極道の若頭(35)、百合ゲーのモブに転生して推しカプを後方腕組みで見守る

駄駄駄(ダダダ)

第1話:地獄の新宿から、推しカプの聖域へ

1. 散り際は、雨と、硝煙と、尊さと


 新宿の雨は、いつだって鉄の味がする。歌舞伎町の裏路地、ドブネズミさえ寄り付かない汚泥とヘドロにまみれたコンクリートの上に沈みながら、ワイ、天堂組若頭・鬼崎剛(35歳)は、自分の腹から溢れ出す赤黒い「命」をぼんやりと眺めていた。


「ハッ……。若頭ともあろう者が、図に乗ったな……」


 自嘲気味に吐き捨てた言葉と共に、熱い血の塊が口端から溢れる。身長190cm。鍛え上げられた筋骨は、特注の三つ揃いのスーツを内側から引き裂かんばかりに盛り上がり、その顔面には、かつて敵対組織のドスを受けた際の大きな傷跡が、這う鬼のように刻まれている。


『鬼崎の鬼面きめん』。


 関西屈指の武闘派組織で「キレる若頭」として恐れられ、新宿の夜を文字通り「腕っぷし」と「根回し」で支配してきた。それがワイの、35年の人生やった。


 だが、最強を自負した肉体も、ハジキの弾丸には勝てん。鉛の弾が内臓を掻き回す感覚は、焼けた鉄棒を突き刺されたように熱く、それでいて指先からは急速に体温が失われていく。


 だが、そんな修羅の道を歩んできたワイにも、誰にも言えん「魂の救済」があったんや。


 震える指先で、血に濡れたスマートフォンの画面をスワイプする。


 画面を叩く雨粒が邪魔や。ワイは、最期の力を振り絞って、千円単位の高級な絹のネクタイで画面を拭った。


『サヨ……私、貴女の傍にいてもいいのかしら?』


『ええ、ルナ様。貴女の誇りは、私の心を守るためにあるのですから』


 画面に映るのは、美しき聖女と、気高き悪役令嬢。


 百合ゲーの金字塔『聖処女ラ・ヴィエルジュの祈り』――通称『ラ・ヴィ』。


 DLCを含めれば攻略対象は10名を超え、誰一人として負けヒロインを作らず、余ったヒロイン同士が最高の相性で結ばれていく多重カップリング・システム。


 弱肉強食、裏切り、指詰め、ハジキの音。そんな泥沼の世界にいたワイにとって、このゲームは唯一の「浄化装置」やったんや。


 抗争の合間、血生臭い組事務所でひとり、ワイはこの画面を眺めては「ああ、世界にはこんなに綺麗なもんがあるんや」と涙したもんや。


「……これや。この『尊さ』こそが、地獄を歩くワイの、たった一つの光やったんや……」


 特に、清楚の極致である『サヨ姐さん』と、ツンデレの鑑である『ルナ姐さん』のサヨルナ・カップリング。この二人の絡みを拝むためだけに、ワイは幾多の抗争を生き延びてきたと言っても過言やない。


 腹を撃たれた激痛すら、画面越しの二人の微笑みを見れば「実質無料」や。いや、むしろお釣りが出る。


「……神様。もし、次があるんなら……。ワイを、あの子らの幸せを邪魔せんだけの……ただの『石ころ』か『壁』にしてくれや……」


 意識が、急速に遠のいていく。


 歌舞伎町の喧騒が、雨音に溶けて消えていく。硝煙の匂いも、血の鉄臭さも失せ、ワイの魂は真っ白な光の中に溶けていった。



 ◇



2. もちもちした「絶望」と、朝の着替え抗争


 次に意識が覚醒した時、ワイを襲ったのは強烈な「違和感」やった。


(……なんや。体が、軽い。いや、軽すぎる。重力が仕事しとらんのか?)


