濡烏の恋

宮ノ無用

濡烏の恋(完結)

 入道雲が化け物のようにそびえ立つ、とんでもなく暑い季節。高校二年生のたけしは、友人と一緒に部活帰りの道の途中だった。

 友人と楽しく話しながら日々を送ることは楽しかった。この帰りの時間も、高校生活を満喫しているようで、満足した時間だった。ただし、「花」は無い。男同士で駄弁っているだけで、俺がモテないのはこんな理由だとか、あいつほどのやつがなんで誰とも付き合っていないんだとか、そういったむさくるしい話をしていた。武はそんな会話も好きだったが、何か彩りが欲しいとも感じていた。しかし、好きな女子なんていないし、恋愛になんて縁がないのだろうと思い、男同士で話す日々を謳歌していた。

 友人と別れて一人帰路に就く。すると、何やら騒がしい子供の声がした。と思いきや、いきなりその声がする方から「ガァガァ」とカラスの鈍いいかにも威嚇しているかのような鳴き声が聞こえてきた。もしかして、子供がカラスに襲われているのかと思い、少し道の方を覗き込んでみた。すると、子ども二人組がエアガンでカラスを狙っているではないか。子供が襲われているのではなく、子供がカラスを襲っていたのだった。周りには親もいないし、あんな野蛮なことはやめさせなければと思い、こんなご時世だが、小学生くらいの子どもに注意しに行こうと勇気を出して近づいた。すると、パンッと子どもが撃ったエアガンの玉がカラスに命中した。カラスは羽をばたつかせゆっくりと地面に落ちた。子どもたちは大喜びだ。武は一瞬立ち止まってしまったが、なぜだか怒りが込み上げてきて子どもたちに、

「おい!なにやってんだ!」

と、怒鳴りつけた。子どもたちは一瞬ビクッとなって振り返ったが、すぐにいたずらに叫びながら遠くへ走って逃げて行った。

 武はカラスを見た。羽をばたつかせているが飛べない。もがいているのだろうか。しかしカラスには近づかない方がいいと、祖父母からよく言われたものだった。ケガを負ったカラスやカラスの死骸の近くには、他のカラスがいて、近づいたら襲われる。そう教えられたことがある。武は上を見上げた。他のカラスが数羽電線にとまっている。しかし、武はあの負傷したカラスを放っておくことはできなかった。本日二度目の勇気だ。負傷したカラスの元へ行き、抱え込んだ。すると、電線にとまっていたカラスが「ガアガア」と威嚇するかのように鳴き出した。武は、

「どうせお前たちではこのカラスを治せないだろう…。」

 そう思いながら、カラスを抱えて走って家まで帰った。

 負傷したカラスはしばらくバタバタと騒いでいたが、疲れたのか、それとも衰弱してしまったのか、次第に騒がなくなった。

 傷はどこかと思って見ると、翼の部分だった。折れているのかどうかわからなく、ネットでいろいろと検索して、野鳥を助けた人の記事や鳥と暮らしている人の動画、傷の手当の方法のネット検索や動画などを探して、何とか治療した。これであっているのかわからなかったが、ひとまずこれでいいと思った。

 ただ武には、罪悪感もあった。

(大丈夫だろうか…。俺のしたことはきっと間違ったことなんだ。人間の匂いが付いた野鳥は群れから嫌われるという。俺がこのカラスを助けても、群れにはもう戻れないかもしれない。)

 そんなことを思いながら、自分のエゴに絶望した。それでも、自然界で負傷したのならともかく、人間によって、しかも遊ばれて負傷したというのだから、さすがにそれを見て見ぬふりをするのはできなかった。武は仕方がないんだと、自分のしたことを正当化しようとした。


 武が住むのは、街から少し外れた集落だ。その集落には神社があり、地域から親しまれている。木々が生い茂りまさに杜となって、とても良い雰囲気の神社だ。その神社には本祭神の祀られる社殿とは別に、境内社として、わきの方に小さなお社が一つあった。そのお社は人々のケガや病気に霊験があり、集落の人々から信仰されていた。昔、今は亡き祖母とよくお参りしたものである。

 武はいつの間にか眠ってしまっていた。それで昔の祖母とお参りしたときの夢を見ていた。そういえばそんなことがあったなぁと、武は懐かしい気持ちになった。すると、「カァ…」と、弱々しい鳴き声が聞こえた。武はハッとした。そうだ、カラスが!と思い、カラスの方を見ると、カラスはこちらを見ながら、「カァ…」と、また弱々しく鳴いた。回復しないのかと、武は残念に思ったが、そんな数時間で回復はしないかと思い、またネットでいろいろと調べ始めた。食べ物、適切な飼育環境など。カラスを飼っている人の動画や投稿もあったので、それも参考にすることにした。

