第2話 『ワタシヲオノミ』


落ちる感覚が、妙に心地よい。俺に続いて、この穴に飛び込んだ白ウサギはどこに行ったのだろう。

いやいや、まずその前に。


俺、どうなるのだろう?


随分落ちていくけれど、どこかにたどり着く様子はなく、暗い穴を落ち続けているだけ。このままだと、地球の裏側まで到達するのだろうか。

穴の暗さに慣れてきて、よくよく上(?)を見上げると、あの白ウサギが一緒に落ちてきていた。


「おい、こら、白ウサギ! お前の仕業だろ!」

「あー……急いでいるんで……」

「どこがだよ!」

「人生に急いでいるんで」


にやり。


俺が穴に堕ちる前の、嫌らしい笑みを浮かべる白ウサギ。


「ほら、心当たりがあるだろう?」

「な……何を…?」

「兄と弟に、先を越された。昇任もなければ、給料も上がらない。四十歳を越えても、浮いた話のひとつもありゃしない」


のんびりしていたはずの白ウサギが、畳み掛けるように話し始める。


「自分には仕事がある。仕事が生き甲斐だ。そうやって仕事人間を決め込んで、人生の大半を注ぎ込んで。そうやって、生き急いで生きてきたんだろう? でも、何も、自分には残っていない」

「お前は……!」


どこか心中を見透かされた発言に、怒りが沸き上がる。

堕ちる感覚が、続く。腹立たしい発言の白ウサギを取っ捕まえてやろうと、俺はジタバタしてみるが、手も足も届かない。


ぐんぐん、ぐんぐん、落ちていく。


「落ちる以外、することがないんだ。少し落ち着いて、周りを見渡してみたらどうだ?」


にやり。


白ウサギは、三度目の嫌な笑みを浮かべると同時に、俺の視界から消えてしまう。

悔しいけれど、怒りは収まらないが、他にすることもない。


俺は自分の周囲を見渡してみた。

下は、ありがたいことに、何も見えない。

上も、当然、何も見えない。

四方の壁を眺めると、一面にいろいろな物が並べられていた。


戸棚や本棚。

黒板、机に椅子。鉄棒に跳び箱、一輪車に飼育小屋。

記憶の片隅に引っ掛かる。


これらは、俺が通っていた学校にあったものだ。

バスケットボールにバレーボール。部室の看板。

自転車置き場に野球部応援旗。

卓球台にフラスコ、ビーカー、シャーレまで。


と、周囲に気を取られ過ぎて、下の様子に気付かなかった。


すてんっ!


俺は小枝や枯れ葉の山の上に、尻餅をついた。痛みもなく、他の衝撃もない。怪我ひとつせずに済んでいるのが、どうにもこうにも腑に落ちない。

上は、真っ暗で何も見えないままだ。

登って帰るのは、無理だろう。


「あー…急がなくちゃ……」


全然急いでいない白ウサギの声がする。声の方を振り向くと、長い通路があるではないか。


「はー……大した…遅刻?」

「知るか!」


白ウサギのつぶやきに突っ込みを入れつつ、俺は通路へ駆け出していた。

動きの遅い白ウサギだと思って、全速力のダッシュをかけたが、通路の角を曲がると、そこに白ウサギの姿はなかった。

通路を抜けた先は、大広間になっていた。天井からランプがぶら下がり、辺りを照らしている。


「なんだ…ここは……?」


この広間には、扉がいくつもある。どこかにつながっているのだろうか?

ちょっと待てよ、俺。

正月に里帰りをして。

兄弟で飲み飽かして。

初詣に来て。

しゃべる白ウサギを見つけて。

穴に堕とされて。


……で?


どんな不景気な初夢だ、これは。

広間の中央で、途方に暮れる。こんな不景気な初夢、そうそうに終わらせてしまいたい。四十歳も過ぎたおっさんが、白ウサギと追い駆けっこして、楽しいわけがない。

冷静になってもう一度辺りを見渡すと、自分のすぐそばに、ガラスのテーブルがあった。テーブルの上には、金の鍵と液体の入ったガラス瓶がある。ガラス瓶にはラベルが貼られていて、『ワタシヲオノミ』と書かれていた。


「なんか、どっかで聞いたことあるな」


童話に、こんな話がなかっただろうか。

誠兄貴と修なら、子供がいるから、思い当たるのだろうか?


