第4話 消えたペン一本と、信仰という名の地雷原


「失礼します……ここが、あの……“探偵事務所”ですか」

 ドアの隙間から顔を覗かせたのは、痩せ型の男性だった。


 目が据わっている。声が妙に小さい。入ってくる角度が慎重すぎる。


 この時点で、俺は悟った。


 事件より先に人間が壊れているタイプだ。

「はいはい、どうぞ」

「師匠、もう靴揃えてますよこの人」

「揃え方が異常に丁寧だな」


 男性は椅子に座る前、一度深く礼をした。

「……消えたんです」

「また“消えた”か」

「今度は何です?」

「……ペンです」

 ムコが口を開きかけて、閉じた。

 学習している。


「一本」

「一本」

「黒のボールペン」

「どこにでもあるやつですね」

「違います」


 男性は、震える手で胸ポケットを押さえた。

「あれは、“選ばれたペン”なんです」

 来た。

 宗教だ。


「どう“選ばれている”んです?」

「私は毎朝、五本のペンを並べます」

「並べるな」 「そして、その日の“導き”を感じる一本を選ぶ」

「感じるな」

「そのペンで文字を書くと、思考が整うんです」

「師匠、完全にアウトです」

「まだセーフかもしれん。ギリギリ」


 依頼人は続けた。

「ですが昨日……そのペンが……消えた」 「盗難?」

「分かりません」

「最後に使ったのは?」

「祈りの後です」

「もうダメだ」


現場検証:聖域(ワンルーム)


 依頼人の部屋は、異様に整っていた。


 ペン立ては左右対称。


 机の角度は部屋と完全に平行。


 壁には紙が貼ってある。


「……“教義”?」

「はい」

「書いてある内容が」

「“ペンは人を選ぶ”……」

「宗教ですね」

「宗教ですね」


 その時、ムコが声を上げた。

「師匠!床に……」

「何だ」

「ペンの……影が残ってます」

「影?」

「ここだけ、埃の付き方が違う」


 俺は頷いた。

「つまり……」

「ペンは“消えた”んじゃない」

「“持ち去られた”」

 依頼人の喉が鳴った。

「……やはり……“試練”……」

「違います」


 俺は、静かに言った。

「犯人がいます」


犯人:信者の一人

 隣室に住む男。


 依頼人の“教え”に感化され、

 勝手に集会に参加し、

 勝手に信仰を深め、

 勝手に限界を越えた人物。


「……あのペンは……」

「返してください」

「“預かった”だけです」


 男の目は、完全にイっていた。

「あのペンは……“器”なんです」

「器?」

「選ばれし者だけが使える……」

「勝手に設定増やすな」


 男は叫んだ。

「私は!

 あのペンを使う資格があるかどうか!

 試したかっただけだ!!」

「師匠」

「ああ」

「この事件」

「うん」

「全員あたおかだ」


真相(地獄)


 犯人は、

 ペンを使ってみたが、

 “何も感じなかった”。

 結果、逆上。


「ペンが悪いんだと思いました」

「最悪の結論だな」


 ペンは無事回収。

 依頼人は安堵し、

 犯人は連行された。


 帰り道、ムコが呟く。

「師匠」

「なんだ」

「ペン、ただの100円ですよね」

「ああ」

「宗教って、安上がりですね」

「言うな」


 事務所に戻り、

 俺は今日の事件をファイルに綴った。


『消えたペン一本事件

 ※関係者全員、少しずつ壊れている』


 探偵業とは、

 真実を暴く仕事ではない。


 正気の境界線を確認する仕事だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る