 そうして武は、しばらく部活を仮病で休みながら、カラスの面倒を見ることにしたのだった。

 暑いので、部屋もクーラーをつけっぱなしにしないと、カラスも弱ってしまう。そのうち親には話した。親は最初は厳しい顔をしたが、父も母も動物好きであったため、これを許した。ただ父母も剛と同じことを考えていたようで、それは忠告された。「そのカラスはもう群れには戻れないだろう。」ということだった。武はまた心をえぐられたが、ここまでしたのならもう治るまで面倒見るしかないと考えていた。そうして時が過ぎ、学校が始まったのだった。

日中はまだ暑いが、朝と夕方の風が心地よくなってきた季節。それでも部屋はまだ暑いので、日中は適切な温度でクーラーをつけっぱなしにして学校へ行った。

「おい、夏休み後半全然部活来なかったじゃんかよ。絶対仮病だろ。」

 友人がからかうようにそう言ってきた。武は、

「俺が仮病なんて使うわけないだろ。」

 と冗談半分で言い返した。実際は仮病であるが。なんだかこういう会話も久しぶりのような気がする。スマホでは連絡を取り合っていたが、実際にこうやって会話するのは二週間ぶりくらいか。しかし、武の頭の中は、カラスのことでいっぱいだった。

 夢を見ていた。いつ夢を見ていたかというと、授業中だ。そんなときに夢を見るとはけしからんわけではあるが、カラスの世話で、精神的にも疲れていたのだ。また祖母とお社へ行く夢だ。懐かしい夢である。

 武は友人の声で目を覚ました。

「お前が授業中寝るなんてな。俺じゃあるまいし。」

 またそうやってからかってきた。盟友なのだ。武は「ははは」と笑いながら思った。

(そういえば、あのお社、ケガにも効くとか言っていたような。全然元気にならないカラスを連れて行くのもありか。神頼みだけど。)

 なぜここ最近そんな夢ばかり見るのかも不思議ではあったが、そんなのは偶然だろうと思い、武は急いで帰って、日が暮れる前に、カラスを連れ出し、お社へ向かった。

 お社に着くと、お社の横の地面が雨も降っていないのに少し濡れていた。なぜ濡れているのかと不思議になったが、そんなことはどうでもよくて、武はカラスを抱えて手を合わせて祈った。

(このカラスを治してください。もっと言えば、このカラスが無事群れに戻れるようにしてください。)

 カラスはおとなしく腕に抱えられていた。

 翌日、武が朝起きると、カラスは元気に羽をバタつかせていた。武は、まさかお社のご利益なのかと驚いたが、いずれにしても元気になったのならよかったと思った。

 カラスは部屋を飛び回ったが、すぐに壁に当たってしまう。このままでは逆にまたケガをしてしまうかもしれない。武はそう思い、少し名残惜しいが、今日を最後に、明日放すことにした。

 夜、カラスはおとなしく武のことを見ていた。武もカラスを見ていた。一か月も行かないくらいの付き合いだった。なのに異常に寂しい。しかしきっとカラスにとってはこんな狭い部屋でいるよりも外の世界の方がいいのだろう。武はカラスとの最後の時間を過ごした。

 翌日、武は早起きして部屋の窓を開けた。

「ほら、もう治ったのなら行きな。」

 武は寂しそうにそう言った。カラスはそんな武をしばらく見た後、バサッと元気に飛び立っていった。

「元気がないなぁ、武。」

 クラスの友人に声を掛けられた。あからさまに喪失感を感じて表に出していたようだった。

 それからしばらくはそんな喪失感が続いたが、そのうち慣れてきて、カラスと出会う前の日常生活に戻りつつあった。


 彼岸花の時期が終わりに近づいていた。咲き終わった彼岸花がほとんどで、遅咲きの花がちらほらまだ鮮やかに咲いていた。

 武はいつも通り帰り道を歩いていた。自分の家の前まで来たとき、家の前に見慣れない一人の女子高生が塀に寄り掛かって立っていた。

 武は一瞬怖くなった。自分の家の前に女子高生。理解できない。家の前まで行くのを躊躇って影に隠れて様子を見た。女子高生は頻繁に身なりを気にしている。制服を着ているから女子高生とはわかるが、見慣れない制服だ。しかもセーラー服。セーラー服の高校は限られるが、全部は知らないし、一体どこの制服だ?と思った。

 それにしても、このままでは家に帰れない。武は意を決して家の前へと歩みを進めた。すると、女子高生が武に気づいて、目をまん丸にして寄ってきた。

「ここの家の人でしょ⁉私、近くに越してきたの!よろしくね!」

 武は頭にクエスチョンマークがいくつも出たが、そんなことよりも、その娘のあまりの美しさに言葉を失っていた。特にその髪は、美しく、しっとりとした艶のある長い黒髪。動くたびになびくのだった。長い間か、少しの間か、時間間隔も狂うほど見とれていて、ハッとして、

「あ、ああ。よろしく…、お願いします…。」

 と返した。

 その娘は、まぶしい笑顔を見せた後、駆け足で向こうへ去って行き、角を曲がって見えなくなった。

(こんな集落に引っ越してきたのか?というかなんで俺に挨拶を?)

