパーマのおじいさんがいたのだ。


「へい、らっしゃい、お客さん」


 白髪頭にピンクの前掛け、それが不思議と似合っていた。


「おっ、珍しいねえ。小学生の御客さんたあ、うちも、名が通ったかね」


 老いた優しい眼差しで覚子を見たので、覚子は、ドキリとした。


(このおじいちゃん、私が見えるんだ。ここに来るまで、誰とも目が合わなかったのに)


 覚子は、急に怖くなって逃げようとしたが、後ろの常連客に押し返された。


「うわっ」


 こけかけて店に入ると、逃げるタイミングを失った。


「おやじさん、また来たよ」


「へいっ、らっしゃい、旦那。奥さんは帰って来やしたかい」


「いやあ、今回は大揉めだったよ」


 でぶっちょのおじさんは、白いハンカチで額の脂汗を拭きながら、カウンターに腰かけた。

 一度逃げるタイミングを失うと、なかなか次が難しい。

 それも、空きっ腹とあっては尚更だ。


「嬢ちゃん、初来店はサービスだ」


 焼鳥を出されて、覚子は、カウンターに座った。

 その時は、普通の焼鳥だと思った。

 入学後、人間の記憶が実体化した焼き鳥だったと知るが、初めて食べた時は極度の緊張状態にあったので何の違和感も感じなかった。


「嬢ちゃん、四十九日しじゅうくにちは終わったね。間違いないでさ。あっしの店に迷い込むってぇのは、そういうことですぜ。ここは、浮雲の一番端、九十九番地の入り口ですからねぇ」


 浮雲は、地獄と極楽の狭間を彷徨い浮かぶ巨大な雲で、一番地から九十九番地まであった。

 一日歩くと、一番地を抜ける。四十九日歩けば、四十九よんじゅうきゅう番地を抜ける。

 四十九日しじゅうくにちを過ぎれば、二度と引き返せない。


「私、どうすればいいの?」


 消え入る声で覚子が尋ねると、焼鳥屋の店主、五老次郎ごろうじろうが助けを出した。


「四十九日が過ぎちまったら、極楽道ごくらくどうには戻れん決まり。五香松の姐さんに、一つ頼んでみやしょう。九十九番地は、保持妖怪さまの下町だ。折よく小学校もある」


「ほんとう?ありがとう、焼鳥屋のおじいちゃん!」


 覚子は、五老次郎に感謝しているが、妖怪を相手に暮らすのは骨が折れる。

 今日の授業で死人しびとの話が出た時、覚子はどきんとした。


 (トイ君は誰かに喋ったりしないから、絶対大丈夫だよ)


  青ざめた覚子に気付いて、五香松先生は水南を叱ってくれた。

  時には厳しいが、基本的に優しい先生なのだ。

  覚子が思い出しながら図書室に向かっていると、廊下で呼び止められた。


 「覚子さん!あなたを探しに行く所だったの。今夜は職員会議で遅くなるから、夕飯は昨夜の記憶カレーでいいかしら」


 「はい」


 無表情で乾いた返事も、知らない者が見れば無愛想に感じられるが、もともと覚子は表情豊かな方ではない。


 「二日続けて悪いわね」


 「カレーは、二日目の記憶が美味しいですから」


 「では、戸締りに気を付けて」


 くるぶしまで流れる黒髪を翻して、五香松先生は歩いて行った。

 あの日、五老次郎に書いて貰った手紙を持って浮雲小学校に行くと、ちょうど五香松先生がいたのだ。


「これも何かの縁ね」


 そう言って、覚子を引き取ってくれた。

 白髪の五老次郎が姐さんと慕う人物なので、年齢は分からない。

 しかし、本当に妖怪なのかと疑いたくなる美貌だ。

 なぜ独身なのか、覚子は時々不思議に思う。

 家族と呼んでいいのか分からない。

 けれど、覚子に名前を付けたのは、五香松先生だった。


「……あなたのご両親は、きっと美男美女だったのね。あなたの事は、きっと誰もが美人と思うでしょうね。それに、とても賢そうな顔をしているわ。覚えも早そうだから、新しい名前は、覚子かくこにしましょう」


 


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