第3章第4話

数日後、異例の早さで裁判が開かれた。会場はオスティアの大広間。高い天井に冷たい石柱が林立し、数え切れぬ市民と兵士たちが見守る中、宦官の裁判官たちが玉座のような席に並んでいた。




先頭の裁判官が冷ややかに告げる。




「モンテル家当主、アルベルト。帝国に背いた罪は重い。賄賂の証拠はすでに揃っている。」




場内がざわめく。アルベルトは堂々と立ち、静かに答えた。




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「それは虚偽だ。私は潔白だ。」




その言葉に重なるように、クリスが立ち上がった。




「待ってください!」




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若者の声が広間に響き渡り、空気が凍りついた。




「アルベルトさんは無実です。賄賂を渡していたのはニコラスです!」




傍聴席からどよめきが起こる。クリスは震える手で、一枚の紙片を高く掲げた。ニコラス




が帝国役人に送った密書の写し――クリスが走り回って自らが港で掴んだわずかな証拠だった。




だが、中央に座る宦官が冷笑を浮かべる。




「子どもの偽証など信じられるものか。その罪はお前自身に返ってくるぞ。」




場内は再びざわつき、クリスの胸に絶望が押し寄せる。膝が震え、視界が揺らいだ。




──どうすれば……。




そのとき、心の奥深くから澄んだ声が響いた。




勇気を出し、強くありなさい。私はあなたを必ず助ける。




あの言葉――何度も夢で聞いたあの響きが、迷いを払った。クリスは両手を胸の前で重ね、




静かに祈りを捧げた。




中央にいる裁判官が「これ以上の審議は無用。判決を言い渡す!アルベルト・モンテル。前へ」




その時だった。沈黙の広間に、突然低く力強い声が響いた。




「ちょっと待った!」




全員の視線が傍聴席に注がれる。立ち上がったのはドメニコ船長だった。分厚い帳簿を片手に、揺るぎない足取りで中央に進み出る。




「証拠ならここにある!」




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彼は高らかに帳簿を掲げ、鋭い眼光を裁判官たちに突きつけた。




ドメニコは続けた。「俺はアウレリア帝国の、それも帝都アウリシアの市民権を持っている。」




そう言って帝都のアウリシア市民だけが持っている金の鷲の模様のバッジを見せた。




「帝都で徹底的に調べてもらおうじゃねえか!」




市民権を持つドメニコの一言は、帝国の制度上、決して無視できない重みを持っていた。




裁判官たちは互いに顔を見合わせ、短く協議を交わす。




やがて先頭の裁判官が宣告した。




「ニコラスをはじめとする関係者を首都へ送致し、真偽を究明する。アルベルトは釈放とする。」




場内にどよめきが広がった。




クリスは胸をなで下ろし、心の奥底で静かに感謝を捧げた。確かにこの場には神の導きがある、と。




見守っていたカタリナは、涙をこぼしながら夫のもとに駆け寄った。セバスチャンも泣きながら父の胸に飛び込む。




「お父さん!」




アルベルトは家族を力強く抱き寄せ、そしてクリスに向き直った。




「クリス……お前の勇気が我々を救ったのだな。」




クリスは首を振り、静かに答えた。




「僕ではありません。ヤハが……導いてくださったのです。」




ドメニコは分厚い帳簿を机に置いた。中身はただの航海日誌にすぎなかった。だが、その




策略こそが真実を暴く扉を開いたのだった。




裁判が終わり、人々が広間を後にしはじめた。熱気とざわめきが徐々に遠ざかる中、クリスは迷わずドメニコのもとへ駆け寄った。




「船長!」




その声とともに、勢いよく彼を抱きしめた。




「ありがとう、ありがとう……」




言葉があふれ、何度も繰り返さずにはいられなかった。




ドメニコは少し照れたように肩をすくめ、分厚い腕で軽くクリスの背を叩いた。




「よせよせ。坊主……いや、クリス。おまえが勇気を出したからこそだ。」




ふと、クリスの視線が足元に落ちた。さっきドメニコが高々と掲げていた分厚い束が、机の上に置かれている。




「これは……?」




ドメニコは片眉を上げ、口元にわずかな笑みを浮かべた。




「そう、ただの航海日誌さ。」




「えっ?」




驚きの声をあげるクリスに、ドメニコは人差し指を唇に当てた。




「しーっ。」




ぐっと声のトーンを落とし、誰にも聞こえぬよう耳元で囁いた。




「あいつら裁判官の宦官も役人も、みんなグルなんだよ。俺はこの中じゃ珍しいアウレリア帝国──それも帝都の市民権を持っている。俺が反論すれば、この事件は帝都に持ち込まれ




る。そこで調べられれば、自分たちの悪事が白日の下にさらされる。だからここでお開きにして帝都で審議した事にし、うやむやにするつもりさ。」




クリスは息を呑み、耳を澄ませた。




「賄賂の噂が広まり始めていた。だから、帝都にその噂が届く前にアルベルトに罪を擦り付け、自分たちは潔白だと装って噂を消そうとした。帝国の役人たちは──心底腐ってやがる。」




