第6話 善意は、いつだって一歩手前まで正しい
「師匠」
「なんだ」
「今日の依頼、久しぶりに“安心できるやつ”ですよ」
ムコが依頼書をひらひらさせる。
「物が壊れた系です」
「盗難でもない?」
「ないです」
「思想も?」
「たぶん、ないです」
俺は少しだけ肩の力を抜いた。
最近は、
“壊れてるのは物じゃなくて人”
みたいな依頼ばかりだった。
たまには、
ただのあたおかでいい。
今回の依頼:割られた「マグカップ」
依頼人は、二十代後半の男性。
職業、無職(自称・充電期間中)。
部屋に通され、
テーブルの上を見た瞬間、ムコが言った。
「……割れてますね」
真っ二つに割れたマグカップ。
中身はもう入っていない。
「これ、恋人からもらったやつで」
「それは悲しいですね」
「はい。でも」
男性は、そこで一度言葉を切った。
「割ったの、俺じゃないんです」
来た。
この流れ、慣れてきた自分が嫌だ。
「隣に住んでる人で」
「隣人トラブルですね」
「はい。すごく、いい人なんです」
嫌な前置きだ。
「毎朝挨拶してくれて」
「ゴミ出しも手伝ってくれて」
「俺が落ち込んでると、声かけてくれて」
ムコが小声で言う。
「師匠、“いい人”って言葉が三回出ました」
「警戒だな」
「昨日も、部屋に来て」
「勝手に?」
「いえ、俺が招きました」
――自業自得案件か?
「その時に、割られた?」
「はい。でも」
男性は、困ったように笑った。
「“俺のため”って言われて」
隣人はすぐに見つかった。
三十代前半。
清潔感。
笑顔。
声がやけに柔らかい。
「いやあ、すみません!」
「マグカップの件です」
「ええ、ええ」
あっさり認めた。
「割りました」
「……理由は?」
「良かれと思って」
来た。
最悪の言葉だ。
「彼、あのマグカップでばかり飲み物飲んでたでしょう?」
「そうですね」
「でも、あれ」
隣人は、真剣な顔で言った。
「欠けてたんですよ」
「……欠け?」
「小さく。でも、危ない」
ムコが覗き込む。
「言われてみれば、ちょっと欠けてますね」
「ですよね!」
隣人は嬉しそうだった。
「だから、思ったんです」
「思わなくていいことを?」
「“手放すきっかけ”を、作ってあげようって」
俺は、嫌な汗をかいた。
狂気の一歩手前
「だから」
「割った?」
「はい!」
満面の笑み。
「彼、恋人と別れたばかりで」
「それで?」
「過去の物に縋るのは、良くないと思って」
ムコが完全に引いている。
「新しいスタートには、新しい器が必要ですから」
「……」
「それで、割って」
「それで?」
「感謝されると思ったんです」
沈黙。
論理は、ある。
でも、誰も幸せになってない。
隣人は、
本気で“助けた”つもりだった。
怒られる理由も、
悲しませた自覚も、
一切なかった。
「だって、正しいじゃないですか」
「何がだ」
「前に進むこと」
その言い方が、
妙に“慣れて”いた。
まるで、
誰かの言葉をそのままなぞっているみたいに。
警察沙汰にはならなかった。
隣人は謝罪し、
男性は納得した“ふり”をした。
新しいマグカップも買った。
表面上は、丸く収まった。
帰り道、ムコが言う。
「師匠」
「なんだ」
「今回の犯人」
「犯人じゃないな」
「……そうですね」
「悪いこと、してないですもんね」
「してない」
「法律的には」
ムコは、少し黙ってから続けた。
「でも」
「うん」
「誰かに“教わった正しさ”を」
「はい」
「他人に押し付け始めたら」
俺は答えなかった。
答えを知っているからだ。
事務所に戻ると、
ゴミ箱に、破られたチラシが一枚残っていた。
“あなたの生活、整っていますか?”
誰が捨てたのかは、分からない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
もう、
ただのあたおか事件には
戻れない。
善意は、
静かに人を壊す。
そして――
それを止める方法を、
俺はまだ知らない。
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