最終話 天へ すべてを解き放ちて

「いな君、私たちも乗せてよ」

 ドキッとした。女の子の声だ。

 翔一は下を見下ろして、はっとした。やっぱり真美ちゃんだ。翔一の顔は赤くなった。


「真美ちゃんたち、いたの?」


「うん、さっきから見てたんだよ。空飛んで凄いね。私たちもやりたいな」

 真美ちゃん、亜美ちゃんそれに弘美もいる。


「え~っ、でもこれ、見た目より凄く怖いし、危ないんだよ」

 翔一が困り顔で答えた。


「うるせえな、おめえが出来たんだからあたしらにも出来んだよ。さっさと教えろよ!」 

 噛みついてきたのは弘美だ。

 男勝り、と言っては語弊があるが、弘美はメチャクチャ気が強く、翔一はいつも言い負かされる。言葉だけではない。これまた語弊があるが腕っぷしも強く、クラスの男子で弘美に逆らう奴はいない。

 翔一は黙ってしまった。


「いな君と一緒なら私大丈夫だから、ねっ教えて」

 真美ちゃんにそう言われ、翔一の顔は益々赤くなった。


「いなボー何考えすぎてんだよ、一緒にやりゃあいいじゃん。男子3人と女子3人だから、ちょうど1人ずつ相手できんじゃん。なあしっ君?」

 さっちが話を前へ進める。


「まあ、何とかなるんじゃねえか。一緒にやろうぜ」

 しっ君が決めた。


「いいよ、じゃ弘美はさっちが教えてね。しっ君は誰に教える?」


「て言うかさ、いなボーは真美ちゃんがいいんだろ。俺、亜美ちゃんに教えるよ」

 しっ君が笑いながらバカでかい声で言ったので、翔一は気が動転してしまった。


「いや、俺そんなつもりじゃ…」

 嘘だった。

 あたふたしながら真美ちゃんを見る。


「よろしくね!」

 真美ちゃんはそう言ってニコリと笑った。


「ってふざけんなよ。なんで俺が弘美なんだよ、勘弁してくれよ」

 さっちがグチる。


「あっ、おめえ今なんつった?あたしじゃ嫌なのかよ、おい?」

 間髪入れずに弘美が食ってかかる。


「いえ、弘美さんでいいです」

 さっち、弘美の迫力に押され思わず敬語。


「じゃあ、最初から一緒にやった方が分かり易いから、俺たち一度段ボールから降りようか」

 そう言って翔一は地面に足を着けた。しっ君とさっちも続いて降りた。みんなの中心に立って、翔一は大きな声で説明を始めた。


「最初だけ俺が説明するね。まずね、風を待ってるときは、段ボールをこうやって身体の前に付けるんだよ、いい?」


「あっ、こうか?」

 弘美が隣にいるさっちに訊くと、さっちは黙って頷き、翔一を見るように促した。


「そのままの体勢で乗れそうな風、強い風が来るのを待ってるんだ。でも、どれが乗れそうな風か分かんないだろうから、いい風が来たら合図するね。

 それまではそのままのポーズだよ」

 翔一はしゃべり終えると真美ちゃんと目が合い、二人は同時に頷いた。


「うわ~、ワクワクする」

 亜美ちゃんは嬉しそうだ。


「いなボー、あとさ、音のこと言わなきゃダメだろ」

 しっ君がフォローする。


「あっそうそう、一番大事なこと忘れてた。今しっ君が言ったように、乗れそうな風が吹くときは、空の高いところから『ゴオーーー、ゴオーーー』って音が聞こえてくるんだよ。それが合図だよ」


