赤陽花

化壬祐茶(かみまさ)

赤陽花

 十一月、冬の中旬と言える季節の中、私は家の裏にある庭でシャツの腕を捲り上げ、まだ日も出ていない土くれに震える両手を刺し入れた。


 指先から関節部分に至るまで痺れるような痛みが走ったが、私はその痛みを無視し、表面に浮いている霜を掃い、黙々と掘り始めた。


 身に着けていた長袖のシャツは急な手作業に僅かに汗を吸い取り、膝をついたズボンは所々が土くれで汚れてしまうが、構うことはない。


その姿は、第三者の目に映れば気狂いした姿にも、滑稽な姿にも映ったかもしれない。


 だが、作業をしている場所は家の庭で、早朝と言っていい時間だ。土堀りをする大人がいるなど知る由もはないだろう。例え嗚咽を吐き、潰れたような声を上げる声を聞いたとしても、駆けつける者もいないだろう。


 そして、そういった作業の繰り返しも十分そこらで終わり、私は皮が剥がれ、そこに砂利や土がこびりつき、赤く染まっている両手を見て表情を僅かに緩ませる。


「作業に必死になりすぎて痛みや震えも忘れてしまうとはな……」


 嫌な話だ。と、私は自分の身に起こっている危険信号を嘲笑い、掘り終えた土を眼下にシャツの裾で土を掃い、そのまま傍らに置かれた植木鉢に底を作るための石と砂利、土くれを順番に被せて行く。


そして、それが中間ほどまで達したところで透明のビニール袋を取り出し、そこから小指の先ほどの大きさの種をゆっくり流していく。


 一定量流し終え、私はそこで初めて疲労とは違った感覚の、達成感に似た息を吐く。


続き、一旦家へと戻ると両腕で覆い隠せるほどの白い壷に含まれた白亜色の粉を種の表面に流しいれた。


「……よし」


 笑みを作り、先に壷を片付けようと再び立ち上がる。


 と、それを合図とするように、壷の上へと小さな雫が落ちて行き、気付いた頃には表面へとぶつかり、小さく弾けた。


 雨か、と私は反射的に身を屈め、壷を守るように覆うが、何故か頭部や背中からは雨が落ちてくる気配は無く、ただ、覆っている壷の上へと雨が落ちてくる。


 否、それは雨ではなかった。


「なんだ、泣いていたのか……」


 決して広くは無い庭の中央で、一人の中年男性は泣いていた。


 すると、その涙が予感となったように彼の背中に『ホンモノ』の雨が落ちてきた。




 先週、妻が病で亡くなった。


 急な難病による死となったが、痛みはなく、眠るように息を引き取っていった。


 その彼女の姿に私は涙を流しながら、ただ必死に「ありがとう」と声を上げていたのを覚えている。


 彼女が残したものはあまり多くは無かったが、それでも一つ、彼女は長年行っていた趣味と、その趣味を込めた『夢』が存在した。


「ちゃんと……、育ってくれよ」


 私は植木鉢を居間にあるテーブルに置くと、懇願するように頭を下げ、両手を合わせ、目を伏せた。


 家の玄関や裏庭には幾つもの花が植えられており、先ほど入れたのもそこから採取した種によるものだ。


 彼女がもっていた唯一の趣味にして、主がいなくなったあとも今尚在り続ける一つの完成形がそこにはあった。


 そして、その趣味を交えた上で、彼女はまだ元気であった頃に、男に向けて夢を悟った。


 それは、


「死んだら、……花になりたい」


 死の間際にも呟いた言葉、口先から漏れ出た乾いた呼吸音、息を引き取るまでの沈黙。いまでもついさっきあったことのように鮮明に思い出すことができた。


 それから一週間の放心状態の後、その夢を実行しようと思ったのはそれだけ彼女の死が衝撃的だったからか、自分の中で色々整理がついた上で、その夢だけが心の中に引っかかったからからか。ともあれ、


