掃除屋の俺が拾った境界の扉は、異世界の空き家に繋がっていた――レベルアップは人生を片付ける

てゅん

第1話 鍵穴のない扉

俺――八咫優馬は、掃除屋だ。


 いや、胸を張って言える職業じゃない。中学三年の冬から、生活費のためにバイトを渡り歩いて、最後に流れ着いたのが「片付け」の現場だっただけだ。


 同級生は俺を「ゴミ」と呼ぶ。

 教師は見て見ぬふりをする。

 家には居場所がない。


 だから俺は、ゴミと呼ばれる自分が、ゴミ袋を縛って生きている。


 笑えない話だ。


「優馬、今日の現場。お前ひとりで行け」


 事務所で、班長が雑に紙を放って寄こした。

 住所と、簡単な注意事項。――事故物件。近隣への配慮。写真撮影禁止。私物持ち帰り厳禁。


 そして、最後に赤い字でこう書かれていた。


【立入注意:奥の物置に入るな】


「……入るなって言われると、逆に入りたくなるんだよな」


 呟いた声は、誰にも拾われない。

 拾われる価値のある言葉を、俺は持っていないから。


 俺は軍手をポケットに突っ込み、黙って現場に向かった。


 ***


 現場は、古い二階建ての戸建てだった。


 住宅街の端。電柱の影が長く伸びて、冬の空はやけに高い。

 近所の目があるから、車は少し離れた場所に停めた。俺は道具箱を抱え、玄関の鍵を開ける。


 空気が、重い。


 古い畳の湿気。放置された布団の匂い。

 それと――ほんの少し、金属みたいな冷たさ。


「……よし。やるか」


 誰にも褒められない作業ほど、淡々と進めるのが一番だ。

 俺は換気扇を回し、窓を開け、手袋をはめる。マスクをして、ゴミ袋を広げて、作業を始めた。


 台所のシンクには、乾いた食器が積み上がっている。

 居間のテーブルの上には、薬の空きシートと、読みかけの本。

 どれも「生きていた証拠」なのに、今はただの物体だ。


 俺は感情を切り離すように、ひとつずつ分類していく。


 燃える。燃えない。資源。危険物。


 ――俺自身も、同じように分類されたことがある。


 必要。不要。面倒。邪魔。


 胸の奥が、少し痛んだ。


「……痛いのは、慣れてる」


 慣れたくなんてなかったけど。


 作業は順調だった。

 昼前には一階の大物が片付いて、最後に残ったのは“赤字の場所”――奥の物置だけになった。


 狭い廊下の突き当たり。引き戸。

 引き戸の前には、ガムテープで雑に×印が貼られている。


 入るな、と言われるほどの理由がある。

 危険なものがあるのか、事故があるのか、それとも――。


 俺は、喉の奥の乾きを飲み込んだ。


「……さっさと終わらせよう。余計なことは――」


 そう言いかけて、ふと気づいた。


 引き戸の脇、壁の端に。


 “白い線”がある。


 壁紙の裂け目じゃない。

 塗装の剥がれでもない。

 まるで、そこだけ別の建具がはめ込まれているみたいに――縦に、綺麗な境界が走っている。


 俺は、ゆっくり近づいた。


 触れる前から分かる。あれはおかしい。

 ここに“扉”なんて、あるはずがない。


 なのに、俺の指は勝手に伸びる。


 白い境界の中央。取っ手も鍵穴もない場所。

 そこに手のひらを当てた瞬間――


 カチリ、と。


 耳の奥で、何かが噛み合う音がした。


「……え?」


 白い境界が、すっと“割れた”。


 壁が、開いた。


 そしてそこにあったのは、物置の奥の壁じゃない。


 木の匂い。

 暖炉の煤。

 見たことのない棚と、無骨なテーブル。

 床板は乾いていて、空気が澄んでいる。


「……なに、これ」


 現実味がなさすぎて、声が裏返る。


 俺は一歩下がろうとして、背中が壁に当たる感触で気づいた。

 背後は、さっきまでいた家の廊下だ。

 目の前は、見知らぬ部屋だ。


 ――ありえない。


 なのに。


 ありえないことが、目の前で起きている。


 混乱の中、視界の中央に“文字”が浮かんだ。


 透明な板。光る文字。ゲームみたいな表示。


『接続を確認しました』

『対象:八咫優馬』

『境界権限を付与します』


「……は?」


 俺が声を出した瞬間、その“板”は、俺の目線に合わせてすっと下がった。

 逃げられない。見せられる。読まされる。


『スキル〖整頓〗を獲得しました』

『スキル〖解析〗を獲得しました』

『スキル〖清掃技術〗を獲得しました』

『称号〖境界に触れた者〗を獲得しました』

『称号〖空き家の管理者〗を獲得しました』


 ……整頓? 清掃技術?


