浮かぶ青、青い顔

木緒竜胆

浮かぶ青、青い顔

 私は昔から、見えてはいけないものが見える人間だった。

 物心が表出する頃には既に幾つかのおかるちっくな体験をしている。

 幽霊と聞けば、青々と浮かぶ人魂に囲まれたちいちゃな船が私の目線の先でふわふわと浮かんでいる姿が見える。

 三歳と五歳の時にはある日、なかなか寝付けずいると、青い顔をしたお化けを名乗る何者かに抱きかかえられ、お化け屋敷というところに連れて行かれそうになった。

 また蛍光灯のスイッチコードをパンチングボール代わりに遊んでいると、ふとした拍子にコードが首に絡まり、ぐぐっと首が絞まるなんてこともあった。その時はバッタバッタと暴れていると、二階から母親が下りてきて、何とか事無きを得た。

 しかし今現在、そのことを母に話してみると「アンタは何言っとるん? 夢でも見とったんやないか?」なんて言われる始末だ。

 マッタク、不思議なことダ。

 ソウソウ。不思議なコト、と言えばあれも忘れられない。

 私の実家の階段には、壁に一枚の写真が飾ってある。何処かの山の近くを誰とも知れぬ男がリュックを背負って歩いている写真だ。

 子供の頃、母か父に「この写真は何?」と訊ねると「この写真? 前の人が置いていったやつだよ」と返されたのを覚えている。

 しかし大学に入り、一人暮らしを始めてしばらくすると、ふと私は思ったのだ。

 あれ? 確かうちって新築じゃなかったか? 確か父方の祖父母が結婚祝いに買ってくれただの何だの、教えてもらった記憶がある。

 冬季休暇中に帰省し、そのことを話してみると、両親共に「あれ? 会社の同僚に貰ったやつじゃないかな」と口を揃えて言う。

 それはトテモ、不思議であるナア。何故って? アハアハ。二人とも、断定せず言葉を濁しているからだ!

 記憶が曖昧? アハアハ。わざわざ階段に飾るくらいだ。十年かそこらで忘れるはずがないだろう。

 階段と言えば、恐ろしい話が一つある。私の家の階段にはいつだって闇がある。

 階段の前に立つと、左手にはトイレと廊下とを隔てるドアがある。黒く、暗く。

 ちょうど踊り場に辿り着くと、またしても左手に闇がある。リビングへと繋がるドアと、廊下とを隔てる直角の角、柱。そこはいつも、真っ暗だ。

 いつ頃から見始めるようになったかは忘れてしまったが、それらの闇にはいつも白い丸が浮かんでいる。それは焚き火のように不鮮明な白だったり、ハッキリと人の頭部として浮かんでいたり……と、とにかく色々だ。

 白い丸がどの程度鮮明かは日によって差はあれど、いつの日も、決まって白は、映えていた。黒より黒い黒の中には、決まって白が、映えるのサ。

 斯様な不思議な体験が私におかるちっくなせんさあを発現させた。否、それらはさながら儀式の用意のように、私の精神の健常性がアポトーシスするだけのポテンシャルを完成させた。

 完治完治! 否、完成。私が明確におかしくなったと言えるのは、あの時からだ。


 中学生の時、給食を食べ終わってまったりしていると、同じグループの女子が話しかけてきた。

「ねえねえ。目を閉じてみて」

 私は言われるままに瞑目すると、その女子は堰を切ったように話し出した。

「あ、絶対に終わるまで目を開けないでね。危ないから。えー、自分の家の玄関の前を想像してみてください。そうしたら、そのまま家に入って、全てのドアを開けてきてください。その後、玄関まで戻ってきて、今度は全てのドアを閉めてきてください。そうしたら、家を出てください。終わったら目を開けて」