 ワイはゆっくりと目を開けようとした。だが、視界が暗い。


 何かが目の前に垂れ下がっとる。カーテンか? いや、自分の毛髪や。


 前髪が異常に長く、両目を完全に覆い隠しとる。


「……ん、んんっ?」


 出したはずの声は、ドスの効いた低音やなく、鈴の音を転がしたような、およそ自分とは無縁の「高い声」やった。


 慌てて跳ね起きようとして、ワイは再び衝撃を受ける。


 短い。手足が、あまりにも短い。


 布団を蹴飛ばそうとした足が、かつてのワイの拳ほどしかない、小さくて白くて、もちもちとした「塊」に見える。


「ぽてっ」


 ……なんや今の音。


 ベッドから床に足を下ろした瞬間、信じられんほど可愛らしい音が鳴った。


 這うようにして、部屋の隅にある姿見の前まで辿り着く。鏡を覗き込んだ瞬間、ワイの思考は完全に停止した。


「……なんやこれ。マシュマロの化身か、ワイは」


 そこにいたのは、身長140cmそこそこ。


 長い前髪で表情は一切見えんが、その隙間から覗く肌は抜けるように白く、頬は指で突けばどこまでも沈み込みそうなほど「もちもち」としとる。


 室内には漆黒のセーラー服。一年生の証や。


 今着てるもふもふしたパジャマの袖は少し長く、手が隠れて「萌え袖」のようになっとるのが、なおさら無害そうな雰囲気を強調しとる。


(まさか……転生、だと……? しかも、ニーナ・キザキやんけ!)


 記憶が濁流のように流れ込む。


 ここは『ラ・ヴィ』の世界。そしてこのニーナは、全ルートを通じても一度も名前すら呼ばれん、背景に描かれるだけの「完全なるモブ少女」や。


 100名様限定特典の設定資料集にしかその名前は記されてない、モブキャラ。


「最高やんけ……! 誰の目にも留まらん、最高の『特等席バックグラウンド』や!」


 狂喜乱舞したのも束の間。ワイは一転して「絶望」の縁に立たされた。


 制服の着替えや。これが、35歳の極道にとって、今日最初にして最大の「抗争」となった。


「……あかん。なんやこの布は。スカーフの結び目、ネクタイより難解やんけ! 誰が考えたんやこの構造! 嫌がらせか!」


 ワイは、ハンガーに掛けられた漆黒のセーラー服と対峙した。かつて新宿で「鬼」と恐れられた男が、一枚の布きれを前に冷や汗を流しとる。


 まず、この「かぶりもの」のセーラー服をどう通せばええんや。


 もちもちした短い指先をわちゃわちゃさせながら、ワイは悪戦苦闘した。


 指がぷにぷにしすぎて、細かいスカーフ留めに布が通らん。


 かつてドスを握り、数千人の運命を左右したその指が、今はシルクの布きれ一筋に翻弄されとる。


「……くっ、このスカーフ留め、絶対ハジキの安全装置より硬いやんけ……」


 焦れば焦るほど、指先が汗ばんで布が滑る。


 もちもちした自分の指が憎い。この「白玉団子」みたいな指で、どうやってこの繊細なループを攻略しろと言うんや。


 格闘すること30分。ようやくスカーフが形になったと思えば、次はスカートや。  慣れ親しんだ三つ揃いスーツのスラックスの感触はどこにもない。


 ストッキングを履く際も、あまりの生地の薄さに「これ、ちょっと力入れたら伝線してまうやんけ!」と、爆弾の解体作業並みの慎重さを強いられる。


「スースーしよる……。股が落ち着かんわ、こんなん。新宿でパンイチで走らされる方がまだマシや……。いや、これは『擬態』や。聖域に紛れ込むための、命懸けの変装なんや……」


 ようやく鏡の前で立ち上がった自分の姿は、どこからどう見ても、内気で大人しそうな、マシュマロのように柔らかそうな少女やった。


 顔を真っ赤にしながら、仕上げに、前髪を完璧にセットして両目を隠す。


「よし。これでワイの『人殺しの眼』は封印や。今日からワイは、ただの『もちもちした背景』として、推しカプを警護するんや」



 ◇



3. 百合の極楽浄土へ


 聖ルミナス女学院の講堂への道すがら、ワイは「ぽてぽて」と足音を響かせながら、この世界の理を反芻した。


 この女学院は全寮制。それに加え男子禁制。百合オタクにはたまらん花園や。


 寄宿舎の門を一歩出れば、そこはもう『ラ・ヴィ』の世界観そのもの。


 朝の空気は、新宿の排気ガスまみれのそれとは正反対。微かに咲き始めた桜の香りと、手入れの行き届いた芝生の匂い。歩道に落ちる影すらも、どこか上品で、ワイのようなヤクザが歩いてええ場所やない。


