第1話 ヤンデレ化する前のお話

『ルナちゃん、80万人おめでとう。これからもずっとついていきます』……ふふ、ありがと~う。嬉しいな……、この先も絶対に付いてきてね?」


 俺の推しVtuberである天宮ルナが5期生として、デビューを飾ってから約半年。画面の向こう側に彼女は、今や登録者80万に越えの超人気Vtuberになっていた。


 俺はファンの一人として、画面のこちら側でコメントを打つためにキーボードを叩く。Vtuberとして人気を獲得した彼女と、片や今の俺はルナのファンの名称である「ルナリス」の一人である。

 だが、そんな何の取り柄もない俺にも一つだけ誇れる事があった。


 俺はVtuberとしてデビューする彼女を、いわゆる前世から認知している。

 いわば、古参中の古参なのだ。


 約一年前。俺こと、真城優が天宮ルナである彼女に出会ったのはほんの些細な偶然な出来事だった。


 ——。

 あの日の事は今でも鮮明に思い出すことが出来る。

 俺が高校一年生の夏。率直に言うと俺は恋人に浮気され、野球部の先輩に寝取られた。


 初めて出来た恋人との関係がトラウマレベルのバットエンドを迎えた俺は、誰ともまともに話さなくなった。完全なる闇落ちである。


 しかも、ただ浮気されただけまだしも何故か俺が浮気したことにされ、相手と別れることになった。その噂を聞いたクラスメイトにも避けられ白い目を向けられる日々が暫く続いたのだ。


 俺が学校終わりの夜に、部屋の明かりもつけずにベッドに転がっていると、否が応でも浮気された記憶がよみがえる。余計なことを考えないために俺は自然とスマホを手に取る。特に見たいものがあるわけじゃないけど、ただ誰かの声が聞きたくて俺は配信アプリを開いていた。


 そんな風にネットの海をさまよっていた俺の目に、ふと一つのサムネイルが目を引く。

 『runaruna配信中』 という飾り気のないタイトル。


 サムネイルも設定されておらず、真っ黒な画面。

 俺は珍しいなと思いながらもそれを何となくタップする。

 ぐるぐると回るロード画面が明け、静かなBGMが流れ出す。

 画面にはアバターもなく、固定された月マークのデフォルトの画面が映る。


「――あっ、誰か来た」


 透き通るような女の子の声が、イヤホン越しに鼓膜を揺らす。

 少し驚いたような、それでいて嬉しさが混じった声。

 俺はその声に違和感を覚える。

 ん? 今の、俺のこと言ってるのか……?

 画面の隅に表示されている数字に目をやる。

  すると、そこには視聴者数、『1』と記されていた。


「……」


 よく見たら同接が1だったのだ。 俺が入った瞬間に、0が1になったらしい。

 つまり、今この配信を見ているのは、世界中で俺しかいないということになる。

 流石に気まずい!

  大勢の中の一人なら気楽に聞き流せるけれど、一対一となると話は別だ。どんな人かも分からない、見知らぬ配信者と二人きりの空間なんて、俺には荷が重すぎる。


 悪いけど、他に行こう。そう思って、そっとブラウザバックしようと指を動かす。

すると、その気配を察知したのか、彼女の慌ただしい声が響いた。


「あの、逃げないでください!」


 捨てられた子犬のような声に、俺は反射的に指を止めた。


「ずっと誰も来なくて寂しかったんです。良かったら、少しだけお話していきませんか? BGM代わりでもいいので」


 そんな懇願に俺は毒牙を抜かれてしまう。

 仮にお世辞だとしても、こんな俺でも必要とされているという事実が嬉しいのだ。


「こんばんは」


 俺はたった一言、コメントを送信する。


「あ、こんばんは! コメントありがとうございます! えへへ、嬉しいなぁ。人とお話しするの久しぶりかも」


 俺がコメントを打つと、即座に反応が返ってくる。ほとんどタイムラグのない会話に近いものだった。俺は暫くの間、その子と当たり障りのない話を続けた。会話の中でその子が同世代である事が判明。そして、彼女の優しくて、癒しを感じさせる声は俺の心に少しづつ染み渡ってくる。数千、数万人が熱狂する有名配信者のライブよりも、たった一人のために語り掛けてくれるこの声が何よりも心地良い。


 だからなのだろうか。俺はついつい油断して、心の内にあった感情を吐き出してしまった。顔も知らない相手だからこそ、言える気がしたのだ。


「実は俺、付き合っていた恋人がいたんだけど、彼女に浮気されたんだ」


 送信ボタンを押してから、後悔が押し寄せる。流石に重すぎたっ! 初対面の人に身の上相談、しかも内容はNTR体験談である。完全なる地雷トークだ。ドン引きさせたよな、流石に……。

 俺がすぐに逃げられるようにブラウザバックの準備をしていると、彼女の息を吞む声が聞こえてきた。


「え、浮気?」


 ほら言わんこっちゃない……。恐らく彼女は言葉を失っている。先程までの楽しい会話に水を差してしまったのだからそれも当然の反応である。

 俺がそう思っていた矢先、彼女が更にこう続けた。


「浮気した人、許せないですね」


 え? 予想外の反応に俺は驚いてしまった。

 何故ならまるで自分の事のように怒っている声のトーンだったからだ。


「一体何があったんですか?」


 俺はその反応に絆されて、結局詳細まで話してしまった。

 すると、その話を受けて彼女は更に俺を励ましてくれた。


「ましろさんは、こんなに優しい人なのに……。絶対に他に良い人がいると思うので、あんな人たちの事気にしちゃ駄目です! ましろさんには、もっと他に良い人がいると思います! なんて、恋愛経験の無い私が言うのも変な話ですけど……」


