平和の願いを勇者に込めて
nco
第1話 父の仕事は
父の仕事が何なのか、僕は知らなかった。
夜になると父は家を出る。
血の匂いを消すためだろうか、いつも帰ってくる頃には、鉄と焦げた布の匂いが混じっていた。母は何も聞かない。聞かない代わりに、父の手を洗う水だけは必ず温めていた。
ある夜、僕はついていった。
森の奥、誰も近づかない古い石造りの施設だった。入口には扉がなく、代わりに魔術の痕跡だけが残っていた。父は気づかなかった。あるいは、気づいていても止めなかったのかもしれない。
中は静かだった。
牢獄というより、工房に近い。
中央に一人、縛られている。
最初、それが何なのかわからなかった。
人間の形はしている。だが、四肢がない。切り口は新しくも古くもなく、妙に整っていた。喉は深く裂かれていて、声帯が使われていないことは子どもの僕にもわかった。
それでも、その存在は生きていた。
胸が上下している。
血は流れていない。切断面が、微かに脈打っている。
父が言った。
「そろそろだな」
父は手袋をはめ、台に並べられた刃を選ぶ。刃はどれも小さい。大きな武器は一本もなかった。
「見てるなら、ちゃんと見ろ」
逃げたかった。でも、父の声は叱責ではなかった。ただの確認だった。
縛られた人間の腕の付け根が、盛り上がる。肉が動き、骨の形が浮き出てくる。再生だ、と父は言った。
「完全に戻る前に切る。戻りきると、力が戻る」
刃が走る。
音はしない。
切断面が再び整う。
「これを繰り返すと、戦えなくなる。覚える前に、体が諦める」
僕は喉を見た。
父は頷いた。
「詠唱をさせないためだ。声を出させると、面倒になる」
人間の目が開いた。
僕を見た。
そこに憎しみはなかった。恐怖もなかった。ただ、測るような視線だった。次に起きることを、すでに知っている者の目だった。
「この人、悪い人なの?」
父は少し考えてから言った。
「仕事熱心なだけだ」
僕には意味がわからなかった。
「こいつは、覚える。殺されるたびに、うまくなる。俺たちは、うまくならせない」
父は刃を置き、拘束具を確認する。
「殺すと戻る。戻ると、前より強い。だから殺さない」
人間の胸が、また大きく動いた。
息はできる。声は出ない。
「じゃあ、ずっとここにいるの?」
「そうだ」
父は簡単に言った。
「世界が終わるまでか、こいつが諦めるまで」
帰り道、父は何も話さなかった。
僕も何も聞かなかった。
ただ、あの目だけが頭に残っていた。
人間の目。
それなのに、獣を見ているような目。
後で知った。
あれが勇者だということを。
僕が大人になる頃には、
父の仕事を引き継ぐことになるのだろう。
手袋をはめ、刃を選び、
生えかけたものを、切り落とす。
世界を守るために。
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