竜人王女殿下は番を愛さない

菜口いず

竜人王女殿下は番を愛さない



 王女殿下は、竜人であるにも関わらず番を愛していない。


 それは、人々の間で囁かれている一つの噂だった。



 王女オーレリアは、王宮の一室で長椅子に腰掛けていた。

 腰まで届く月光のような銀髪。ルビーのような赤い目の瞳孔は縦長で、髪の間からのぞく耳は少し尖っている。それらは、竜人の特徴だ。だが、竜人といえど、人間との違いはそれくらいで、寿命もあまり変わらない。


 オーレリアは、静かに庭園を見下ろしていた。


 磨き上げられた窓硝子の向こう側。オーレリアの視線の先には、ガゼボで楽しげに話す男女の姿があった。


 一人は、可愛らしい茶髪の侍女。そして、その隣にいるのは、オーレリアの婚約者であり、《番》であるギルバートだった。


 黒髪、夜空をそのまま閉じ込めたような青い目。端正な顔立ち。


 ギルバートは、茶髪の侍女と楽しそうに話しながら、時折ふっと笑っている。


(……あんな風に笑うのね)


 オーレリアは顔色を変えることなく静かにそう思った。

 そばに控えていた侍女ライラは、その様子に眉をひそめる。


「オーレリア様、よろしいのですか」

「構わないわ」

「……」


 ライラは、納得がいかないような顔で黙り込む。オーレリアの目は、ガゼボの方を向いていた。


 談笑する二人の距離は、心なしか近い。


 その時、庭園でふっと風が吹き、侍女の栗色の髪に、飛んできた白い花弁がふわりとつく。


(……あ)


 ギルバートは更に体を寄せて、優しくその花弁をとった。驚いて目を丸くする侍女に、笑いながらその花を見せる。


 こんな花弁がついていました。風で飛んできたようです。


 きっと、ギルバートはそんなことを言ったのだろう。

 侍女は恥ずかしそうに頬を染めて、笑う。

 どこか甘酸っぱい空気が二人の間に流れる。


 人間などは例外だが、竜人などの種族は、本能的に「自分と最も相性の良い相手」を見つけ出す。その相手が番だ。番が分かる種族は、基本的に番を深く愛して、手放さぬよう束縛する。


 だが、オーレリアはそんな二人の様子を気にせず、ライラを振り返った。


「そろそろ、こんな風に見物するのはやめましょう。ギルバートを待たせてはいけないわ」


 ライラは、窓の外にぞっとする程冷たい視線を向ける。オーレリアは何も言わず、美しい紅の双眸でじっとライラを見つめた。


「……承知いたしました」


 ライラは、苦しげにそう返事をした。


 オーレリアは立ち上がって歩き出す。部屋から出る前に、ちらとガゼボを振り返る。


 その一瞬、遠くのギルバートと目が合ったような気がした。




 ◇◇




「遅くなってしまってごめんなさい。先程まで歴史の授業があったの」

「いえ、こちらこそ、突然訪ねてしまって申し訳ありません」


 その後、王宮の温室の一角。


 白いテーブルには、可愛らしいお茶菓子や琥珀色の紅茶が並んでいる。周囲には草花が咲き乱れ、硝子張りの天井から、太陽光が降り注いでいる。


 オーレリアは、紅茶のカップを口元に運び、向かいに座るギルバートを見た。

 

 ギルバートは顔を上げて、にこりと微笑む。どこか作られたように感じる笑みに、オーレリアは目を伏せた。


(……あの侍女の時とは違う)


 やはり、ギルバートはオーレリアを好いていないのだろう。オーレリアは、頭の中で冷静に結論を出した。


 カップをソーサーの上へ戻した時、ギルバートが口を開いた。

 

