彼女はカニになったのだ
相川すみれ
カーシニゼーション
全ての甲殻類は合理的にカニに進化するらしい。
そんな話をした翌日、彼女はカニになっていた。
「……由依?」
カニ、いや友人はこちらを見上げた。
艶々とした目が私を見つめている…気がする。甲殻類の無機質な表情を読み取るのは難しく、かつての彼女とは似ても似つかない。
「そっか、カニになったんだね。」
由依は何も答えなかった。その代わり、不規則に横に移動しては立ち止まることを繰り返している。そっと指先で甲羅を突いてみると、彼女は再びこちらを見上げた。
「まあ、いいんじゃない?多様性ってやつで。」
私の通っている高校も数年前から男女問わず制服が選べるようになった。
誰もが何かになれるこの時代、カニになる友人が1人位いてもいいだろう。彼女が彼女であるのなら、姿が変わってもいいはずだ。
ふと彼女を見ると、ふくふくと泡を吹き出していた。
へえ、ほんとにカニって泡吹くんだ。
「……そういえば、カニって何食べるんだろ。」
私は甲殻類がペットとして特に好きなわけではない。カニに食事をあげるなんて初めてだ。ChatGPTに質問を投げるとカニの種類を教えろと言われたので、彼女の写真を送って種類を特定してもらった。
『写真の見た目(黒くツヤのある甲羅+赤茶色の脚)からすると、いちばん近いのは クロベンケイガニ(ベンケイガニの仲間)です。クロベンケイガニを含むベンケイガニ類は、基本 雑食(落ち葉掃除屋みたいな食性)です。例を挙げると──』
「ふーん… 木の実、落ち葉、藻……」
庭がついていないこのマンションでは手に入れるのが難しそうだ。そういえば中学校の通学路の途中に小さい川があった気がする。
「由依、こっちおいで。」
私は彼女をバケツに移し、外に出ることにした。外は嫌味なほど優しい日差しが照り付けている。せめてもの抵抗として太陽を睨みつけてみたが、世界は何も変わることなく動き続けていた。
だから由依は、カニに進化したのかな。
──道ゆく人の視線が刺さる。
そりゃそうだ。バケツを後生大事そうに抱えて歩いているのだから。ただ友達と歩いているだけなのに、なんで悪目立ちしなければいけないんだ。これだから田舎は大嫌いだ。他人と少しでも違う人間は田舎で生きていくことは許されない。彼女とはそんな話をよくしていた。
由依は大人しいけれど、表情がよく変わる子だった。楽しいことも嬉しいことも、全部顔に出た。嫌なことや『それどうなの?』みたいなことも全部顔に出るので、一部の子からは嫌われていた。嘘をつくのが下手という、一般社会で生きにくいタイプだった。
由依は悩みが多い子だった。少し寝癖が取れなかったことで悩み、図書館で本を落として視線を集めたことで悩み、何も無いところで転けかけて悩み、急に話しかけられて声が吃ったことで悩み、バイト先で理不尽なクレームを受けたことで悩み、成績について悩んで、進路について悩んで、家族について悩んで、悩んで悩んで悩んで悩んで悩んで悩んで。
──きっと辿り着いた答えがカニへの進化だった。
「由依さあ、もう悩まなくてよくなったわけじゃん?どう?カニって楽?」
私の問いかけは独り言になった。返事は返ってこない。代わりにガタッとバケツの中が動いた、気がした。
川には誰もいなかった。魚が釣れるわけでもないし、川遊びには時期が遅過ぎる。手頃な岩に腰をかけてバケツを隣に置いた。
磨りガラスみたいに透明な水の流れに手を突っ込み、何枚か落ち葉を拾ってバケツの中に入れてみた。彼女は特に反応しなかった。
「葉っぱが悪かったのかな。食べ物に見えない感じ?」
寂しかった。
「…あのさ、私さ、由依の嘘のないとこ、気楽に付き合えてよかったけど。」
泣きたかった。
「カニにならなくても、私は、由依のこと好きだったよ。」
「いつも悩んでたけど、面倒だって思うこともあったけど、でも、そんなところもさ、好きだったんだよ。」
「合理的なんかじゃなくてもさあ、いいじゃん別に。話せた方がさあ、楽しいじゃん。」
彼女の上に、一滴落ちた。
「めちゃくちゃになりながら、生きていこうよ。」
………
まあ、特に何も起こらず、由依はバケツの中で甲羅に落ちた水滴をハサミで拭った。そういうものだ。殻に篭っている時ほど、『愛している』という言葉は届かない。愛を受け取るのにも体力が必要なのだ、人間という厄介な生物は。
「帰ろっか。」
彼女がカニから人間になるには、一体どれくらいの時間がかかるだろう。数ヶ月?数年?それとも数十年?
由依はハサミで器用に葉っぱを千切っていた。
涼しい秋風が髪の毛を捲り上げ、木々をざわめかせた。
「気長に待てばいいよね。」
私の言葉が彼女に染みる日は来るのだろうか。
…いや、やっぱ嫌だな。なんか恥ずかしいし。
彼女はカニになったのだ 相川すみれ @AikawaSumire
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