 色々なことが謎だったが、とにかく家に入いれるようになったので家に入ろうとした。ふと、あまりにも美しく、逆に不気味だったので、もう一回、道まで出て向こうを見た。誰もいない。なんだったのか。不思議な気分になりながら家に入った。

 武は眠りにつく前、家の前で出会った彼女のことを思いだした。あまりにも美しい容姿だったため印象に残っていた。声も綺麗だった。また会えるだろうか。そう思ったのだ。

 次の日の朝。学校へ行く途中、少し周りを見てみた。あの娘はいない。さすがにいないかと思い、学校へ行った。

 学校でも不思議とあの娘の事を考えてしまう。たった一回会っただけなのに、なぜだか忘れられない。

「またぼーっとしてる」

 友人が声をかけてきた。が、武は聞こえていない。友人はそんな武を心配はしていなかったが、「最近どうしたんだか」というような目で見ていた。武はそんなことさえも知ることはなく、ただ思いに耽っていた。

 ずっとあの娘の事を考えて、部活を終えて家路につく。

集落に入った時、

「おーい!」

 と、可愛らしい、昨日聞いた声がした。武はすぐに振り向いた。すると、あの娘が手を振りながら駆け寄ってきた。

「今帰りー?偶然だねー!」

 その娘は嬉しそうにそう言った。武の心はときめいていた。また会えたことが嬉しかった。

「君もこんな時間に帰りなんだね。」

「うん!」

 会話ができる。それだけでも、武はなぜだかとても嬉しかった。武とその娘は一緒に並んで歩いた。

「どこの高校通ってるの?」

 武はその娘に質問した。本当は違う質問をしたかった。どこに越してきたのか。それが気になっていた。しかしいきなりどこに住んでいるのか聞くに等しい質問はさすがにデリカシーがないと思われそうなので、高校の話にした。するとその娘は、

「んー。ないしょ!」

 といって、笑った。そして、すぐにその娘は話を続けた。

「こんな時間までお勉強してるの?」

「部活だよ。君も部活でこんな時間になったの?」

「部活…。うん!」

 なんだろうか。会話が成り立つようで成り立たないような。しかしその娘の反応はいちいち可愛らしく、元気をもらえるようなリアクションをしてくれた。

「じゃあ、私こっちだから!また明日会えるかな。また会えるといいね!ばいばい!」

 そう言って、元気に手を振って集落の曲道を駆けていった。

 それからというもの、学校帰り。集落へ入ったところで、二日に一回程度の間隔でその娘と帰りが同じになった。そして何気ない会話をするのだった。いつも元気に、無邪気に話題を振ってくれる。ある時は、

「これからおいしいものがたくさんできるのかなぁ。」

「食欲の秋ってこと?」

「そうそう!楽しみだなぁ。君は秋はどんな食べ物が好きなの?」

「俺?んー、やっぱり、栗かなぁ。」

「栗…。いいね!私も食べたい!」

 またある時は、

「私、この集落の神社好きなんだ。落ち着くよねぇ。私の大切な場所!」

「神社?この集落の神社がそんなに思い入れのある場所なの?」

「思い入れっていうか…、うん!そうだね!思い入れのある場所!」

 その娘の名前も知らない。しかし、とても彼女といると気分が晴れて、癒されるのだ。


 そんな日々が続いて、木の葉っぱが赤や黄色に深く染まってきたある時、彼女は唐突に武にこう言った。

「ねえねえ。今度君のお家に行っていい?」

「ええ⁉家に⁉」

「ダメかな…?」

 名前も知らない女子高生。そんな娘を家に入れるなんて、武は、さすがにそんなことしていいのかと焦った。しかも親もいる。女子高生を連れて家に入るなんて、なんて言われるかわからない。

(…。)

 武は彼女の方を見る。つぶらな眼差しには抗えなかった。

「わかった…。いいよ。でも、親がなんていうかわからないから、その辺は覚悟してね。」

「やったぁ。ありがとう。」

 その娘はとても喜んだ。そんなに喜ぶことだろうかとも思ったが、武は嬉しかった。

 秋の過ごしやすい日曜日。昼過ぎ。その娘は神社を待ち合わせの場所に指定した。武が神社に着くと、彼女は既に来ていて、鳥居の前で立っていた。彼女が武に気づくといつものように元気に手を振った。武は不思議だった。今日は休日なのに、その娘は制服を着ている。休日でも制服を着る系の女子なのか?とも思ったが、そこは触れないで置いた。