 冗談みたいだ。

 俺は現実で、掃除しかできない。

 だから、異世界でも掃除しろって?


 ふざけるな――と言いたかった。

 なのに、胸の奥のどこかが、妙に落ち着いていた。


 不思議な安心感。


 まるで、ここだけは――俺を“拒絶しない”場所だと、分かってしまったみたいに。


 俺は、恐る恐る一歩踏み出した。


 足の裏に、乾いた木の感触。

 空気は冷たいのに、肌が痛くない。

 見知らぬ部屋なのに、なぜか怖さが薄い。


「……戻れる、よな?」


 振り返る。


 扉は、開いたままだった。

 向こう側に、事故物件の廊下が見える。


 俺は半分だけ向こうに戻って、現実の空気を吸い込む。

 ――臭い。湿った、古い、死んだ匂い。


 そして、また半分こちらへ戻る。


 澄んだ空気。

 木の匂い。

 妙に心が軽くなる。


 この差に、俺は震えた。


 世界が違う。

 空気が違う。

 ――生きやすさが、違う。


 俺は、目の前の“板”を見つめる。


「……解析。できるなら……この扉、調べたい」


 口にした瞬間、板が切り替わった。


『対象:境界の扉(仮)』

『説明:二つの領域を接続するための通路。接続先は固定。破壊不可』

『注意:権限保持者が離れると、扉は閉鎖する』


「固定……破壊不可……」


 俺は、思わず笑いそうになった。


 人生が固定されてるのは、俺の方だ。

 破壊したいのに、壊せないのも、俺の方だ。


 でも。


 この扉だけは、違う。


 俺がいれば、開く。

 俺がいれば、繋がる。


 それってつまり――俺に価値があるってことじゃないのか。


 たったひとつでもいい。

 「ここにいていい」って証拠が欲しかった。


 俺は深呼吸して、部屋を見渡した。


 棚には、古い布と、革の袋。

 壁際には、錆びた短剣と、木の棒。

 そして、床の隅――埃だらけの箒(ほうき)。


「……清掃、か」


 俺は箒を手に取った。

 握った瞬間、板がまた光る。


『スキル〖清掃技術〗:熟練度 1 → 2』


「……え?」


 掃いただけで、上がるのか?


 俺は試しに、床を数回掃いた。

 乾いた埃が舞う。空気が少し澄む。


『経験値を獲得しました』

『清掃行為が“成長”として認識されました』


 胸の奥が、熱くなった。


 殴られても。

 笑われても。

 否定されても。


 俺がやってきたことが、ここでは“成長”になる。


 掃除が。片付けが。整えることが。


「……だったら」


 俺は箒を握り直した。


「……俺は、ここで強くなれるのか?」


 答えるように、板が切り替わる。


『ステータスを表示しますか?』


「……表示」


 次の瞬間、視界に並んだのは数字だった。


――――――――――

【八咫優馬】

Lv:1

HP:12 / 12

MP:5 / 5


STR:1

VIT:1

AGI:1

DEX:1

INT:1

LUK:1


スキル:

〖整頓〗Lv1

〖解析〗Lv1

〖清掃技術〗Lv2

称号:

〖境界に触れた者〗

〖空き家の管理者〗

――――――――――


「……全部、1」


 笑うしかない。

 これが俺だ。現実でも、ここでも、最底辺。


 でも、ひとつだけ違う。


 ここには“伸びしろ”が表示されている。


 伸びしろなんて言葉、俺の人生にはなかった。

 最初から決めつけられて、終わっていくはずだった。


 ――終わりたくない。


 俺は、扉の向こうの現実の廊下を見た。

 あの世界に戻れば、また「ゴミ」だ。

 また踏まれる。

 また削られる。


 でも、もし。

 もしここで、少しでも強くなれたら。


 現実でも、変わるのか?


 そう考えた瞬間――家の外から、かすかな音が聞こえた。


 この部屋の“外”。

 扉の向こうではなく、こちらの世界の外側。


 低い唸り声。

 木々の擦れる音。

 何かが、近づいてくる気配。


 俺は、箒を構えた。


 剣じゃない。

 槍でもない。

 でも今の俺には、これしかない。


「……来いよ」


 声が震える。

 怖い。逃げたい。現実に戻りたい。


 それでも。


 扉を見つけたのは、偶然じゃない気がした。


 ゴミ袋みたいに縛られていた俺の人生に、

 たった一箇所、結び目がほどける場所ができた。


 ――ここだ。


 俺は、木の扉を開けた。


 外は、見たことのない森だった。

 空は青く、空気は冷たい。

 そして、草むらの奥で――赤い目が、こちらを見ていた。

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