吐き捨てるようなドメニコの言葉は、鋭い刃のように空気を切り裂いた。




大広間の扉の外では、朝日が港の海面を黄金色に染め始めていた。新しい一日の光が、二人の足元に静かに広がっていった。




その夜、モンテル家には祝いの食卓が整えられた。香ばしいパンと温かなスープ、葡萄酒の芳醇な香りが大広間を満たす。人々の笑顔の中、アルベルトは立ち上がり、杯を掲げてクリスを見つめた。




「クリス、本当にありがとう。私の命を救ってくれた恩は一生忘れない。礼として、望むものがあれば何でも言ってほしい」




クリスは静かに首を振り、柔らかく微笑んだ。




「私は何も要りません。私の神があなたを助けられたのですから」




その答えに、場は一瞬、静まり返った。だがアルベルトはやがて遠い目をして語り始めた。




「……ヤハの神か。若い頃を思い出したよ。夜空の星を眺めながら、よく祈ったものだ。『どうか、この貧しさから救ってください』と」




クリスは驚いて声を上げる。




「えっ? ヤハの名をご存知なのですか?」




隣にいたカタリナも、同じように息を呑んだ。




アルベルトはゆっくりと頷いた。




「ああ、私もエルダ村の出身だからな」




クリスとカタリナは顔を見合わせ、胸の奥に大きな波が走るのを感じた。アルベルトは続ける。




「神の言葉は愛していたが、エルダでの暮らしには飽き飽きしていた。町に憧れて宛てもなくさまよい、やがてこの港町にたどり着いた。村を出たのはおそらくクリスお前がまだ生まれたばかりの頃だったんじゃないかな。村を出たのはいいが稼ぎ方もわからず、全くの無一文。途方に暮れ、いつの間にか教会に足を運んでいた。そこでカタリナと出会ったのだ」




カタリナは黙ってうなずき、微笑みを浮かべる。




「彼女は私の境遇を気にすることもなく、誰に対しても分け隔てなく接していた。私はその優しさに惹かれていった。そして神父と三人だけの小さな結婚式を挙げたんだ。……だが




暮らしは良くならず、私は男として情けなかった」




アルベルトは目を閉じ、拳を握りしめた。




「最後に、私は祈った。『どうか、貧しさから解放してください』と。その時から全てがうまくいき始めた。事業は急速に拡大し、この町で私を知らぬ者はいないほどの金持ちになった。しかし――」




そこで言葉を切り、深い溜息をついた。




「信じていた友人に裏切られ、もしクリスがいなければ……今頃私たちはどうなっていたか」




彼は頭を抱え、声を震わせた。




クリスは静かに言葉を返した。




「私の神が私を、あなたと出会わせてくださったんです。アルベルトさん。あなたは本当は




とても優しい人なんですよ。だって、カタリナさんが愛する人なんですから」




その瞬間、カタリナの目から涙が溢れ、頬を伝ってこぼれ落ちた。食卓に集まった人々は、




神の導きと愛の力をそこに感じずにはいられなかった。




--- その夜、クリスは温かな気持ちのまま床についた。やがて夢の中で再び声を聞いた。




「クリス、クリス……今度は海を超えてアウレリア帝国に渡りなさい。行き先はコリントスの町だ」




クリスははっきりとその言葉を胸に刻んだ。




---




翌朝、アルベルトとカタリナにアウレリア帝国に渡る事を伝えると二人は黙ってうなづいた。クリスはアルベルト、カタリナ、セバスチャンそして執事、メイドさんたちに惜しまれつつ、モンテル家を後にした。少しのパンと水をもって。




波止場に降りたクリスを待っていたのは、ドメニコ船長だった。




「昨日はありがとうございました!」と深々と頭を下げるクリスに、船長はニヤリと笑いながら肩を叩いた。




「相変わらず真面目だな。アウレリアに渡るんだろ?」




「えっ……どうしてそれを?」




「さっきアルベルト様が直々に来なすって、お前を頼むと言って金貨を山ほど置いていったぞ。もちろん、俺の分も入ってるはずだがな。ワッハハハ! で、どこに行きやしょう、




お坊っちゃま」




「おっ、お坊っちゃまじゃないです! クリスです!」




二人は笑い合い、やがてクリスは真剣な表情で言った。




「コリントスに行ってもらえますか?」




ドメニコは片眉を上げた。




「おお。この時期、海は荒れるぞ。大丈夫か? ……おっと、言わなくても分かってる。『僕にはヤハがついてます!』だろ? よし、行くか!」




クリスは胸に小さな喜びを覚えた。ヤハが少しずつ、周りの人々に影響を与えている――。




そう思うと自然と笑みがこぼれる。




だが同時に、モンテル家で過ごした日々を懐かしく思い出していた。




その心をかき消すように、ニコラス船長の威勢の良い声が港に響いた。




「さあ、出発だ!」帆が大きく張られ、船は波を切って進み始める。




胸の奥に、あのレアとの約束が深く刻まれたまま、クリスは新たな旅路へと踏み出した。

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