「お待たせ。」

「うん!じゃあ行こう!」

 いつものように元気いっぱいに答えた。二人は武の家へ向かった。

 家に着いて、扉を開ける。ひどく緊張していた。親には友人を連れてくるとは言ったものの、相手が女子高生だとは言っていない。どんな反応をされるのか。

「ええ⁉あんた!え、えええええぇぇぇ⁉」

 予想よりも、親のリアクションが大きかった。一緒に入ってきたその娘はニコニコとしながら、

「おじゃまします!」

 と元気よく挨拶した。親は「こ…んにちは…。」と、まともに話せなくなっていたが、武はもうお構いなしに彼女を家に入れた。家は昔ながらの農家の家だ。客間がある。とりあえずいきなり自分の部屋に入れるのはまずいと思って、そちらに案内した。

「どうかな。落ち着かないでしょ。あんな反応されたら。」

「ううん、全然大丈夫だよ。」

 彼女は全然気にしていないようだった。

 家にいれたは良いが、何を話すべきか。

「そういえば、栗はもう食べた?」

 武は自分が訳の分からない話題を振ったかなとも思ったが、家に栗があったので、もし食べてなかったら一緒に食べようと思った。

「栗?ううん、まだ食べてない。」

 彼女は首を横に振った。

「じゃあ、一緒に食べない?家にあるんだ。」

「ホント⁉食べる‼」

 彼女はそういってさらにテンションが上がったようだ。

 武は栗を三十個ほど持ってきて、机に置いた。

「いただきまーす。」

 といって、その娘は栗を食べだした。皮の剥き方が分からないのか、だいぶ力任せではあるが、何度かやり方を変えてうまく向けるようになったらしく、十個目にはスムーズに剥けるようになった。

 二人は栗を食べながら、穏やかな時間を過ごした。

 栗を食べ終わると、その娘は武にお願いをした。

「君の部屋に行きたいな。いいかな?」

 武は焦った。自分の部屋に女子高生を入れる。ありえないことだった。しかしやはりその美しくも可愛らしい眼差しには抗えず、案内することにした。

 階段を上って、自分の部屋へ招き入れる。なんだかとてもいけないことをしているような気分だった。

 その娘は部屋に入り、中を見渡した。なんだかとても目をキラキラさせている。何がそんなにいいのか。もしかして男子の部屋に興味を持っているのか。武はそんなことを考えつつ少々複雑な気分だった。

「ちょっとおしゃべりしよ!」

 彼女はそう言って、床に座った。武も座って、しばらくそこで何気ない会話をした。

 そして夕方になった。

 二人は玄関にいた。

「本当に送らなくてもいいのか?」

「うん!大丈夫!今日は楽しかった!また遊びに来てもいい?」

 彼女はそうねだった。

「もちろんだよ。」

「やったぁ!じゃあまた来るね!またね!」

 彼女はそう言って、駆け出して行った。武は曲がり角を曲がるまで見届けた。なんだかとても楽しくて、もっと一緒にいたかったなぁと思う武なのだった。

 それからというもの、その娘と休日も会う約束をして時々会うようになった。

 連絡先は知らないので、いつも帰り道に、次の休日に会おうと言って、会うのだった。不思議なことにやはりいつも制服で来る彼女だったが、それが彼女のスタイルなのだろうと、途中から何も思わなくなった。そんなことよりも彼女と会えて、お話ができることが何よりも嬉しかった。