「え~、それって普通の風の音と違うの?何か凄いワクワクする!」

 亜美ちゃんはワクワクが止まらない。


「う~ん、何て言うのかな、地響きみたいな低い音なんだけど、空の凄く高いところから聞こえてくるんだよ、『ゴオーーー、ゴオーーー』って。分かる?」

 翔一は同意を求めて女子たちをじっと見るが、全員きょとんとしている。


「風の音なんて分かるわけねえだろ、っつたくよ」

 口火を切ったのは弘美だ。


「でもさ、その音が聞こえないと風に乗れないんだけど…」

 翔一が頼りなく反論する。


「ああ面倒くせえな、風が来たら乗りゃあいいんだろ」

 弘美がイラついている。


「参ったな…」

 翔一は弘美が苦手だ。


「私、頑張って『ゴオーーー』っていう音聞くよ。いな君のこと信じてるから、一緒に連れてって」

 翔一は真美ちゃんに救われた。


「よし、ここからは集中な」

 さっちがみんなに檄を飛ばし、みんなはじっと耳を澄ました。

 段ボールは風を受けて前後に揺れ、甲高い風切り音が耳をかすめた。いつもそうだ。こうして風を待つ時間はとても長く感じられる。

 翔一は少しだけ真美ちゃんの方に目をやったが、真美ちゃんの真剣な表情を見た途端、何かとてもいけないことをしたと思い、すぐに正面に向き直って気持ちを引き締めた。

 不思議と誰もしゃべらない。こんなに長い時間静かにしていることは、授業中でも無かった。

 翔一は何とはなしに段ボールに印刷されたカモメのロゴを見つめていた。みんなの段ボールにも、このロゴがあるのかな?

 そして何気に真美ちゃんの段ボールに目をやろうとしたときだった。

 突然やってきた強風に、段ボールを掴んでいた翔一の手は離れそうになった。みんなは一斉に身体を緊張させて、前傾姿勢をとった。


「来たか?」

 さっちが叫ぶ。


「来たよ、来た!」

 翔一が答える。続けてアドバイスを送る。


「みんな、この風いい感じだよ。後ろに飛ばされないように、前に重心掛けて耐えてね」


「うわっ凄い風、ワクワクする!」

 風を堪えながらも亜美ちゃんは笑顔を忘れない。

「よっしゃー、来いや!」

 弘美のテンションが上がってきた。

 風圧は順調に上がっている。この風ならいけそうだ。あとは天の声を待つだけだ。興奮を抑えつつ耳を澄まさなくては。

 ときどき横から煽られ、段ボールが身体からずれヒヤッとする。今この状態で段ボールが飛ばされたら、やり直しは効かないだろう。


「みんないい、身体の中心に段ボールが来るように、しっかりバランスを保ってね」

 翔一は自分が気づいた注意点をみんなに伝えた。みんなは注意深く段ボールを操作する。段ボールの上側が更に押し上げられるのを感じる。甲高い風切り音がみんなの耳をすり抜けた。