「そういえば、先程、ガゼボから殿下の姿が見えたような気がしたのですが、見られていましたか」


 オーレリアは、ぴたりと動きを止めた。


「……不快に思ったかしら」

「いえ、咎める訳ではないのです。ただ、勘違いをさせてしまったかもしれないと」

「勘違い?」


 オーレリアは、不思議そうに首を傾ける。銀髪がさらりと流れた。


「侍女と一緒にいましたが、あれは彼女に庭園を案内してもらっていただけで……」


 目を瞬く。そして、言い訳をしている理由に思い至って悲しくなった。

 そんなオーレリアに気がつかないまま、ギルバートは話を続ける。


「その後彼女の髪に触れたのは、花弁がついていたからです。王宮の侍女がこれではまずいだろうと、咄嗟に」


 申し訳ありません、とギルバートは謝罪の言葉を口にした。その真摯な目を、オーレリアは直視出来なかった。


「……番だからと言って、私の目を、そんなに気にせずとも構わないわ」

「え?」


 それは、ずっと思っていたことだった。


「私は、あなたが誰と親しくしようと咎めるつもりはないの。私の婚約者として行動に注意する必要性はあるけれど、私の番だから関わる人を制限する必要性はない」


 ギルバートは何も言わなかった。


 ギルバートの目を見れず、オーレリアはぐっと握り込んだ自身の手を見つめていた。


 オーレリアがギルバートを愛していないなんて噂は嘘だ。


 ギルバートを大切に思っているから、縛り付けたくない。なるべく自由にさせたい。だから、竜人としての本能に抗いあまり干渉しないようにしている。

 それで、結果的に「愛していない」ように見えてしまうのだ。


 脳裏に、竜人であり王である父の言葉が浮かぶ。


『オーレリア。酷なことを言うが、番にはあまり干渉し過ぎないようにしなさい』


 番を見つけたと、父に告げた日。まだ幼いオーラリアは、ゆっくりと顔を上げた。


『私が、王女だからですか?』

『ああ。王女であるお前が番に執心してしまえば、民も不安になる』


 オーレリアは、納得がいかないような気持ちで唇を噛む。父は赤い目を細めた。


『それに、干渉しすぎないというのも一つの愛情表現であると、私は思う』

『……?』


 オーレリアは、背の高い父を見上げて、首を傾げてきょとんとした。


『彼は人間だ。竜人である私達の、番に対する気持ちが分からない。彼の気持ちを尊重して、自分の感情を抑えることが、王家の人間として相応しい行為であり、彼への愛情の表れだ』


 オーレリアは、今に至るまで父の教えを守り続けてきた。


 オーレリアは、そろりと顔を上げて、何も言わないギルバートの様子を伺う。そして、目を大きくした。


「……ギルバート?」


 ギルバートは、オーレリアと目が合っても、微笑まなかった。無表情で、美しい青の目がじっとオーレリアを見つめている。


「殿下、こんな噂を知っていますか」


 ギルバートの声音は、いつもよりも温度が低かった。


「王女殿下は、竜人であるにも関わらず番を愛していない」


 ギルバートの態度に違和感を感じながら、オーレリアは答える。


「ただの噂話よ、全くの出鱈目だわ」

「そうでしょうか?俺は本当のことだと思っていますが」


 オーレリアは困惑していた。どこか仄暗いギルバートの目を見て、違和感が募る。


「そもそも、俺は本当に殿下の番でしょうか」


 意表を突かれたオーレリアは、何も言うことが出来ずぽかんとした。


「公爵家の人間と婚約を結ぶことが政治的に都合が良かったから、番だからという嘘の理由を作り上げ、俺を婚約者に……」

「やめなさい」


 思っていたよりも冷たい声でそう言ってしまった。ギルバートは瞠目して、目を逸らす。


「……申し訳ありません」


 穏やかだった温室に、気まずい空気が流れる。


「今日の俺は少しおかしいですね、貴方に謝らなければならないことをもう二つも作ってしまった」

「……二つ?」


 オーレリアは怪訝そうにそう聞く。一つは今の発言、もう一つは。


「もうお気づきかもしれない程、浅はかな嘘です。俺が侍女に近づき花弁を取ったのは、あなたに少しでも嫉妬して欲しかったからだ」


 意味が分からなかった。だって、嫉妬して欲しいだなんて、そんなのまるで……。


「俺はあなたに恋焦がれています。あなたは、違うでしょうけれど」


 オーレリアは、両目を見開いて、息を呑んだ。


 一瞬、理解出来なかった。その言葉を反芻して、ようやく意味を理解して、体が熱くなる。


「……まさか、冗談でしょう」

「いいえ、本当です。残念ながら」


 ギルバートは自嘲気味に笑った。


「あなたは、私の前ではいつも取り繕ったような笑い方なのに」

「目の前に好きな人がいるのですから、緊張もするでしょう」

「そんな素振り、今まで少しも見せなかったわ」


 きっと嘘だ。オーレリアは、そう自分に思い込ませることに必死だった。そうしなければ、今日父の教えを破ってしまうことになりそうだった。


 ギルバートが、急に立ち上がった。驚いて目を丸くするオーレリアに近づいて、顔を寄せる。


「見せましょうか」 


 オーレリアの頬に手が伸びて、さらりと愛しげに撫でる。額が触れ合うほど距離が近い。


「ぎ、ギルバート?何を……」

「目を閉じて」


 オーレリアの心臓が早鐘を打つ。


 動揺する頭の中で、近くで見ると本当に綺麗な顔立ちをしているな、と現実逃避じみたことを思う。

(違う、そうじゃないわ……こ、この状況は良くない……!)