 季節は巡り、雪が舞い始めた。

 彼女は相変わらず学生服で過ごしているようだが、マフラーをするようになった。武は、

「そのマフラー凄いもこもこしてるね。」

 といった。すると彼女は、

「えへへ。温かいよ?巻いてみる?」

「え⁉」

 武は一瞬で心臓が飛び出るかと思うほど胸が高鳴った。

 それはまずい。明らかにまずい。さすがにダメだろ。と、心の中で冷静になろうとして頭は混乱して、その場に立ち止まり黙ってしまった。

「?」

 その娘は少し不思議そうな顔をした後、自分のマフラーをおもむろに解いて、バッと武の首にかけた。

「⁉」

 武は何が起きたかわからず、思考さえもぐるぐると収拾がつかなくなりついに思考停止になってしまった。

「どう?温かいでしょ?」

 温かいし、いい匂いがする。

「ああ!まずいよ!ダメだダメだ!こんなことしちゃ!」

 武はなぜか急に思考が元に戻り、その娘に向かって言った。それに対しその娘は、不思議そうに、

「どうして?」

 と聞いた。

「女の子が、そんな簡単に…、男に何かを預けちゃ…。こんな…。」

 武は自分の顔が信じられないくらい熱くなっていることに気づく。バッとマフラーを脱いで、しばらく手に持った後に、

「君が、つけなきゃ…。寒いだろ…?」

 そういって、武はその娘にマフラーを突き出した。その娘は、

「…。うん。寒い!」

 そう言って、彼女はまた自分でマフラーを巻いた。

 彼女との時間は、何もかも新鮮で、時に刺激的だった。

 そしてその娘との時間はいつも集落内でおさまっていた。集落の神社。神社と併設して公園がある。高校生にもなって神社の公園で誰かと会うなんて、一昔前の青春かと武は思った。でもそれがとても心地良い時間だったのだ。


 桜の舞う季節。ただこの集落には一軒の民家以外には桜はない。だからその娘と花見をすることはなかった。それでも帰り道、会っては駄弁って、たまに休日に会っては神社の公園や武の家で話して、春の独特の甘い匂いを感じながら、二人は笑顔で日々を過ごしていた。

 ある日、武は夢を見た。祖母の夢だ。今は亡き祖母。昔、神社でよく遊んでもらった。なぜこんな夢を見たのかと思ったが、最近あの娘と神社へ頻繁に行くからだと納得した。

 その日もあの娘と神社で待ち合わせしていた。

 神社へ行くと、あの娘がこっちに気づいて元気に手を振る。いつ見ても可愛らしい娘である。

 二人はまた神社でいろいろとおしゃべりをした。ふと武は夢のことを思い出して、神社の境内を見渡した。あのころと変わらない風景である。

「どうしたの?」

「いや、昔、ばあちゃんとこの神社でよく遊んだなって思い出して。なんだか懐かしくなってね。」

「ふーん。君にとっても特別な場所なんだね!」

「そうだね。」

 そういえば、昔、神社の御神水みたいなのがあったような、と思い出した。昔、その御神水をなんかで飲まされたような。はっきりとは覚えていないが、その御神水のことを、その娘にそれを話した。しかし彼女はそんなの知らないと言って、二人はそんなものが本当にあるのか気になって探し始めた。

 しかしそれっぽいものは見当たらない。社殿の裏や、小さなお社付近も探したが水なんてないし、小川も存在しない。気のせいだっただろうか、と武は思い、変なことを言ってごめんと謝った。しかし彼女は、

「なんだか宝探しみたいで面白かった!」

 と満足そうだった。その無垢で無邪気な性格に惹かれないわけがないと、武は自分の心を慰めた。


 紫陽花が家の庭に咲き誇って、雫で輝いている。雨の日はなぜか彼女と会うことはないのである。それが少し残念で、その中で少し色々と冷静に考えていくと、そろそろあの娘の名前や連絡先が知りたくなってきたのだった。そして、もしできればいろんなところへ二人で出かけてみたいとも思っていた。そういった計画とまではいかない思考が、雨の日々、あの娘と会えない時間で極まっていったのだった。


 だんだん暑さがひどくなっていった。雨の日も少なくなる。

 またあの娘と帰り道会うことが多くなってきて、日々に彩が戻り始めた。そこで武は勇気を出してその娘に聞いてみた。

「ねえ、君の名前。なんていうの?」

「名前…。ないしょ!」

「ええ…。じゃあ俺の名前言っていい?」

「名字は知ってるよ。家に書いてあったの見たから。」

「下の名前だよ。」

「ダメ!聞いたら私も言わないといけなくなるから!」

 そう言って、彼女は駆け出していき、

「じゃあ!今日はバイバイ!また明日!」

 といって、曲がり角を曲がっていってしまった。

 名前を教えたくないようだった。武が期待しているほど親密になれていないのだろうかと残念がったが、「また明日」と言ってくれたのだから嫌われている訳ではないよなと、少し気を前に向けた。

 次の日も帰り道に会った。何事もなかったように彼女は話しかけてきて、またいつも通りたわいもない話に花を咲かせた。

 とある休日、二人は武の家で会うことになった。客間に案内して、エアコンをつけた。すると、母親がスイカを持ってきた。

「二人で食べな。」

 と、優しく言った。

「ありがとうございます!」

 と、その娘は明るくお礼を言った。

 二人はスイカを食べながらいろいろと話した。

 夏。スイカ。好きな子と一緒に。家で。「好きな子」?