 私が目を開けると、好奇や興味、若干の恐怖に顔を歪ませながら、彼女はこう問うた。

「あなたが家を歩き回ってる途中、家に誰かいましたか?」

 私はさもありなんと、こう答える。

「いたよ」

 いつも、いつも、いる。彼女はいつもいる。階段周辺……あの写真が飾られた階段周辺の闇に、あの顔面はいつも浮かんでいる。

「きゃー、キャハ、キャハ」

 私の答えが存外彼女らの好奇心を充足させたのか、私に話しかけてきた女子は友人たちとキャルキャルと騒ぎ始める。恥じらいなく、遠慮なく、ただ好奇だけを胸に騒めく。

 一頻り騒いだ彼女は重々しく、というよりおどろおどろしく口を開いた。

「今のはね、霊感テストなんだ! 家の中に誰かいた人は、霊感があるんだって! ちなみに、途中でやめると、なんか危ないらしいよ」

 この時は、全く馬鹿馬鹿しいと思っていた。私が毎日見る白い顔。あれは典型的なステレオタイプだ。

 幽霊というのは、白い女の人というひな形、乃至鋳型があり、あの頭もその枠から逸脱してはいない。彼女はいつも顔面の構造こそ全く記憶に残らない。しかし決まって、女であるというコトだけはいつもハッキリとわかった。故に斯様な仮説が立てられる。

 闇や黒、暗いといった事象に対して先天的、若しくは後天的に恐怖を感じている私は、その恐怖の具現として幽霊モドキを作り出した。

 ウム、ウム。全く以て、リアリスチックな分析である。


 しかし私はこの日以降、彼女に悩まされることとなる。

 私は霊感テストを行って以降、毎日のように頭部を見ることとなった。

 今までは一週間から二週間に一度しか見ることのなかった、具体的な頭部。私を見つめる頭部。それらは毎日、現れるようになった。最早、白い丸なんてものは私の奇しい家からは消え去ったと言えよう。そんな家模様。恐怖! 否、恐怖恐怖恐怖!

 そら恐ろしいなんて、曖昧な形容、できようか! 私の前に現るる不明瞭な白は消え去った!

 残るは白! 具体化した顔面! そら、なんて濁せぬ! 純然たる顔。純然たる顔面。純然たる頭部

 それらは困ったことに、階段以外にも現れるようになった。

 顔はいつも、隙間に現れる。ドアを閉める時、通路を横切る時、そっと目を閉じる時。

 意識が今この瞬間捉えている視界から新たな視界へと移るその一瞬、その隙間に、決まってヤツは現れた。

 真ん中よりやや上のあたり。ちょうど……ちょうど彼女に体があるとすれば、ちょうどこの辺りに顔が来るのであろうという高さにいつも頭部が浮かんでいる。いつも、いつも……隙間さえあれば彼女はやってくる。


 最近、身体の調子が悪い。二六時中倦怠感があり、寝ている時には男の叫び声が聞こえる。

 恐らく双極性障害や統合失調症に因る幻覚なのだろう。深夜、外から聞こえた叫び声はバイクの音か何かなのか知らん。

 しかし! ……しかしだナ。

 私がこうした精神の病に罹ってしまったのは大学生になってからであり、原因はおそらく人間関係に関連するストレスだ。

 デハ、予てより私の前に現しているあの顔は?

 最近になって精神疾患を発症したことで、かつては精神の健康を保っていたことが明らかとなってしまった。

 幼少より、私が見てきたあの顔は一体何なのだろうか?

 まあ、きちがいの虚言だと笑いたければ笑うとイイサ。


 ぴーぴーぴーと、玄関ドアの向こうから音が鳴る。

 私は玄関ドアを開け、すぐ右手側に設置してある洗濯機より、三日分の衣類を取り込んだ。

 灰色の容器に洗濯物を詰め込み、私は玄関ドアをばたりと閉めた。

 ほら、まただ。今日もまた、ドアと外界との隙間に頭部が浮かんでいる。

 

 

 

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浮かぶ青、青い顔 木緒竜胆 @kio_rindou

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