スノー・ガイド
inasa
第1話 きっと今が最底辺
――"5歳から転落人生の負け犬"
俺を表す一番良い表現だ。
「おかーさん!今日のごはんは……」
すれ違う親子から、懐かしい響きが聞こえた。
5歳の誕生日に両親が蒸発した。借金を残して。
きっと俺の運は5歳で使い果たしちまったんだろう。あぁそうに違いない。だってあの時まで俺はきちんと幸せだった。
「ヌルガイ!今日の飯はみつけたか?
そのでかい図体なら、奪いとるのも簡単だろ?」
「仕事帰りなんです。そんな真似しませんよ。」
道端のもう動かない、ボロい車の車窓からわざわざ身を乗り出した男。彼にヌルガイと呼ばれた俺は投げやりな事実を飛ばす。この男はよく飯の有無の心配をしてくれる。随分と親切だ。
「おうそうか、じゃあ金を持ってるわけだ。」
男は車を降りた。
嗚呼いつもこうだ、余計な情報を出すんじゃなかった俺の馬鹿野郎。
「どいてください……帰って筋トレしたいんで。」
「それならいいトレーニング法があるぜ。
分かってんだろう?――俺達との殴り合いさ。」
物陰からわらわらと出てくる男たち。二…いや三人に増えた。
「……どいてください。傷つけたくない。」
「虚勢を張るなよクソガキ!!!」
――
……本当に虚勢だった主人公が、他にいただろうか。
俺はそいつらにボコボコにされた。それはもう、見事に。いっそ綺麗に床に転がっていた。
「いい加減学べよ。そんなナリしときながら、いつになってもやり返さない。馬鹿にも程がある。」
財布取られたなあ
「分かってないなぁ。ここのルールというか、常識だろ。どうせお前と違ってこっちは仕事もないんだ。慈善事業ってやつさ。」
だって怖いだろ。人を殴るのは。
報復とか感触とかそいつの目とか……罪悪感とか。
「…半分は頂くからな。」
へえお優しいな。
男たちは去っていった。
…男はここの秩序もクソもないルールに従って、報酬を手にした訳だ。この世の条理には合ってる。だけど。
ヌルガイは頭上を見上げた。
――キラキラしたピンクの、砂嵐の空。俺らに有害な、空。
人々は、この空から身を守るために、協力してる。
母から教わった、秩序というルール。
それを守ってれば、報われる。
守らないやつは、弾かれる。
実際、なんとかそのスタンスで仕事を手にしたんだ。
この運を、尽かす訳には行かない。
「……分かってないのは、どっちだ。」
でも。
もうずっと夢見るだけでいる。
何者にも奪われない、穏やかな明日の存在。
「夢物語に見えてきたなあ……。」
――
スノースペースと呼ばれている、この世界。
空はいつも壊れている。
キラキラと光る砂嵐が、止むことなく吹き荒れているのだ。
美しい、と思う者もいる。
終焉を迎えた後の世界に、最後に残った装飾のようだと。
だが、その空は、人を生かさない。
長く晒されれば、身体が壊れるわけでも、苦しみに満ちるわけでもない。ただ、少しずつ削れていく。存在が、薄れていく。やがて、消える。
人は集まり、ある力で囲いを作り、安全地帯を定めた。
それが「エリア」だ。
壁と屋根に守られた、わずかな安息。
人々はそこで眠り、食べ、ひとつの秩序を共有する。
"スノースペースで生きる"とは、
エリアの内側で生きる、ということだった。
――
しかしまあ、どうかしてるだろ、このエリアは。
その名の通り、荒くれ者の巣窟だ。
治安はいいとは言えない。喧嘩も盗みも、日常の延長だ。
雪賊エリアは、誰も拒まない。
どこのエリアで生まれたとか、
何をやらかしたとか、
どんな立場だったとか。
そんなものは、ここではどうでもいい。
来る者拒まず。
逃げてきたなら、それでいい。
だから、このエリアには「訳あり」しかいない。
追い出されたやつ。
居場所を失ったやつ。
自分のエリアを、もう信用できなくなったやつ。
俺はそんな奴らの子孫だ。
人々は慣れている。
余所者に。
失敗者に。
負け犬に。
優しさがあるわけじゃない。
ただ、線を引かないだけだ。
「五十二、五十三、五十四……」
そんなことを考えながら、片手の腕立て伏せを続ける。
強くなるためじゃない。逃げるためだ。
殴り返さなくても、生き残れるように。
追いつかれないように。
捕まらないように。
ついでに思考も、逃がしたくて。
何かの役に立つかなと、夢を見ながら。
――
その日、俺は仕事をクビになった。
――友人に嵌められた。