「……思い出せない…」


聞いたことある話だ。それは間違いない。

だが俺の記憶から、話の続きは出て来ない。出て来ないのだから、何をするのが正解なのか、わからない。


「飲むのか、飲まないのか? この鍵はどの扉の鍵なんだ?」


酔っているのか。初夢なのか。

信憑性はともかくとして、ガラス瓶のラベルを読んでみる。


『ワタシヲオノミ』


これは、さっき確認した。ラベルを裏返してみる。


『not made in Japanese めいそんじゃ♪』


おい、こら、ふざけんな、初夢。

浮いた話のない俺だって、これくらい知っている。

最近流行りの、お洒落瓶だろ! 職場の若いお嬢様たちが、お昼のお弁当で自慢のレシピを公開中だ!


「…飲むか」


飲まないと、先に進めない気がした俺は、意を決し瓶を開ける。


ぷしゅっ。


気持ちのいい音がして、瓶に入った液体が、炭酸飲料であることを知る。恐る恐る口をつけ、一気に飲み込むと、喉越し爽やかな…。

ん? 味がしない?

ラベルを、もう一度読んでみる。

『ワタシヲオノミ』のその下に、とても小さな字で書かれていた。


『硬水。炭酸。カロリーゼロ。甘味ゼロ。健康飲料』


「マジ、ふざけんなよ……」


そして、しばらく。

自分の体に何の変化も起きない。

本当に、ただの健康飲料炭酸水。


「思い出してきたけど、これってカラダがおっきくなったりちっさくなったり、するんじゃなかったか……?」


喉越し爽やかな炭酸水。敢えて言うなら、酔いが覚めた(気がする)。

ガラスのテーブルに目をやる。テーブルの下に、小さな箱があることに気付いた。

俺は箱をテーブルに乗せ、中を開けて確認する。

中に入っていたのは、四号ほどのホールケーキだった。定番のイチゴケーキに見える。上にはチョコレートのプレートが乗っていて、『ワタシヲオタベ』と書かれていた。


食べるしかないんだよな、たぶん。


ご丁寧なことに、プラスチックのフォークも入っているようだ。俺は一口、このケーキも口にしてみる。


うん。


普通のイチゴケーキだ。


美味しいな。


で、どうすればいいのか、全くわからない。

ケーキと炭酸水を飲みながら、俺はチョコレートのプレートを読み直す。瓶のラベルと同じように、小さな文字でこう書かれていた。


『お誕生日おめでとう。毎年独りで誕生日を過ごすアナタに、愛を込めて』


俺の心に、それは突き刺さった。

学校を卒業して、独り暮らしをはじめて、仕事三昧の生活。

男兄弟の俺が、誕生日を祝われることはなかった。お袋からかかってくる電話も、仕事を口実に、まともに出ようとしなかった。

自分が歳を取ることを、直視しないままで生きてきたのだ。

嫁も子供もいない俺は、自分が重ねている歳を、無責任に放り出していたのだ。


「……」


涙が流れた。

俺の頬を伝い、それは床へと落ちる。


「誕生日、今日じゃないけどな…」


言い訳をしても、俺は自分の涙を止められなかった。

寂しいのか。悲しいのか。それとも誰かに気づいてもらえて、ほっとしたのだろうか。


「!」


そんなに泣いたわけがない。

涙が呼び水となったのか、広間はあっという間に水で満たされていく。俺は慌ててガラスのテーブルから、金の鍵をつかみとる。

鍵をつかむとほぼ同時に、足元が水の流れにさらわれた。


どぶんっ!

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2026年1月12日 15:00
2026年1月19日 15:00
2026年1月26日 15:00

不思議の国のヒロシ 月霧(tsukiri) @tsukiri

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