 オーレリアは理性的だ。だが、このまま身を任せてしまえば、確実にタガが外れる。


「オーレリア」

「……っ」


 ギルバートが、固まっているオーレリアの名を呼ぶ。初めてだ、と思った。名前を呼ばれたのは、それも、こんなにも甘やかな声で。


 限界になって、咄嗟に手でギルバートを押し返した。


 ぴたりと、ギルバートが動きを止める。

 そして、体温がすっと離れていった。


「申し訳ありません……あなたの気持ちも考えず」


 その声に、オーレリアは後悔してしまった。ぱっと顔を上げて、何か言おうとする前に、ギルバートが先に口を開く。


「今日は帰って頭を冷やします。突然訪ねて、突然帰る非礼をどうかお許しください」


 どう声をかければいいのか分からず、オーレリアは俯く。


「…………ええ」


 ようやく絞り出したのは、そんな返事だけで、不器用な自分にどうしようもなく腹が立った。




 ◇◇




「どうすればいいのかしら、ライラ……」


 ギルバートが帰ってしまった後、オーレリアは暗い顔でライラにそう尋ねた。


 広い自室の長椅子で、オーレリアはクッションを抱き締めている。


 美しい佇まいで立っているライラは、主人の言葉に凛とした声で答えた。


「殿下の心を乱すような人間は放っておけばよろしいかと」

「それは駄目よ……」


 ライラはどうしてだか昔から、異常なまでにオーレリアを敬愛している。ギルバートと侍女がいるガゼボを射殺さんばかりに見ていたのを思い出した。


「私の性別が違えば、殿下を娶りあの男に殿下を傷つけたことを後悔させられましたのに……」


 そんなライラのぼやきは聞かなかったことにする。


 浮かない顔のオーレリアに、「優秀な侍女」に戻ったライラが尋ねる。


「カモミールティーをお淹れしましょうか」

「ええ、お願い」


 ライラが承知致しましたと一礼する。その時、開け放たれた扉をノックする音がした。オーレリアは扉の方を振り返る。


「お兄様」


 そこに立っていたのは、王太子エドワードだった。

 オーレリアと同じ銀髪と赤い瞳。その目にも、竜人の特徴が見受けられる。


「オーレリア、少し話せるか」

「ええ」


 オーレリアは長椅子から立ち上がる。エドワードは、じっとオーレリアを観察して言った。


「……なるほど、確かに表情が暗いな」

「え?」

「お父様がお前を心配していた。代わりに様子を確認して来いと言われたんだ」


 エドワードは向かいの長椅子に腰掛ける。


「そんなに顔に出ていましたか」


 オーレリアは、自分の頬に手を当てた。感情をあまり表情に出さず、冷たいと勘違いされることもある自分が。


「ああ、お前にしては。……何かあったのか」


 その声には、心配する気持ちが滲んでいた。少し考えて、オーレリアは静かに話し始めた。


 どうやら、オーレリアがギルバートを好いていないと勘違いされていたらしいこと。その誤解を訂正出来ないままギルバートが帰ってしまったこと。


 話の途中で、ライラが温かいカモミールティーを二つ運んできた。それを少し飲んで、話を続ける。


「迷っているの。ギルバートに洗いざらい話すべきか、お父様の教えを守るべきか……」

「お父様の教え?」


 エドワードに、かつて父が言った言葉を説明する。それを聞いて、エドワードは呆れたように笑った。

 

