第17話 百合の始まり?!
カフェを出た瞬間、夜の空気が頬に冷たかった。
でも、胸の内側はまだ甘い。パフェの甘さじゃなくて、笑った自分の余韻。
「回復会、大成功〜!」
浅葱が両手を上げて、勝手に締めの宣言をする。
その背中が軽やかで、私はつい笑ってしまった。
「笑った笑った。今日の柚葉ちゃん、めっちゃいい顔してた」
「……浅葱が、変なこと言うからです」
「変なこと?"あーん"のこと?あれは文化です」
「文化じゃない」
風華が即座に切る。
だけど、その声がいつもより柔らかい。
真白は淡々と時間を確認した。
「帰宅時間、あと四十分。寄り道なしで帰れば余裕。柚葉、疲労指数は?」
「……まだ大丈夫です」
千景が私の顔をじっと見て、小さく頷く。
「目が乾いてない。大丈夫そう」
……目が乾いてない。
見ただけでそんなことまで分かるんだ。
千景の"守り方"は、いつも静かで、でも正確だ。
駅へ向かう道を歩きながら、私はふと気づいた。
――並び方が、さっきまでよりも"意識されて"いる。
浅葱は当然のように前。
真白は私の少し後ろ、視界の端に常にいる。
千景は反対側で周囲を見ている。
そして風華が、私の隣を譲らない。
譲らない――というより、自然にそうなっているのに、他の三人がその"自然"を見逃していない。
浅葱がわざとらしく振り向いた。
「ねえ会長。ずっと柚葉ちゃんの隣、固定なの?」
「固定じゃない」
「じゃ、交代してもいい?」
「……柚葉ちゃんが望むなら」
風華はそう言って私を見る。
一瞬、心臓が跳ねた。
まただ。"私が決める"の番。
浅葱が笑う。
「ほら〜。会長、譲るって言ってるよ?柚葉ちゃん、誰の隣がいい?」
千景が小さく言う。
「……無理に選ばなくていい」
真白が淡々と補足する。
「選択は負荷になることもあります。しかし、柚葉が"選びたい"なら、回復に繋がる可能性がある」
三方向から視線が集まって、私は息が詰まりそうになった。
でも、嫌じゃない。
むしろ――少しだけ、嬉しい。
私は小さく笑ってしまった。
「……じゃあ、今日は風華の隣がいいです」
風華の目が僅かに揺れて、すぐに落ち着く。
でも耳が、ほんのり赤い。
「……分かった」
浅葱が大げさに倒れ込む真似をした。
「はい出た〜!幼馴染強すぎ!私、勝てる気がしない!」
千景は悔しそうというより、少し困った顔で私を見た。
「……明日は、私の隣も」
小さく、でも逃げない声。
私は思わず頬が熱くなる。
「……明日、ね」
真白が淡々と言った。
「公平性の観点から、ローテーションが望ましい」
「ローテーションって……」
浅葱が即座に食いつく。
「真白、やっぱりハーレムの秩序作る気じゃん」
「秩序は必要です。感情が衝突すると非効率なので」
「それ言いながら、柚葉ちゃんの腕に一番近い位置取ってるのは誰ですか〜?」
真白は一切表情を変えずに答えた。
「偶然です」
嘘だ。
絶対嘘だ。
でもその"嘘っぽい偶然"が、なんだか可愛くて、私はまた笑った。
風華が小さくため息を吐く。
「柚葉ちゃん、浅葱と真白に変なこと吹き込まれてない?」
「もう遅いよ会長。柚葉ちゃん、百合の才能ある」
「才能って何……」
千景が、私の手元をちらりと見て言った。
「……手、冷たい」
そう言って、千景は自分の手袋を外し、私の手の甲にそっと触れた。
その温度に、私は息を呑む。
優しい。
でも近い。
「……大丈夫です」
「大丈夫じゃない。冷たい」
千景は真面目に言って、私の手を包むように握る。
ぎゅ、ではなく、ふわ、と。逃げられる余白を残した握り方。
――この人は、"私が嫌がらない距離"をちゃんと知ってる。