「かなえて、やるからな」


 言葉にするが、その裏側で現実に対する逃避行為かもしれないという思いや、今の自分を見て彼女はどう思うのだろうかという不安感はある。


 けれど、それは自分では判断できないことであるし、例え誰かに悟られても、真に納得させることが出来るのもまた死んだ者だけだろう。


 無理な話だ、と男は内心で頷くと、目の前にある植木鉢、そこに埋められた『彼女』を見据える。


 僅かに冷えた土が室内の温度に暖められたのか霜が溶け、僅かに雫が表われていた。


 それを見て、男はやっと暗い意識から冷めたように次に何をすべきか思い至る。


「水と、……肥料もかな」


 前者はともかく、後者はどこにあるのだろうかと、反射的に居間の奥、台所に向けて声を上げた。


「――なぁ、肥料ってのはどこに」


 置いてあるんだ。と恐らく声に出そうとしたのだろう。


だが、途中でその言葉が無意味だと気付き、視線の先には淋しい居間と、主を失った台所だけが映っていた。




 それから、幾つかの季節が過ぎた。


 手に刺さるような冷たい冬の季節から、乾き飽く春、照らしつける夏、寂れた秋と一瞬のように過ぎ去っていき、気がつけば彼女が亡くなってから二度目の春が訪れていた。


 早朝、まだ肌寒い空気が残る時間帯に私は自室から居間へと訪れると、テーブルに置かれた『彼女』に薄い笑みを浮かべた。


「おはよう、……今日も寒いな」


 彼女が死に、私は毎日土の中で眠る彼女に挨拶を交わした。


 もちろん返事は無いが、孤独な生活に耐えるには逆に理性を否定するような方法しか思いつかなかった。それが男の見解だった。


 そして、そういった行為を一年ほど経過したが、不思議なことに挨拶を交わすようになってからというもの花の育成は思いのほか順調に進み、一年経った今では幾つかの花が咲き始めていた。


「やっと……」


 やっとか、と男は再度呟き、真赤に染まった花びらに視線を向け、そのまましばらく佇んだ。


「そうか……」


 その時、男は悟った。


「お前の夢も、ようやく叶ったんだな」


 嬉しい、と言う思いはもちろんあった。だが、同時に胸の中で切ない気持ちや、寂しさを含んだ感情に襲われると、一度顔を伏せ、親指と人差し指で瞼を浅く押さえた。


「……ああ」


 悲しい。と、男は目の前の彼女の前で膝を突き、そのままテーブルに伏せる形で静かに泣き、同時に一つの思いが脳裏を過ぎった。


「お前の夢が叶ったのなら……」


 今度は、と男は赤い花びらを一枚ちぎると、


「私の我侭を、赦してくれ」


 そういうと、男はちぎった一部を口の中に放り、そのまま舌を這わせ、飲み込んだ。




 彼女を食べきるのに、二時間も掛からなかった。


 ただ、その道中で特に厳しかったのは意識の混濁や吐気などがしたこと。そして、赤く染まった花びらと共に映る、彼女との思い出のひと時が脳裏に蘇ってきたことだ。


 優しくした時もあれば、厳しく接した時もあった。だが、それらも全てが今では宝物のように思え、花を食べていく中で、男は彼女と一つになっていくのを感じていた。


 花びらや蕾は食べきり、葉をちぎっては口に運び、苦い葉の味が口いっぱいに広がった。


 葉が無くなり、根を食べられるサイズに折り、彼女の悲鳴が聞こえる気がしつつも、その一部を口に入れ、涙を流しながら飲み込んでいく。


 正しいのか、間違っているのか、そんな事はどうでもよかった。


 ただ、


「ただ、私は……、お前と」


 声と一緒に指先が痙攣し、吐気と一緒に呼吸がし辛くなる。それが彼に対する彼女の罰だとでも言うように。


だが、そういった思いも有りつつも、男は一つの思いを根だけとなった『彼女』に言い放った。


「お前と……また――」


 言葉は出なかった。けれど意思は続き、我侭だろう。と内心で苦笑いした。


 一年前に亡くなった妻の最期を思い出す。


 泣いた顔、笑った顔、そのどちらでもない、独り旅立つ寂しさを持った顔を、彼女はしていたのだ。


 だから、男は自分の我侭を含め、逢えて、その言葉を呟いた。


「すぐに、会いに――行くから……」


 根を引き抜き、土を被ったそれも無視して男は無心に口へと放る。


 舌の感触はすでに無く、代わりに喉元から熱く、痺れるような感覚が訪れていき、


「……っ」


 それが何かと悟る前に、男の体は静かに揺れた。


 最期の心音が、響いたのだ。




 数週間後、とある民家の居間で独りの中年男性の遺体が発見された。


 遺体は腐敗が進んでおり、鑑定の結果、植物中毒による呼吸麻痺と診断され、男性が抱き抱えていた植木鉢、それに植えられたであろう花が原因だと判断された。


 ――余談だが、遺体から植木鉢を取り出した際、ちぎれた茎から真っ赤な紫陽花が伸びており、男を支えるような状態を保っていたと、処理班の一人はささやいていた。

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赤陽花 化壬祐茶(かみまさ) @Greentea_zen

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