 とそのときだった。みんなが一斉にビクリとする。


「ゴオーーー、ゴオーーー」


 みんなが一緒に聞いた。一瞬沈黙が続きやがて顔を見合う。


「あの音か?」

 弘美が尋ね、さっちが答えた。


「そう、あの低い音だよ、『ゴオーーー、ゴオーーー』ってやつ」


「真美ちゃんは聞こえた?」

 心配そうに翔一は確認した。


「うん大丈夫、聞こえたよ」


「ああ、よかった」

 翔一はホッとした。


「本当だ、すんごく遠くから聞こえてきた。何だろうね超不思議、ワクワクする!」

 亜美ちゃんも問題なさそうだ。

 よし、次に進めるとしよう。

 折よく段ボールの先端がグワっとしなる。いい風だ。


「みんな、もっと重心を前に掛けるんだ。前に倒れるくらいにね。こんな感じに」

 翔一が見本を見せた。真美ちゃんも見よう見まねでやってみた。


「真美ちゃん、俺の段ボールと同じくらいまで倒してみて、大丈夫怖くないから」

 そう言って翔一は自分の段ボールを真美ちゃんの段ボールに寄せた。やがて二人の段ボールは重なった。

 翔一が他のみんなに目をやると、さっちと弘美はかなり前傾している。身体を使うことに関しては、二人は呑み込みが早い。

 しっ君と亜美ちゃんも和気あいあいとやっている。


「風に乗れそうになったら跳ぶぞ、俺合図するから」

 さっちが指示した。みんなは、つま先が地面から離れそうになるのを感じた。


「今だ、跳べ!」

 さっちの掛け声に、みんなが一斉に地面を蹴った。女子たちの段ボールが前後に大きく揺れ、真美ちゃんが思わず叫んだ。


「あっ、いな君!」

 翔一は真美ちゃんの手をしっかり掴んでいた。段ボールの揺れは徐々に収まり安定した。


「おお浮いた!」

 弘美は足をバタつかせてはしゃいでいる。 

 翔一が真美ちゃんから手をゆっくり離すと、真美ちゃんは微笑み、翔一に尋ねた。


「私たち風に乗っているの?」


「うん、同じ風にね」

 風は柔らかに二人を押し始める。


「よし、早くなるよ。こんな感じで、身体を後ろに反らせるんだよ」

 翔一が真美ちゃんに見本を見せた。


「えっ、こんな感じ?」

 真美ちゃんが真似をする。


「そう、そうだよ」

 二人の段ボールはピタリと揃って前へと滑り出した。


「風、気持ちいいね」

 真美ちゃんの声に翔一は頷いた。

 風に流れる真美ちゃんの長い髪に、翔一は思わず見とれてしまった。

 目の前をさっちと弘美が横切っていく。あいつ等なかなか似合ってるな。

 しっ君と亜美ちゃんもニコニコしてマイペースでやってる。

 そろそろ揺り返しが来る頃だ。翔一は合図を送った。


「みんな、そろそろ後ろに戻るよ。慌てないで、風の流れに任せれば大丈夫だから」


「弘美、大丈夫だと思うけど後ろに倒れ過ぎないように気を付けろよ」

 さっちは必要なアドバイスだけを弘美に伝えた。


「ああ、ありがとよ」

 弘美は前を向いたまま答えた。

 しっ君はジェスチャーで亜美ちゃんに教えている。

 やがてみんなの段ボールはフワッと突き上げられ押し戻され始めた。何となく無重力状態のような、ポーンと放り出されたような、全身の力が抜けたような、不思議な感覚であり時間だ。この時ばかりは何もできないし、何もしなくていい。ただ風に身を任せて、糸の切れた凧のようにゆっくりとたたずんでいればいい。

 だいぶ後ろまで戻ってきた。みんなちゃんとバランスを取って、風に浮かんでいる。


「よ~し、そろそろ始まるぞ!」

 しっ君が気合いを入れた。

 風目が変わり出し、真美ちゃんの髪が後ろへ流れ出した。

 みんなの段ボールの後ろが一斉に押し上げられると同時に、上体を立てた。全員いいタイミングだ。無理なく加速をして、きれいに風を滑る。

 余裕が出てきた翔一は、ふと前を見た。


「あっ、木だ」

 正門の左右に佇む2本の高い木だ。木はそこにあったはずなのに、全く気が付かなかった。いつも学校の帰りに見上げているあの木。


「一体いつからここにあったんだろう。いつまでここにあるんだろう。俺が年をとってもまだあるのかな。そして俺がこの世からいなくなった後もあるんだろうか。たぶんずっと先のことだろうけど…」

 そんなことを一人で考えていた翔一は、突然はっとした。


「上へ行け?」


 真っ直ぐに伸びた木が、天を指して翔一にそう合図しているように見えた。木の頂の遥か上には青い空が見えた。


「天の声が聞こえてきたあそこか…」

 翔一は顔を上げ独り言を呟いた。


「いな君どうしたの?」

 真美ちゃんに声を掛けられ、まずいところを見られたと思い翔一は少しドギマギした。  

 どうしよう、何て言えばいいかな、変だと思われるかな。翔一は少し考え正直に答えてみた。


「あの目の前の木がね、上へ行けって言ってきたんだ。たぶん気のせいだろうけど」


「へ~、あの木が言ってきたんだぁ~。どこまで高く行けるのかな?」

 真美ちゃんは、夢見がちに問いかけてきた。


「えっ、う~んどこまでかなぁ~、やろうと思わなかったから分かんないけど、やろうと思えばもうちょっとは行けると思うけど…」

 翔一は自信なく答えた。


「でもさ、こうして段ボールで風に乗ってること自体が何か奇跡でしょ。だったら、もっと高く飛べると思えばきっと行けるよ」

 翔一は真美ちゃんに背中を押された。

 確かにそうだ。段ボールで風に乗るなんて、普通に考えたらありえないことだ。こんなことができたのだから、強く願えばきっと何でもできそうな、そんな確信が翔一に中に沸き起こった。