浅葱がニヤニヤする。
「うわ、千景、距離詰めうま」
「……違う。手が冷たいから」
「それを口実に距離詰めるの、上級者」
風華が小さく咳払いした。
「……柚葉ちゃん、手、返して。危ないから」
「危ないって何がですか」
「……転ぶ」
その言い方があまりに不器用で、私は思わず笑いそうになる。
風華の"独占"は、言い訳が下手だ。
真白が淡々と結論を出す。
「転倒リスクを下げるなら、柚葉は真ん中に。両側を支えるのが合理的です」
「合理的なハーレム布陣やめて」
浅葱が爆笑する。
私も笑ってしまって、肩の力が抜けた。
……こういうの、久しぶりだ。
笑うって、こんなに簡単だったっけ。
※ ※ ※
駅に着くと、改札前で一瞬"現実"に戻る。
それぞれ帰る方向が違う。
ここで別れる。
別れが、少しだけ寂しいと思ってしまった。
昨日までなら、寂しいなんて思う余裕すらなかったのに。
浅葱が私の前に立つ。
「柚葉ちゃん、明日も生徒会室来る?」
「……うん。行きたい」
その返事を聞いた浅葱が、急に真面目な目をした。
「じゃあ、明日も笑わせる。約束」
真白が淡々と手帳を閉じる。
「明日、昼は生徒会室。放課後は状況を見て決める。柚葉、体調が落ちたら即共有。無理は"禁止"」
「……はい」
千景が少し迷ってから、私に小さな紙を差し出した。
そこには短い文字。
『困ったら呼んで。すぐ行く』
連絡先――風紀用の端末番号。
私は紙を受け取った瞬間、胸の奥がきゅっとした。
「……ありがとうございます」
「……うん」
千景はそれだけ言って、少しだけ目を逸らした。
照れているわけじゃない。
たぶん、この人の"勇気"の出し方なんだ。
最後に風華が、私の前に立つ。
「……明日、朝も迎えに行く」
「毎日、来なくていいです。迷惑かけます」
「迷惑じゃない。……私が、そうしたい」
風華の声が、少しだけ低くなる。
昔から知っている声。
でも、今は違う。
"会長"の声じゃなくて、"風華"の声だ。
私は息を吸って、小さく頷いた。
「……じゃあ、お願いします」
風華が僅かに目を細める。
「うん」
その瞬間、浅葱が後ろから囁いた。
「会長、今、告白みたいだったよ」
「違う」
即答なのに、風華の耳がまた赤い。
私はそれが可笑しくて、でも胸が温かくて、笑ってしまった。
※ ※ ※
家に着くと、母がリビングで待っていた。
私の顔を見て、すぐに分かるみたいに言う。
「……少し楽になった顔してる」
「……うん。今日は、笑えた」
母はそれだけで、ほっと息を吐いた。
「よかった。明日も、味方を頼りなさい。頼って、いいの」
私は頷いた。
頼っていい。
守られていい。
そして――私が"誰のそばにいたいか"を、私が決めていい。
ベッドに入った夜、スマホが震える。
風華から。
『今日はよく笑ってた。……嬉しかった』
その一文だけで、胸が熱くなった。
私は指先で返信を打つ。
『私も、嬉しかったです。ありがとう、風華先輩』
送信。既読がつく。
すぐに返事。
『……風華でいい』
画面を見つめたまま、私は固まった。
心臓が跳ねる。
恥ずかしくて、でも嬉しくて、指が震える。
私は布団に顔を埋めて、小さく息を吐いた。
ざまぁの後に残ったのは、空っぽじゃなかった。
私の周りには、温かい手が増えている。
そして――その手を、私はもう拒まない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
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