 武は、自分は何を考えているんだと思ったが、でもこの状況、仕方ないだろうと、自分の心を肯定した。

 彼女はスイカを食べ終わると、武が食べているのを待っている間、縁側を挟んで見える外の様子を、横を向いてじっと見ていた。

 スイカを食べている無邪気で可愛らしい様子と景色を静かに見る、どこか大人びていて、見ているだけで癒されるような美しいその姿。ギャップがまた武の心を貫くのだった。

 武は最近抱いていた希望があった。彼女とどこかお出かけしたいという願望だった。また断られたらダメージが大きいなと思いつつ、勇気を出して話をした。

「あのさ、今度、どこか出かけない?」

「おでかけ?」

「そう。夏だしさ。海とか。別に、海入ろうとかじゃなくて!見るだけっていうか…。」

「海…。海かぁ…。」

「海、嫌?」

「いやじゃないけど、遠いしなぁ。」

「電車で行こうよ。海まで電車が出てるからさ。」

「でも、お金必要でしょ?」

「金くらい俺が出すよ。ダメかな…?」

「うーん。」

 彼女はしばらく考えた。そして、

「うん。わかった。行こう!海!」

「ホント?よかった。」

 武は安心した。また断られるのかと思ったが、了承してくれた事が本当に嬉しかった。

 それからしばらく、あの娘と海に行くまで碌に眠れなかった。いわゆるデートと言うやつなのではないかと、そんなことを一人で妄想しながら、気分が興奮していたのだった。

 そしてついにその時が来た。

 いつものように、神社で待ち合わせた。彼女は相変わらず学生服姿だった。鞄なども何も持っていない。完全に手ぶらだった。

そして二人で最寄りの駅へと行き、一旦中心地の大きな駅まで行って、海へと続く電車に乗り換えた。

 その娘は少し周りを気にしてそわそわとしていた。人が多いところは好きではないのだろうか。落ち着かない様子だった。しかし、確かに周りの人は惹かれるような目でその娘を見ているのが武にもわかった。

(あんな目で、あんなに見られるとそりゃあ落ち着かないよな。)

 と思いながら、いざというときは守らなければという思いで列車に揺られていた。

 終点。列車から降りて、ほんの少し歩いて海が見えてきた。

「うわー、人たくさんいるなぁ。」

 武はそう言いながら彼女の方を見た。彼女は物珍しいものを見るような目で海を眺めながら歩いていた。

「すごく広いね。」

 その娘はそう言った。武は海だからねと思ったが、その娘のどこか掴めない、不思議な部分を改めて実感した。もしかして箱入り娘かなにかだったのか。武はそんなことを考えながらも、浜辺まで連れて行った。さすがに水着でもない人が波打ち際までは行ける空気ではなかったので、二人は砂浜の上まででとどまった。

 海水浴客は皆楽しそうに時間を過ごしている。海の家。武は懐かしかった。小学生のころまでは親に連れてこられていたが、それ以来、海水浴の時期の海は来ていなかったので懐かしい雰囲気だ。

「おいしそう!」

 海の家のイカ焼きを見て、彼女は言った。

 海の家って、海水浴客じゃなくても利用していいのかと思ったが、彼女が食べたそうにしたので、

「買ってこようか?」

 といった。彼女は、

「いいの⁉」

 と嬉しそうに反応した。そんな反応を見ては買って来ないわけにはいかない。少し不安だったが、普通に買えて、彼女に手渡した。

「ありがとう!」

 そう言って、彼女は串を持ち、イカを頬張った。必死に食べるその様子はとてもかわいかった。すると、彼女はふと気が付いたらしく。

「君も食べる?」

 と、食べている途中のイカを差し出した。武は、それを渡すのか⁉と思ったが、まるで食べ物を分け合うカップルみたいだと思い、さすがにこんな公共の場でそんなことはできないと思って断った。

 海を楽しんだ後、少し港町の方に出かけることにした。そこには、アイスクリーム屋や和菓子屋などがあり、それなりに歩くが、結構良い町並みで、何より彼女といることでとても楽しめていた。彼女はというと、食べ物にやたらと興味があるようで、アイスクリームも和菓子も、昼ごはんもとてもおいしそうに頬張るのであった。武はそれを見ているととても癒された。