とぼとぼと帰路を辿る。本当に俺は馬鹿だ。友人は俺のお陰で昇進するんだろうな。生活が更に安定するんだろうな。いいなあ。
……俺も、いつか。
遠くから、嫌な音が聞こえた。
靴底が地面を叩く音。
複数。速い。追う側と、追われる側。
……またか。
このエリアじゃ珍しくもない。
見なかったことにすればいい。
それが正解だ。
俺はフードを深く被って、路地を抜けようとした。
「……っ!」
その瞬間、視界の端に"橙色"が飛び込んできた。
転びかけた女の子。
細すぎないが華奢な身体。息が切れている。
ふわふわした長い茶髪を靡かせて、慣れない走りをしているようだった。
彼女が下手に、しかし必死に振るその腕を、男が乱暴に掴んだ。
「待てって言ってんだろ!!」
――反射だった。
考えるより先に、足が止まった。
なんでだよ。
見逃せ。
関わるな。
頭の中で、何度も警告が鳴る。
それでも――
女の子が顔を上げた、その一瞬。
目が合った。
……ああ、最悪だ。
世界が、少しだけスローになる。
可愛い、とか。
守りたい、とか。
そんな高尚な言葉じゃない。
ただ、
運が尽きた瞬間の顔だった。
俺は、よく知っている。
「……離せ。」
自分の声が、思ったより低く響いた。
男たちが一斉にこちらを見る。
四人。以前と同じ構図。
違うのは、今度は俺が“割って入る側”だということ。
「なんだテメェ」
「通りすがりです。
その人、放してください。」
掴んでいた男が笑った。
「は? ヒーロー気取り?
後ろで、もう一人――
女の子を庇うように立つ、痩せた男が息を荒くしている。
スーツ。
このエリアじゃ浮きすぎる服装。
「……ナテマ、下がれ」
男が、女の子に小さく言った。
名前を呼ぶ声。
守ろうとしてる声。
――ああ、そういう関係か。
まあいいけど。
ちょっと湧いた苛立ちをチンピラ達にぶつける。
「どうした。さっさと尻尾巻けよ。」
少しだけときめいた心を。
偶然見かけた幸せを。
守るためなら、この拳もふるえたりしないかな。
「……ッ」
男の一人が、殴りかかってきた。
――来た。
逃げるために鍛えた身体が、
初めて“前に”出た。
拳を避け、懐に入る。
肘。
肩。
体重を乗せて、突き飛ばす。
相手が地面に転がる。
「なっ……!」
「こいつ、やべぇぞ!」
自分でも驚くほど、身体が動く。
殴らない。
壊さない。
ただ、近づけさせない。
それだけを考える。
数秒後。
男たちは舌打ちを残し、散った。
「チッ……覚えとけよ」
……覚えられたくないなぁ。
静寂。
息が荒れる。
腕が少し震えている。
「……大丈夫ですか」
俺は、後ろの二人を振り返った。
男は深く頭を下げた。
「助かりました。
本当に……」
そして、女の子――ナテマ。
まだ少し怯えた目で、
それでも、じっと俺を見ていた。
「……ありがとう」
その一言で、
胸の奥が、変な音を立てた。
――ああ。
やっぱり最悪だ。
こんな感情、
この世界で一番、持っちゃいけない。
守るとか。
助けるとか。
善意とか。
奪われる理由にしか、ならない。
それでも俺は、口を開いた。
「……エリアの外れまでなら、
案内しますよ」
男が一瞬、驚いた顔をする。
「……いいんですか?」
俺は、ナテマから目を逸らして答えた。
「……仕事クビになって、ヤケになってるんです。
散歩に付き合ってください。」
「ふむ、それは運がいい。」
……は?人の話聞いてたか?
スーツの男の発言にぽかんとする。
「仕事を探しているのなら。喜んで君を雇おう。
君は命の恩人だ。出来ることがあればぜひ報いたい。」
マジか。
「雇用条件が微妙であるし、深く検討していただきたいが。
悪いところから言おう。このエリアから離れて、第三ラボエリアに移住しなくてはならない。手続きはなんとかしよう。
それから…」
「ぜひ!ぜひ働かせてください!こんなエリアさっさと出ていきたいんです!あぁこんなことあっていいのかな。はは、やっとツキがまわって…」
まんまるい目の2人がこちらをみている。
「…すみません。遮ってしまって。」
スーツの男がくすりと笑う。
「いいんだ。細かい話は歩きながらしよう。我々は素敵な縁を捕まえたようだ。」
幸運を、掴んだ。
絶対に、今度こそ、手放さない。
この幸運の保証を。
スノー・ガイド inasa @InasaKakuyomu
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