「……これが、カタギの頂点、女学院の空気か」


 ワイは深呼吸をする。肺の中が浄化されていく感覚。


 すれ違う少女たちは皆、一様に凛としていて、それでいて花のように可憐や。


 だが、ワイは油断せん。


 ここは、汚れなき少女たちの園。


 攻略対象はDLCを含めれば10名を超えるが、この世界の素晴らしいところは、誰かが選ばれた後に「余り物」が出るのを防ぐ『多重百合システム』にある。


「ええか、よう聞け。この世界に『負けヒロイン』という不条理な言葉は存在せんのや」


 一人、朝の並木道で熱いモノローグをぶちまける。


 歩くたびに、スカートの裾が膝に触れる感触がむず痒い。だが、そんな些細なことはどうでもええ。


 かつて弱肉強食、敗者は消えるのみという地獄にいたワイにとって、全員が誰かと結ばれ、笑顔で盃を交わすこのシステムは、神による救済そのものやった。


「サヨ姐さんとルナ姐さんが結ばれる。その裏で、別の誰かもまた愛を見つける。これこそが、ワイが命を懸けて守るべき『シノギ』や……。運営さん、ほんまにおおきに。ワイ、一生この世界の石ころとして生きていくわ……」


 講堂が見えてくる。重厚な石造りの門柱に、金色の校章。漆黒のセーラー服1年生の海の中に、時折混じる白セーラー2年生の令嬢たち。


 その白セーラーの白さたるや、まるで雲の上から降りてきた天使の羽のようや。


 その中でも、明らかに「格」が違う連中がおる。指定の制服を気崩し、パーソナルカラーのリボンをあしらった『攻略対象ネームドキャラ』たちや。


 ワイは、彼女たちの視界に入らんよう、壁際にぴったりと身を寄せ、気配を消した。


 もちもちした体は、遮蔽物に隠れるのに実に都合がええ。


 壁の模様に成り切り、呼吸を極限まで抑える。


 今日は入学式。つまり、あの「伝説の邂逅」が起こる日や。


 回廊を歩くニーナの背後では、既に彼女の放つ「異質な静寂」に、何人かの鋭い生徒が足を止めていたが、ワイは気づく由もない。



 ◇



4. 邂逅、そして不敬なる三下どもへのケジメ


 噴水のある回廊。


 ここは、学院内で最も美しい光が差し込む聖域。ワイは柱の影に隠れ、後方で腕を組んでその時を待つ。


(……来た。……サヨ姐さんや!)


 この百合ゲームの主人公。黒髪ロングの清楚な少女、サヨ。


 慎ましやかに聖書を抱え、一歩一歩、カタギの極致のような歩みで現れる。


 歩くたびに揺れる黒髪。一点の曇りもない瞳。


 その姿は、新宿のネオンより何億倍も眩しい。あまりの眩しさに、ワイの視神経が悲鳴を上げとる。


 そしてその反対側から――。


「あら、あんた。見ない顔ね」


 金髪のツインテを揺らし、取り巻きを引き連れて現れたのは、高貴な悪役令嬢、ルナ。


 ツンと吊り上がった瞳。勝ち気な口元。


 その声の響きには、生まれながらの支配者としての「格」がある。


 サヨとルナが、初めて公の場で目を合わせる伝説のイベント。


 ワイは尊さのあまり、前髪の下で鼻血を出しそうになりながら、激しく震えた。


(あぁぁっ……! サヨ姐さんのあの困ったような眉の角度! それを睨みつけるルナ姐さんの、無自覚なデレを含んだ眼差し! これや! これが生身のサヨルナやんけ……! 現世の徳を全部使い果たしてもええレベルの光景や!)


 だが、その至高の時間は、無粋な連中によって踏みにじられた。


「ちょっと、貴女。道を空けなさいな。ルナ様がお通りになるのよ」


 ルナの背後に控えていた、オレンジ色の派手なリボンをつけた三下――取り巻きのモブ令嬢たちが、サヨに対して牙を剥いた。


 彼女たちは、ルナの威光を己の力と勘違いし、身分の低いサヨを嘲笑い始めた。


「あら、その安物のハンカチ。……汚らしいわね」


 一人の三下が、サヨが大切にしていた刺繍入りのハンカチをひったくり、濡れた石床に叩き落とした。


 泥の跳ねた水溜りに、純白のハンカチが沈む。


 サヨの目に、涙が滲む。


 ルナが「……ちょっと、あんたたち。そこまでしなくても……」と止めようとするが、持ち前のプライドが邪魔をして、強く言い返せん。


 それを見た瞬間。


 ワイの脳内で、何かが「ブチッ」と音を立てて千切れた。


(……おい。……ワレ、今、誰の『シノギ』に土足で踏み込んだと思っとんねん)