 三時過ぎ。一通り予定が終わって、海も港町も楽しんだ。これからどうしようかと思ったが、彼女を見ると、少し疲れているようにも見える。武は心配になって声をかけた。

「大丈夫?疲れた?」

「大丈夫だよ。でもちょっと、疲れたかな。ちょっと初めてだったから。」

 何が初めてだったのだろうかと思った。もしかしてこういう外出が初めてなのだろうかと。やはり箱入り娘なのかと思った。

「もう帰った方がよさそうかな。」

「まだ帰りたくないなぁ。もっと一緒にいたい。」

 武はその言葉に心臓が跳ね上がった。一緒にいたいと言ってくれたことに、まともな反応が出来ず、固まってしまった。構わず彼女は続けた。

「でもここはちょっと、潮風?が当たるかな…。中心の町の方まで一旦戻りたいかも。」

 彼女はそう言ったので、武は「わかった」と言って、最寄駅から地元の街中まで戻ることにした。

 二人は地元の街中まで戻ってきた。

「せっかくだから街中歩いていく?」

 と武は言った。しかし、彼女の疲れはそれほど取れていないようで、未だにいつもの元気さはなかった。しかし、彼女はせっかく武が街中へと誘ってくれたからなのか、

「歩いてく。」

 といって、武の案に乗った。

 二人は駅前の街並みを歩いていった。デパートもあるので、中に入って、いろいろとみて回った。彼女は陳列する服や商品を興味深そうに見ながら歩いていた。

 地元の集落とは違い、また先ほどいた港町とも違う。田舎の中心街ではあるが、一集落民の二人にとっては、それは都会だった。にぎやかな町並みにどこかには人が歩いている。特に駅前通りの混みようはこの地域ではここでしか味わえない。

 彼女はそれでどこか落ち着かない様子で歩いていた。人が気になるようだ。元気な子ではあるが、あまり人目の付く場所は好きではないのかもしれない。そう思いながら歩いていた。

 しかし、今日は楽しかった。年の近い女の子と二人で海に行って、いろいろな店をまわって、二人で食べ歩いて。こんなのデートという以外になんていうのかと、武は思って歩いていた。ふと彼女を見ると、さすがに疲れが顔に出てきてしまっているようだった。一人満足に浸っていた自分を猛省した。少し早いような気もするが、もう五時前だった。そろそろ帰ろうかと、そう思い、言おうとしたとき…。

 道の曲がり角。歩道のない道路。曲がったところに、スピードを出した自転車が突っ込んできた。「うわ!」っと、武が彼女をかばって、自転車にぶつかった。そこまでは良かった。ぶつかりはしたが、自転車は急ブレーキをしてそこまで大事には至らなかった。ただ、そのあたりが足で、バランスを崩して車道側に体が傾いた。後ろから走行音がする。自動車が後ろから進行してきていた。武は思った。

(あ、轢かれる。)

 途端に、バッと、彼女が武を押してかばった。半袖から見える二の腕には、傷のようなものが見えた。

 ドンッ、と音がした。武は目を開けていたはずなのに、その光景だけが見えなかった。反射的に目をつぶってしまったのか。武は勢いよく倒れこんだ。

 武はその場を見た。そこには、どこにも女の子の姿はなかった。彼女はいなかった。

 武は車の下敷きになっているのかもしれないと、車の下を見たが、いない。車の向こう側にもいない。どこにもいない。思考が止まった。何が起こったのかわからない。ただ、気が付いたことがあった。数メートル先に、カラスが一羽倒れていた。武はそのカラスのところへ歩み寄った。

 カラスは足と羽を鈍くわずかに動かしていた。見たことあるカラスだ。忘れるわけがない。一か月近く顔を見ていたのだから。あの時、エアガンに撃たれてしばらく家で預かっていたカラスだ。翼の付け根付近が見えた。傷跡が残っていた。武はまるで、脳が覚醒したかのように様々なことを考えた。それはわずか数秒の出来事だったが、カラスとの出会いとあの娘との出会い。武はしゃがんで、そのカラスに問いかけた。

「君…、なのか…?」

 カラスは武の方をじっと見つめていた。

「君が、ずっと今日、俺といてくれた、あの女の子なのか。」

 カラスはそれに対し、弱々しい声で、「カァ」と鳴いた。

 自動車の運転手が出てきて、「大丈夫ですか⁉もう一人の女の子は⁉」と騒いでいる。自転車の人は何が起きたのかわからない様子だった。

 武はカラスを抱きかかえると、スマホ片手に駆け出した。

 動物病院を調べ、偶然近くにそれが見つかった。武はそこへ一目散に走っていった。

 まだ時間的には間に合う。そう思い、近くの動物病院へ駆け込んだ。

「このカラスが!車に轢かれた!治療してください!」

 受付の人にそういった。しかし受付の人は申し訳なさそうな顔をして、

「申し訳ございません。野鳥は…。診ることはできません…。元の場所に戻してあげてください…。」

 といった。武はなんだそれは、とも思ったが、以前このカラスを保護して調べた時にそういえばそんなことが書いてあった。野鳥を見てくれる病院はほとんどない。武は、しばらく放心したあと、病院を出て行った。

 武は駅に戻って、カラスを抱えたまま急いで切符を買って、集落の最寄り駅まで帰ろうとした。列車はもうすぐ出発する。カラスをシャツの中に隠して、急いで列車に飛び乗った。カラスを見る。翼も足も動かさず、目だけが瞬きしている。生きてはいる。急がなければ。武は賭けていた。あのお社。ケガや病気を治してくれるあのお社に行かなければならない、そう思っていた。列車が動き出した。早くしてくれと心の中でせかす。武にはもうこれしかできなかった。神頼みしかなかった。

