天鳥頌歌
@_335
『天鳥頌歌』
『天鳥頌歌』
○解題
この詩は新暦十世紀前半に東夏教の布教者が携帯したものであり、歴史学者・宗教学者からは初期東夏教に関する貴重な文書史料(※1)として扱われている。
詩の記述内容の中心が天鳥である(※2)ことから『天鳥頌歌』と通称されることが多い。
『天鳥頌歌』はデウアルト国の各州都において、布教者から没収されたものが発見されている。
その大部分は文書の草案の裏紙などとして用いられており保存状態が劣悪であるが、例外的によく保存されており年代もはっきりしているものが執政府文書庫に存在している。
上に示した『天鳥頌歌』はこの「執政府本」(※3)である。
さて、『天鳥頌歌』の大まかな内容については以下に示すとおりである。
・天鳥は一箇所に留まることなく世界を舞っている
・天鳥によって生者(地)・死者(天)問わずあまねく人々に救いがもたらされる
ここで示された東夏教徒の天鳥解釈は、天鳥が太陽に宿るとする旧教および月に宿るとする新教の天鳥解釈と決定的に異なっている。
この東夏教と伝統宗教との間の解釈の違いについては、その原因を異国の一神教(※4)に求める説が主流であるが、それに加えて両宗派において天鳥の原型となった野鳥を同定する(※5)ことで説明をつけようとする流れも存在している。
○注釈
※1 初期東夏教に関する貴重な文書史料
初期東夏教はおもに遠西州の貧しい平民を中心として勢力を拡大していったが、彼らはそもそも文書文化と縁の薄い社会階層であった。
さらに遠西州の不安定な情勢もあいまって、教理の明文化およびそれに伴う正統な教義の確立はおくれており、この点をもってハランシスク・スラザーラの「宗論要諦」による批判を許すこととなった。
※2 詩の記述内容の中心が天鳥である
第一句の「御匠」は東夏教徒の中心的信仰対象である天鳥を指しているが、畏敬の念からか婉曲的に表現されている。東夏教および旧教・新教は、天鳥による人間創造神話を共有していた。
※3 「執政府本」
封紙および文書庫の記録によると、新暦九二一年晩冬に西南州コステラ(デウアルト国の都)において東夏教の布教者から没収されたものである。
「執政府本」の保存状態のよさに関しては、当時執政府において都の宗教を管理する役職に就いていたラカルジ・ラジーネ(もと東夏教徒であり、東夏教を規制する動きこそ見せてはいたが、実際のところは東夏教徒を保護していた)の意向によるものと考えられる。
※4 異国の一神教
新暦九一〇年代に入ると、西南州コステラに出入りしていた異教徒(東方諸国から東部州アイル=ルアレ、自由都市ラウザドを経由して流入したと考えられている)の大半は執政官トオドジエ・コルネイアによる弾圧に耐えかねて遠西州サントリ侯領へと逃散した。
通説によると、サントリにおいて彼らの一神教的宗旨に変容・混合が起きた結果生まれた宗派のひとつが東夏教とされている。
※5 天鳥の原型となった野鳥を同定する
伝統宗教(旧教および新教)における天鳥は青鷺に、東夏教における天鳥は烏に比定される場合が多い。
伝統宗教における天鳥が青鷺に比定される理由は以下に示す通りである。
・塩と泥を用いた天鳥による人間創造神話は(西南州南東部の)汽水域の干潟を舞台としていると考えられ、青鷺の生息域と重複していた
・青鷺は蛇を捕食可能な数少ない野鳥であり、天鳥が蛇を捕らえる説話(蛇銭と呼ばれる銭貨の意匠として知られる)と整合していた
一方で東夏教における天鳥が烏に比定される理由は以下に示す通りである。
・どこからともなく戦場に現れて戦死者の屍に群がり、そのままどこかへと去っていく姿(新暦八九八年以降混乱が続く遠西州においてはありふれた光景であった)が、死後の魂に救いをもたらす一神教的神格を連想させた
・東方諸国において烏は聖なる鳥とされる場合が多く、異教徒の間では元から天鳥と烏が習合される例がみられた
天鳥頌歌 @_335
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