星降る夜の約束~約束の向こう側へ~
グリゴリ
プロローグ:約束の夜
雪が、静かに降っていた。
街灯に照らされた白い結晶が、まるで星屑のようにきらめきながら地上へと舞い降りてくる。二月の冷たい空気が頬を撫でるけれど、僕はそれをほとんど感じていなかった。隣を歩く彼女の温もりが、冬の寒さを忘れさせてくれていたから。
「ねえ漣、見て! すっごく綺麗」
星野瑠璃が、嬉しそうに声を上げた。
彼女の吐く息が白く煙り、それが街灯の光に溶けていく。小学六年生の瑠璃は、白いマフラーを首に巻いて、両手をコートのポケットに突っ込んでいた。長い黒髪に雪の結晶が降り積もって、それがまた彼女を一層幻想的に見せている。
「うん、綺麗だね」
僕も同じように息を吐いて、空を見上げた。
ここは僕たちの秘密基地——近所の公園にある小高い丘の上の展望台だ。昼間は子供たちで賑わう場所だけど、夜になると誰も来ない。だから僕と瑠璃は、よくここで二人だけの時間を過ごしていた。
展望台の手すりに寄りかかって、瑠璃は夜空を見上げている。雪雲の切れ間から、いくつかの星が瞬いていた。
「今日ね、お母さんが言ってたの」
瑠璃が、少し照れたように頬を染めながら言った。
「私、女優になりたいって本気で思ってるんだって。だから、もっともっと頑張らなきゃいけないんだって」
「うん、知ってる」
僕は頷いた。
瑠璃の母親は元女優で、今は瑠璃に演技を教えている。瑠璃自身も学校の演劇部で主役をやっていて、その演技は本当に素晴らしかった。観ている人全員を物語の世界に引き込んでしまう、そんな力を持っている。
「漣はどうなの? まだ小説家になりたいって思ってる?」
瑠璃が、僕の顔を覗き込んできた。
大きな瞳が、街灯の明かりを反射してきらきらと輝いている。彼女の瞳はいつも澄んでいて、嘘をつけない透明さを持っていた。
「もちろん。僕は絶対に小説家になる」
僕は力強く答えた。
小説を書くのが好きだった。頭の中に広がる物語の世界を文字にして、それを誰かに読んでもらう。そして読んだ人が笑ったり、泣いたり、ドキドキしたりする——そんな体験を届けられる小説家という仕事に、僕は心から憧れていた。
「そっか」
瑠璃が、ふわりと微笑んだ。
その笑顔は、雪の結晶よりも美しかった。
「じゃあさ、約束しよう」
「約束?」
「うん」
瑠璃は頷いて、小指を差し出してきた。
「私は女優になる。漣は小説家になる。そして——」
彼女の声が、少しだけ震えた。
「二人とも夢を叶えたら、その時は……その時は、ね」
言葉の続きは、雪に溶けて消えてしまった。
でも、僕には彼女が何を言いたいのか分かった。瑠璃の頬が、寒さとは違う理由で赤く染まっているのが見えたから。僕の顔も、きっと同じように熱くなっていた。
「分かってる」
僕は小指を差し出して、瑠璃の小指と絡めた。
小さくて、細くて、でも確かな温もりを持った指。それが僕の指とぎゅっと結ばれる。
「約束する。必ず、俺たちの夢の向こう側で」
「うん、約束」
瑠璃が、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ていたら、胸の奥がきゅっと熱くなった。この子を幸せにしたい。この子が一番輝ける場所を作ってあげたい。そのためなら、どんな努力も惜しまない——そう心の底から思えた。
「ねえ漣、私が女優になったら、漣の書いた物語で映画を作りたいな」
瑠璃が、夢見るような声で言った。
「私が主演で、漣が原作者。そんな映画を作れたら、きっと最高だよね」
「うん、最高だ」
僕も頷いた。
「じゃあ、僕は瑠璃が一番輝ける物語を書くよ。誰もが感動して、誰もが涙する、そんな素敵な物語を」
「本当?」
「本当」
僕は真剣な表情で答えた。
「瑠璃のために書く物語は、絶対に最高のものにする。それが僕の夢だから」
「……ありがとう」
瑠璃の目が、少し潤んでいた。
彼女は僕の手をぎゅっと握りしめて、もう一度空を見上げた。雪はまだ降り続けていて、僕たちの周りを白く染めていく。
「星が綺麗だね」
「うん」
「この星たちみたいに、私たちもずっとずっと輝いていられたらいいのにね」
瑠璃の言葉が、冬の夜空に溶けていく。
僕は彼女の横顔を見つめながら、心の中で誓った。絶対に夢を叶える。絶対に小説家になる。そして、この子と一緒に輝く未来を手に入れる——それが、僕の人生をかけた目標になった。
あの時の僕たちは、まだ何も知らなかった。
夢を追いかけることの厳しさも、才能の残酷さも、すれ違いの痛みも。ただ純粋に、お互いの夢を信じて、その先にある未来を信じていた。
今思えば、それはとても幸せな時間だったのかもしれない。
雪が降る夜、星空の下で交わした小さな約束。それが僕たちの全ての始まりだった。そしてそれは同時に、長く辛いすれ違いの序章でもあったのだ。
***
あれから三年が経った。
僕と瑠璃の関係は、あの夜に交わした約束とは全く違う方向へと進んでいた。彼女は輝く世界の住人になり、僕はまだ暗闇の中でもがき続けている。
約束の向こう側——そこに辿り着くまでの道のりは、僕が想像していたよりもずっと、ずっと険しいものだった。
でも、諦めるわけにはいかない。
あの夜の約束を果たすまで、僕は前に進み続ける。たとえどれだけ遠回りしても、どれだけ傷ついても、必ずあの場所に辿り着いてみせる。
それが、桜井漣の物語。
これは、夢を追いかける一人の少年の、長く苦しい、けれど希望に満ちた成長の記録だ——。
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