第2話:最前線の真実と、唯一の希望の消失

 ガタガタと激しく揺れる馬車の中で、俺は何度も配属通知書を読み返していた。

 『北の離宮』。

 その文字を見るたびに、俺の頬は緩み、将来の優雅な生活への妄想が膨らむ。


(母さん、見ていてくれ。俺は最短ルートで伝説になるよ)


 ところが、馬車が止まり、扉が開いた瞬間に吹き込んできたのは――。

 鼻を突くような、生臭い鉄の匂い。

 そして、肌を刺すほどに冷たく、砂混じりの乾いた風だった。


「……え?」


 俺が呆然と馬車を降りると、そこには豪華な離宮なんて微塵もなかった。

 視界に飛び込んできたのは、どす黒く汚れた石壁。

 あちこちに矢が突き刺さり、魔法の爆痕が刻まれた、巨大な要塞。


 空はどんよりと重く、遠くからは地響きのような怒号が絶えず響いている。

 行き交う人々は、華やかな貴族ではなく、返り血を浴びてボロボロになった鎧姿の兵士たちだ。


 ――北方最前線、第十三騎士団駐屯地。通称『不帰の砦』。


「な、なんだこれ……。何かの冗談だよな……?」


 俺は震える手で通知書を裏返した。

 そこには、役人用の手続き欄に、恐ろしい文字が記されていた。


 『配属先・北の不帰の砦へ』


(え? 嘘だ……。記入ミス……か? こんなの、絶対に認めないぞ……!)


 何度も確認したが、紛れもなく『配属先・北の不帰の砦へ』と書いてある。

 俺の頭の中は、自分の完璧なキャリアプランが崩壊する恐怖でいっぱいになった。


 キャリアプランどころか、俺の命すら危ない!


「あ、あの……! 指揮官はどこですか!? 指揮官に会わせてくれ!!」


 俺は半狂乱で、通りがかった兵士の袖を掴んだ。

 

 

 案内されたのは、要塞の最上階にある執務室だった。

 そこに座っていたのは、白髪混じりの髭を蓄えた、岩のように厳格そうな老将軍だった。

 彼は俺が差し出した通知書をじっと見つめ、それから俺の「魔銀製の包丁ケース」に目を留める。


「……宮廷料理人の首席、だと? そんな宝を、なぜこの地獄へ寄越した」


「間違いなんです! 人事のミスなんです! 俺は離宮で、王族の皆様に最高の一皿を振る舞うべき人間なんです!」


 俺は必死に訴えた。

 床に膝をつき、必死の形相で老将軍を見上げる。

 ここで帰れなければ、俺の人生は終わりだ。


 老将軍は深く溜息をつき、俺の肩に分厚い手を置いた。


「分かった。君のような若者を、こんな場所で死なせるわけにはいかん。明日、私が直接王宮へ戻る予定がある。その際、人事に厳重に抗議し、君の配属を修正させてこよう」


「本当……本当ですか!?」


「ああ。君の目は、死地を求める戦士のそれではない。美食を追求する者の、純粋で必死な目だ。約束しよう。明朝まで、この砦で大人しく待っているがいい」


「ありがとうございます……! ありがとうございます……!!」


 俺は床に額を擦りつけ、救われた喜びで涙を流した。

 


 

 その夜。

 俺は砦の隅にある質素な寝床で、明日への希望に胸を膨らませていた。

 

(よかった……。これで明日には、こんな不衛生な場所とはおさらばだ)

(離宮に行けば、高級な肉も、新鮮な野菜も、最高のワインも揃っている……)


 ――ズドォォォォォンッ!!


 突如として、大地を揺るがす大爆発が起きた。

 

「な、なんだ!? 何が起きた!?」


 俺が飛び起きると、外からは耳を劈くような悲鳴と、金属同士が激しくぶつかり合う音が響いてきた。


「敵襲だぁぁぁ! 魔王軍、西門を突破!!」

「火魔法だ! 消火を急げ!!」


 嘘だろ。

 どうして、今なんだ。

 

 俺が部屋を飛び出すと、廊下はすでに炎に包まれていた。

 壁が崩れ、熱風が俺の頬を焼く。

 パニックに陥りながら階段を駆け下りると、そこには傷だらけで剣を振るう老将軍の姿があった。


「将軍! 将軍、早く逃げましょう! 王宮に戻るんでしょう!?」


 俺の叫び声に、将軍が振り返る。

 だが、その背後から――。

 闇を切り裂くような、巨大な魔力の矢が飛来した。


「……っ、逃げろ、レオン!!」


 将軍は俺を力一杯突き飛ばした。

 

 ドシュッ。

 

 鈍い音がして、将軍の胸を黒い矢が貫通する。

 

「あ……あ……」


 俺の目の前で、唯一の希望だった老将軍が、崩れるように膝をついた。

 彼は血を吐きながらも、必死に俺を指差し、森の方を指し示す。


「生き……延びろ……。お前の……料理を……誰かに……」


 それが、最期の言葉だった。

 

 将軍の体が動かなくなり、その周囲を魔王軍の兵士たちが包囲していく。

 俺の配属ミスを証明できる、唯一の人間。

 俺を王都へ帰してくれる、唯一の味方。

 その人が、今、目の前で失われた。


「ああああああああああああっ!!」


 俺はなりふり構わず、燃え盛る砦を飛び出し、暗い森の中へと走り出した。

 背後では、俺の夢と将来を飲み込むように、紅蓮の炎が天を焦がしていた。


(どうしてだよ……。俺のレストラン……俺の退職金……俺の……俺の人生ぇぇぇぇぇ!!)


 絶望の叫びは、冷たい夜の風にかき消されていった。


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