第1章 4月8日編
第1話 男だらけの洗面所
近況ノートにヒロインのイラスト公開しています。
◆◆◆
この世界は、どこか狂っている。
男女比一対千。遺伝子の悪戯か、男が極端に少なく生まれ、女が世界を埋め尽くしている社会。
そこでは、男は「保護されるべき希少種」であり、女たちは種を残すため、あるいは愛でるために、飢えたハイエナのように男を狙っている――というのが世間の常識だ。男がうっかり一人で街を歩けば、またたく間に拉致され、監禁され、骨までしゃぶり尽くされる。そんな貞操観念が逆転したディストピアが、俺の生きる日常だ。
だが、俺――
なぜなら、俺には最強の「男友達」がいるからだ。男同士で群れることすら許されないこの世界で、奇跡的に出会った三人の親友たち。彼らがいれば、俺の貞操も、男としての尊厳も守られる。そう信じているからこそ、俺はこの世界で正気を保っていられるのだ。
鏡越しに時計を見ると、針は七時十五分を指していた。
まだ登校まで余裕はあるが、ここで二度寝の誘惑に負ければ遅刻確定という絶妙な時間だ。
口をゆすごうとコップに水を汲んだその時、洗面所のドアが何の前触れもなくガラリと開け放たれる。
「よっ、おはよう! 相変わらず豪快な寝癖だなぁ」
ドカドカと狭い洗面所に上がり込んできたのは、同級生の
「……湊、朝から騒ぐな。あいつが驚くだろ」
その後ろから、低い声とともに
「先輩、おはよーございます! えへへ、ボクの制服姿、どう? 似合ってる?」
司先輩の脇からひょっこりと顔を出したのは、今日が入学式となる一歳下の
男三人、朝から当然のように俺の家に上がり込んでいるこの状況。
湊がニカっと笑って、俺の肩に馴れ馴れしく腕を回してきた。
「ほら、さっさと顔洗えよ。今日から俺とお前は同じクラスだぜ? 楽しみだよなー!」
「三人ともおはよう。てか、なんで朝から俺ん家にいんの? 相変わらず距離感バグってるよな。まあ男同士だからいいけどさ。湊、お前女だったら即刑務所行きだぞ? ……しかし、男の家がこんなに侵入されやすいってのも不用心だよな。俺、鍵閉めてたよな?」
「女だったら刑務所」という言葉に、湊が一瞬だけ、本当に一瞬だけピクリと動きを止めた。
だがすぐに、その表情をニカっとした快活な笑顔で塗りつぶし、バシバシと俺の背中を叩いてくる。
「はっはっは! よせやい、怖い冗談言うなよなー。俺たちが女なわけないだろ? 男同士のスキンシップだって、男同士の!」
湊はそう言いながら、どさくさに紛れて腰のあたりに腕を回し、密着度を高めてくる。その体温は少し高い気がする。
壁に寄りかかっていた司先輩が、あきれ顔でため息をつきつつ、指先でチャリっと金属音を鳴らした。その指には、見覚えのある銀色の鍵がぶら下がっている。
「……鍵ならここにある。お前がいつ失くしてもいいように、俺がスペアを預かってるんだよ。『男の家』は本来要塞並みのセキュリティが必要なんだぞ? お前の防犯意識がザルすぎるから、俺たちが毎朝こうして
司先輩はもっともらしい理由を並べているが、いつスペアキーを渡したのか記憶にない。その瞳の奥が、獲物を逃がさない捕食者のようにギラリと光った気がしたが、すぐに涼しい「兄貴分」の顔に戻った。
「えー、ボクもスペア欲しいなぁ……。ねえ先輩、早く着替えてよぉ。ボク、先輩のネクタイ結んであげたい!」
類が俺のパジャマの裾をクイクイと引っ張り、上目遣いで急かしてくる。その距離が近すぎて、甘いシャンプーの香りが鼻をくすぐる。男にしてはいい匂いがしすぎる気もするが、類は「美少年」だからそんなものなのだろうか。
「ほら、ボクが背中流してあげようか? それとも着替え手伝う?」
湊がニヤニヤしながら、洗面台の横にある着替えカゴを物色し始めた。
「……湊、調子に乗るな。こいつが遅刻する」
司先輩が湊の首根っこを掴んで引き剥がすが、その司先輩もまた、脱衣所の出口を塞ぐように立ち、俺が逃げられないようにしている。
どうやら、さっさと準備をしないと、この男三人に揉みくちゃにされそうだ。
「何いってんだ。まあ、湊となら一緒に温泉行くのもありかもな」
そんな軽口を叩きながら着替えようとするが、ふと気づく。
「すまん、着替えて飯食って準備するから先外で待っといてくんない?」
ちなみに俺は、高校に通うために母と離れて一人暮らしをしている。理由は高校の遠さではなく、このまま実家で甘やかされたらダメ人間になって死にそうだったからだ。三人は幼馴染だが、まさか実家から遠いこの高校に進学するとは思っていなかった。司先輩に関しては、俺が中二の時にその話を相談して、この高校を勧められて、それをきっかけに選んだのだが、別の名門を志望していたはずの司先輩まで、なぜかこの高校にいる。
洗面台に四人もいると人口密度が高すぎるし、三人が家に入ってくるのも久しぶりな気がする。
「お、温泉……!?」
俺の何気ない「湊とならあり」という言葉を聞いた瞬間、湊の動きが完全に停止した。
さっきまでの快活な笑顔が凍りつき、みるみるうちに顔が真っ赤になっていく。
(男湯……研一郎と……裸の付き合い……背中の流しっこ……!)
湊の脳内で特大の妄想が爆発したのが目に見えるようだった。彼女(彼?)は鼻を押さえ、ブツブツと何かを呟き始める。「ありだ……ありって言った……言質とったぞ……」
「……チッ」
その様子を見て、司先輩が盛大に舌打ちをした。
明らかに不機嫌オーラ全開で、固まっている湊の襟首を乱暴に掴む。
「おい、研一郎が着替えるって言ってるだろ。さっさと出るぞ、この変態」
「えーっ! ズルいよ先輩! なんで湊先輩だけ!? ボクも研一郎先輩と温泉行きたい! 混浴……じゃなくて、男同士の裸の付き合いしたい!!」
「うるさい。ほら、行くぞ。……研一郎」
去り際、司先輩が振り返り、少しだけ表情を緩めて俺を見た。
「変なこと言ってないで早く着替えろ。リビングで待ってるからな。朝飯、母さんはもう仕事行ってるだろ? 俺がトースト焼いておいてやる」
バタン、と洗面所のドアが閉められる。
廊下からは、「鼻血出てるぞ」「これもう実質プロポーズだろ!?」なんていう騒がしい声が聞こえてくる。
とりあえず、狭い洗面所に平穏が戻った。
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