 そんな不器用ながらもストレートな物言いが俺の心に刺さった。

 確かに俺は、その言葉に救われたのだ。

 俺は恐らく、誰かに話を聞いて、肯定されたかったのだと思う。


「ありがとう」


 俺は彼女との配信で出会ったこの日、ぐっすりと眠ることが出来た。


 ——。

 そして、気付けば翌日以降も、俺は『runaruna』の配信に来ていた。俺のメンタルの回復と共に配信のリスナーの人数も日を追うごとに一人、また一人と増えていった。それも当然の話。何故なら彼女には人を惹きつける才能があったのだ。


 天性の透き通るような癒しボイス。リスナーのコメントを的確に広い、話題を広げるトーク力。画面の向こうに居る顔を知らない誰かを大切にしようとするひたむきさ。


「あ、ましろさん! こんばんは! 今日も来てくれたんですね!」


 古参ぶるつもりはないが、俺は彼女に認知されていて、配信にコメントすると嬉しそうに笑ってくれる。俺の人生の唯一の誇りである。

 そんな日常が続く中、彼女の勢いは止まることを知らなかった。


「えっ、何か今日いつもよりも人が多い……。噓じゃないですよね!?」


 人気は徐々に増えて、同接も多いときは1000人を超えるようになった。元々無名だった時の事を知っているからこそ、個人配信者がこんなに人に集めるのは異常だというのが良く分かる。コメントはとめどなく流れて、俺のコメントもその他大勢の一人という感じが強くなる。それは少し寂しいことだけど、それ以上に誇らしかった。

 俺を救ってくれた『runaruna』が皆を癒し続けている事が何よりも。


 だけど、そんな平穏な日々は長くは続かなかった。


『runaruna』を知ってから早三ヶ月。俺の日常の一部として、支えになっていた彼女のチャンネルに、唐突な生配信の通知が表示された。


『【大切なお知らせ】今日の配信で、活動を終了します』


 噓だろ……。

 俺はあまりの衝撃に、思わずスマホを落としそうになった。

 折角、彼女の配信活動も軌道になっていたのに、一体どうして?

 そんな疑問と共に、こんな早く終わりが来るなんて俄かに信じがたかった。


「私のワガママで突然ごめんなさい。引退する理由としては、最も大きな夢を叶える為に、前に進みたいからです。」


 最後の雑談を交えた配信で、彼女は時折泣きながらもリスナーに引退をする経緯を説明した。やがてあっという間に配信が終わり、画面が暗転する。

 もう二度と、このチャンネルの配信が行われないと知って、虚しい気持ちでいっぱいになる。俺を救ってくれた彼女はもういない。今後は声すら聞くことすら叶わないのだ。

 これから俺は、何を支えに生きていけばいいんだ……。

 ほとんど放心状態になっていた俺に、SNSのダイレクトメッセージが送られてきた。


 送り主はなんと、『runaruna』だった。


 心臓がバクバクと音を立て始める。


『ましろさんへ 

 急な引退で驚かせてごめんなさい。実は、大手のVtuber事務所からスカウトを頂きました。守秘義務とか規約があって本当は公には言えないんですけど、ましろさんだけにはどうしても伝えたくて。私がここまで来れたのは、あの日、ましろさんと出会ったお陰だから。私は来月からVtuberとして、新しい名前でデビューします。姿は二次元の女の子に変わっちゃうけど、中身はあの時のままです。だから……これからも、応援してくれると嬉しいです。  runarunaより』



 何だよ、そういう事だったのか……。

 俺は勝手に勘違いをしていた。彼女は俺を置いていったわけじゃなかったのだ。

 それに加えて、彼女は出会った日の事を覚えていてくれていた。


『教えてくれてありがとう。 勿論、応援するよ! 絶対に!』


 返信をすると、言質を取ったと言わんばかりにハートのスタンプが送られてきた。


 それが俺と『runaruna』とのメッセージを通じた最後の会話だった。


 そして、予告通りの一か月後。

 大手Vtuber事務所の「5期生」デビューリレー配信の日がやってきた。

 最初の配信にもかかわらず、待機所には数万人という桁違いの数字が並んでいる。

 俺は以前と同じアカウントで、緊張しながらも配信が始まるのを待っていた。


 画面が切り替わり、オープニングムービーと共に現れたのはロングヘアの銀髪に三日月の髪飾りをつけた、可愛らしいLive2Dモデル。

 あの日出会った彼女が、新しいステージに立った瞬間だった。


「あー、あー!。マイクテスッ! 皆さん聞こえてますか!?」


『きたあああああああ!!!!』

『遂に始まった!』

『伝説の始まり!』

『聞こえてますうぅぅうううう!!』


 緊張しているのか、どこか震えているけど、懐かしい声。

 コメント欄は滝のように流れ始めている。

 彼女は一度軽く息を吸い込み、配信を見ている人達に向けて高らかに宣言した。


「こんばんナイト! みんなを照らす輝く月! 天宮ルナですっ!」


『天宮ルナ』。 それが、前世の『runaruna』から変わった彼女の新しい名前。


 そして、俺と彼女の新たな物語の幕開けだった。

 俺とルナはリスナーと配信者の関係。


 この時の俺はまさかあんな親密な関係になるなんて、思ってもいなかったんだ。


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