「そうかもしれないね。行ってみようか、もっと上へ?でも高いところは怖いし結構危ないから、俺一人で行くよ。真美ちゃんは待ってて」


「私も行きたい。いな君となら平気だよ、信じてるから」

 間を置かず真美ちゃんが答えた。


「…うん分かった。じゃあ、みんなも誘って一緒に行こうか?」

 翔一が真美ちゃんに確認すると、真美ちゃんは頷いた。


「お~いみんな、もっと高いとこに行かないか?目の前の木を越えて、もっと空の方まで」

 翔一の提案に一同は一瞬考え込むが、


「よし、行っちゃうか!」


「おう面白れぇ」


「もっと高く?わーワクワクする!」

 と賛同の声が返ってきた。

 翔一は高くそびえ立つ正門の木に目をやった。


「じゃあみんな、まずはあの木のてっぺんを目指すよ。もっと上体を後ろに反らせて、重心を後ろに掛けるんだ。上に行けるように、段ボールの前を上げるようにして」

 翔一は細かく指示を出した。みんなは背筋に力を入れきれいに反り返ると、段ボールは徐々に上がり出した。

 さっちと弘美の段ボールの底が見える。やっぱりあの二人は器用だ。おそらくほとんど何も考えず、身体が勝手に動くんだろう。

 みんなはいい感じで高度を上げて、木に近づいた。

 こんな高いところからこの木を見たことなんて、当然ない。不思議な光景だ。

 やがてみんなの段ボールは、木のてっぺんを通過した。


「わあ~」

 みんなは一斉に感動の声をあげた。


「そろそろ揺り返しが来る頃だな」

 翔一は思い出した。

 ところが不思議なことに今回は揺り返しが来ない様子だ。ある程度の高さまで上がると、揺り返しは来ないのだろうか。


「あれっ、戻んねえな…」

 しっ君も不思議に思っている。

 段ボールは既に校庭を離れ、近くの畑の上を飛んでいた。家々の屋根が見下ろせる。ベランダに干した洗濯物が風に揺れるのが見える。まるで航空写真だ。風の勢いは衰えず、みんなの段ボールは順調に空へと向かっている。

 段ボールは決して無理な力がかかるわけではなく、スムーズに風に乗っている。さっきまでは横風に煽られたりしてバランスを取るのにあんなに苦労したのに、今はとても安定している。スーッと気持ち良く浮いて、どこまでも高い空へ、天へ近づいている感じだ。


「いな君、私のお家、たぶんあれだよ」

 真美ちゃんが下を指差しながら翔一に微笑む。


「あっ、そうだね、あの赤い屋根のお家かな」

 翔一は不確かに答えた。

 俺の家はどれだろうか。そう思い翔一は自分の家がある方に目をやるも、翔一の小さな家は既に見えなかった。


「みんな大丈夫?怖くない?」

 翔一がみんなを気遣う。


「怖えわけねえだろ、スゲー気持ちいい」

 弘美は度胸がいい。


「よお、いなボーよ、どうせならさ、このまま行けるとこまで行ってみようぜ、なあ?」

さっちが煽る。


「行けるところまで?・・・」

 翔一はふと思い出した。いつのことだったろうか、翔一は自分が手にしていた風船をうっかり手放してしまったことがあった。風船はどこまでもどこまでも空に吸い込まれていった。翔一は飽かずにその風船をいつまでも見ていた。


「この先一体あの風船はどうなるんだろう」

 本当に最後の最後まで見届けようと決して目を離さなかった。

 結果その風船は、空の青に溶けた。そして二度と現れなかった。


「俺たちはこのまま行けばどうなるんだろう?もし誰かが下から見守っているとしたら、その結末はどうなるんだろう?消えてなくなるのか?俺だけでなくみんなも一緒に消えてなくなっちゃうのかな?」

 そんな取り留めもないことが脳裏をかすめ、翔一は少し不安になった。


「いな君どうしたの?」

 真美ちゃんが優しく微笑んできた。その笑顔に翔一は救われた。


「よし、行けるところまで行ってみよう。今から俺は、自分という小さな存在から解放される。いつまでも、この仲間たちと一緒だ。右にも左にも、俺の友達がいてくれる。きっとこれが平等ということなんだ」

 翔一が上を見上げると、天の声が聞こえる辺りはまだ遥か彼方に見える。

 翔一はもう一度だけみんなに訊いてみることにした。


「本当に天まで行ってもいいの?」


「あたぼーよ、やるっきゃねーだろ!なあ?」


「決まってんじゃん、行くぞ!」

 さっちと弘美はもうその気だった。


「だろ、だから行こうぜ。亜美ちゃんも大丈夫だよな?」


「行く行く、凄いワクワクする!」

 しっ君と亜美ちゃんの意志も固いようだ。


「真美ちゃん一緒に行ってくれる?」

 翔一は少しドキドキしながら尋ねた。


「うん、いいよ」

 真美ちゃんが笑顔で返してくれた。

 既に地上の様子は見えなくなり、6人は見渡す限りの青い空に包まれていた。

 深呼吸して翔一は叫んだ。


 「よしみんな、

     大きな風に乗るぞ、

           風に乗れ!」


 やがてみんなの段ボールは天へ向けて、更に上昇を始めた。

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風に乗れ 美心(みごころ) かえで @inakun

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