 駅に着くと、武はまた走り出した。そしてあの神社までついた。彼女と頻繁に待ち合わせした神社。思い出の神社。しかし木の上には、今まで経験したことのないカラスの大群がいた。「ガァガァ」と威嚇するような声で鳴き始める。夕日に照らされる大木とは対照的に、境内は薄暗くなってきている。武は一瞬も躊躇わなかった。ただこのカラスを助けたい思いで、迷わず境内に入り、社殿横の小さなお社に来た。

(頼む、助けてくれ、お願いだ。このカラスを助けて。)

 そう思いながら近づいてゆくと、お社に水の入ったコップが供えられていた。水は真新しい。どこかで見たようなコップだった。そうだ、昔自分が祖母に飲まされた御神水のコップだった。それと同一のものなのか。なんでこんなところにあるんだと思った。そのコップを見て思い出した。

そういえばあの時、自分は大怪我をしたんだ。それで病院で治療を受けた後、家に帰ってきて、その時に祖母にお社の御神水だと言われて飲まされた。それは不思議とさわやかな甘さでとてもおいしかった。その次の日には痛みは完全に消えていて、何日か後には傷の後が残らぬほど治っていた。

 武は、とにかくできることをやった。信じることを信じた。そのコップを取り、カラスに水を飲ませたのだった。

 武はそのあと、カラスを抱えながらとぼとぼと家に帰った。もう日が暮れて薄暗くなり始めていた。

このカラスとの日々を思い出していた。初めて会った日、神社に連れて行った日、このカラスが化けていたあの女の子と過ごした日々。

 まるでお別れみたいで、悲しい気持ちになった。

 武は家に帰り、自分の部屋にカラスを置いてクーラーをつけた。すると、今更自分の体まで痛んできて、なんだか眠くなってしまった。そのまま眠りについた。

 夢を見た。また祖母の夢だ。明確にわかる光景。あのコップであの甘くておいしい水を持ってきた。武はそれを飲んだのだった。今は亡き祖母の優しい言葉が身に染みる。すると、どこからか「カァカァ」と元気なカラスの声がした。

 武はふと目を覚ました。ガンガンにクーラーが効いた部屋なはずなのに、暑い風も入ってくる。明るい日差しがカーテンの隙間から入ってきていた。時計は七時。ハッと部屋を見渡した。カラスはいない。カーテンがなびいている。

(窓が…、開いている…?)

 カーテンがなびいて、少し外が見えた時、そこには、美しく、しっとりとした艶のある長い黒髪が見えた。あの後ろ姿は。武がカーテンを開けようとすると。

「開けちゃダメ!」

 と、あの娘の声がした。武は固まってしまった。しかし嬉しかった。あの娘、カラスが生きていることが。

「開けないで、聞いてね?」

 彼女はそう言って、少し間をおいて話を続けた。

「私ね。元気になったよ。君のおかげ。ありがとう。あとね、私、君と過ごした時間が、すっごく楽しかったんだ。君とお話しして、いろんなもの食べて、昨日はいろんな景色を見たね。楽しかったなぁ。でもね。もう、私の事、カラスだってバレちゃった…。こういうときはね、もう一緒にいられないんだよ。昔からそういわれてるんだって。だから…、ごめんね…。もう…、さよなら…、だよ…。」

 そのカラスの少女は声を詰まらせるように言った。

 それを聞いた武はいった。

「それって、昔話でよくあるよね。でもそれってさ、人間じゃないってわかったら、よそ者だって幻滅する時代だからあんな結末にいつもなるんだろ。俺は違う!君がカラスだってわかっても、幻滅しないし、何も変わらない!俺の心は変わらない!君のことが好きだ!今までだって。君がカラスだってわかった今だって!」

 とっさにカーテンの向こうから、カーテンを開けて、その美しい女の子が武に飛びついてきた。

「ホントに?ホントに好き?」

「ああ、好きだ。本当に好きだよ。」

 泣きながら武に向かって、何度も確認してくる美しいカラスの少女を、武は優しく抱きしめて、何度も応えた。

 二人は深くてあつい抱擁を交わし、しばらくその場に座り込んだ。

 それからというもの、武とカラスの少女は今まで以上に頻繁に会うこととなった。

 武は生涯、彼女も作らず、妻も持たず。カラスの少女も生涯つがいを作らず。この言いようのない関係が、「愛」となる日は、そう遠くはなかった。

たとえその形に証明や名前がなくとも、愛の元で、二人で寄り添って生きていったのだった。

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濡烏の恋 宮ノ無用 @miyanomuyou

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