「そうだな、お前は俺と同じで不器用だったな……」

「どういうことですか?」


 オーレリアは不思議そうに尋ねる。部屋には、優しい橙色の太陽光が差している。


「婚約者とは仲睦まじい方が民も安心できるものだ。お母様とお父様を思い出してみろ」


 そう言われて、オーレリアは父と母の様子を振り返る。母は竜人である父の番ではないが、二人の仲は良い。


「大切なのは相手の気持ちを尊重することだとお父様も仰ったのだろう」


 オーレリアは衝撃を受けた。まさか、それなら今までの自分の行動は。


「つまり、今までの私は度が過ぎていて、むしろ素っ気ないくらいだったと言うことですか?」

「ああ、そういうことになる。彼もそう思っていたのだろう」


 後悔や反省の気持ちがどっと押し寄せてくる。更に憂鬱な面持ちになったオーレリアは、沈んだ声で言う。


「でも、私、これまでのように自分を律していないと何だか怖いのです。私が竜人ではなく、その、理性のないトカゲのようになって、皆に失望されないか……」

「トカゲ?」


 エドワードはその言葉に笑って、優しい声音で語りかける。


「大丈夫だよ、そう心配するな。お前が理性的で優秀な王女であることは皆知っている。限度はあるが、お前の心のままにすればいい」



 考えた末に、オーレリアは翌日の舞踏会でギルバートに本当のことを話すと決めた。


 オーレリアは一晩中何を話すかを考え続けた。翌日、ライラに丁寧に準備をしてもらい、舞踏会の時間が訪れた。


(……まずいわ……)


 オーレリアは、美しい真紅のドレスに身を包んでいた。透き通るような白い肌、ハーフアップにした銀髪に、ドレスの赤がよく映える。


 大広間では、色とりどりのドレスを着た令嬢達がダンスを踊っている。


 オーレリアはいつも通りの無表情だったが、内心ではとても焦っていた。


(私、まだ「ええ」と「そうね」くらいしか話せていない……!)


 オーレリアは、そっと隣に立つギルバートの様子を窺う。既にダンスを終えた二人は、大広間の端の方で休憩をしていた。


 オーレリアが話を切り出そうとした瞬間に、何故か貴族たちが恭しく話しかけてくる。そのせいで、未だ本当のことを話せず、二人の間に流れる空気は気まずいまま。


「殿下、飲み物でも取りに行きましょうか」

「いいえ、大丈夫よ」

「分かりました」

「…………」

「……」


 どうしても、あと少しの勇気が出ない。臆病な自分への焦りがにじり寄ってくる。

 オーレリアは無言で大理石の床を見つめている。少しして、オーレリアは意を決して口を開いた。


「……少し、夜風に当たりたいわ。バルコニーに行きましょう」


 ギルバートの腕を引っ張って、オーレリアはバルコニーを目指して歩く。


 静かなバルコニーから見える夜空には、美しい星々が輝いている。ここなら、誰にも邪魔されないだろう。


 オーレリアは、ギルバートを振り返った。星の光のような銀髪が、ふわりと風に靡く。


「その……話したいことがあるの」


 ギルバートは、何かを悟ったように静かに頷いた。


「はい。……甘んじて受け入れます」


 神妙な面持ちのギルバートを不思議に思いながらも、オーレリアは話し出す。


「その……ええと、私は……」


 いざ言おうとして、口ごもる。恥ずかしそうに、ギルバートから目を逸らしながら。


「昨日、私があなたを愛していないと言われたけれど、わ、わたし……」


 手に汗が滲む。恥ずかしさでいっぱいになりながら、オーレリアは漸くその言葉を口にした。


「あなたのことが好きなの」


 そんな告白は、冷たい夜の中にすうっと溶けていった。

 ギルバートは、その夜空に似た美しい目を見開く。


「素っ気なく見えたのは、王女として番に入れ込む訳にはいかないからなのと、あなたの気持ちを尊重する為で……」


 何も言わないギルバートに、オーレリアは必死に説明を続けた。


「とにかく、決してあなたを愛していない訳ではないの。え、ええと、むしろ、昨日だって私は……」

「殿下」


 オーレリアはギルバートを見上げた。改めて見ると、何だか距離が近いような。


「昨日の続きをしても構いませんか」

「え」


 昨日の続き。その言葉の意味を理解して、オーレリアは赤くなって、慌てふためく。


「だっ、駄目よ。そんな、もし誰かに見られたら……!」

「そうですよね、すみません」


 でも、とギルバートが続ける。オーレリアの心臓の鼓動が速くなる。


「今、とてもあなたに触れたい」


 冷たい夜を思わせるギルバートの目が、熱っぽくオーレリアを見つめる。とても、平常心ではいられなかった。狼狽しながら、オーレリアは懸命に返す言葉を探す。


「だ、抱き締める、くらいなら……」


 そう言うと、ギルバートに引き寄せられ、オーレリアは気がついた時には腕の中にいた。ふわりとギルバートの匂いがして、顔が赤くなる。


「ありがとうございます、殿下」


 耳元で、ギルバートが嬉しそうに言う。


「俺も、あなたのことが好きです。……愛しています」


 オーレリアはもう、抱きしめられたまま固まることしか出来なかった。


 ちなみに、舞踏会の翌日から、「オーレリアが番であるギルバートを愛していない」という噂は誤解であると訂正されたそうだ。

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