 ワイの中の「天堂の鬼」が、牙を剥いた。


 尊いイベントに泥を塗り、あろうことかサヨ姐さんに涙を流させた。


 これは「不敬」なんて生易しいもんやない。組の看板を汚し、神域にチャカをぶち込むに等しい、万死に値する大罪や。


 ケジメや。ケジメをつけさせな、天堂組の名が廃る。いや、今はキザキやったか、細かいことはええわ。


 ワイは、ぽてぽてと歩き出した。


 足音は可愛い。体ももちもちしとる。


 だが、周囲の空気は、ニーナが一歩進むごとに氷点下へと叩き落とされていった。


 春の陽気が一瞬でシベリアの寒風に変わったような、そんな錯覚。


「…………おい」


 地獄の底から響くような声が、取り巻きの背後で放たれた。三下の令嬢が、煩わしそうに振り返る。


「何かしら、貴方。この黒の制服……ああ、ただの1年生のモブね。目障りよ、消えな……っ!?」


 彼女の言葉が、凍りついた。


 前髪の隙間から、35年間血を吸い、数多の修羅場を潜り抜けた「本物の人殺しの眼」を、全力で解禁した。


 140cmの視点から見上げる、死の宣告。


「……3秒や」


 ワイは、ちんまりとした手を伸ばし、三下の肩をポンと叩いた。その瞬間、彼女には、目の前の少女が巨大な、血の色の鬼に見えたはずや。


 逃げ場のない、絶対的な暴力の予感。


「3秒以内にそれ拾って、サヨ姐さんに手ぇついて謝れ。……できんかったら、あんたらの実家の『看板』、明日にはワイが更地にするための書類回したるからな。……3」


「ひっ、ひいぃぃぃっ……!!」


 令嬢たちは、腰を抜かして石床にヘタリ込んだ。


 彼女たちの脳裏には、自分たちが一瞬で「社会的、肉体的に消滅させられる」イメージが、暴力的なまでの殺気と共に叩き込まれていた。


 もちもちしたニーナの指先が、彼女たちの目には鋭利なドスに見えとる。


「2」


「ご、ごめんなさいいいいっ!!」


 三下どもは、鼻水と涙を撒き散らしながら、泥に汚れたハンカチを必死で拾い上げ、震える手でサヨの前に差し出した。


 そして、スカートを振り乱しながら、文字通り脱兎のごとく敗走していった。



 ◇



5. 後方腕組みの夜明け


 静寂が、回廊に戻る。ルナが、呆然としながらも、ようやく言葉を紡いだ。


「……こっ、これ! ……あんたにあげる!」


 ルナが自身のハンカチをサヨに手渡す。


「……っ、べ、別にお礼なんていらないわよ! あんたの持ってたハンカチは汚れちゃったから、今日は私のを使いなさい!」


 顔を真っ赤にして、プイと横を向くルナ。その耳の裏まで真っ赤になっとるのを、ワイは見逃さん。サヨが、震える手でハンカチを抱きしめ、ふわりと微笑む。


「ありがとうございます、……ルナ様」


 ……あぁ。これや。これこそが、ワイが求めていた景色や。


 ワイは、二人に気付かれんよう、再び「ぽてぽて」と距離を取った。そして、柱の影で、ガッシリと、誰よりも深く腕を組む。


「……ええ。実にええ『シノギ』やったわ」


 前髪の下で、ワイは感涙に咽びながら頷いた。


 運営さん、おおきに。


 こんな神イベントを目の前で見せてくれて、ほんまに感謝感激や。新宿のドブ川で死にかけてたワイを、ここまで連れてきてくれてありがとう。


「今日から、ワイの第二の人生は、この『尊さ』を守り抜くことや。……不肖・鬼崎改めニーナ。全軍、突撃推し活開始やで!」


 講堂に向かって、もちもちした体を揺らし、ぽてぽてと歩き出すワイ。


 その背中には、極道の覇気と、オタクの執念が、これ以上ないほど重厚に同居しとった。


 サヨ姐さんとルナ姐さん。


 この二人の行く道を汚す石ころは、たとえこのマシュマロみたいな手が千切れても、全部ワイが粉砕したる。


 さあ、次は放課後の温室イベントや。


 警護ルートの確認を急がねばならんのやからな。


 こりゃあ、忙しなるでぇー!


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