第3話 ひきこもりの正当性
リタが住んでいる黄地区は五区の中でも特に勢いがあり、人口が集中している。
猫の額並みのBIO《ビオ》東京となれば、向かうところは超高層ビルであり、人々は時代を重ねるごとに、さらなる真天を目指す。アベレージで百階建ての高層ビルたちが空間を食い尽くし、群立していた。
夕刻となればビルの中から人々が溢れ出す。仕事の半数以上が通勤を必要としないからこそ、反動的に人は外に出たくなる。歓楽の街、その色使いは多様性に溢れ、開放感に満ちた人々は物理的な快楽に身を沈めていく。
迫り来る人流から脇に逸れたとき、リタの背景に立ち並ぶ店舗の一つから声がかかった。
「お兄さん、どうすかぁ? 今日はいい魚、入っていますよ」
北方から運ばれた天然の魚介類を提供する飲食店のようだ。自動化をあえて避け、人が料理を運ぶ古風な演出が受けているようで、店内は人が多い。
香ばしい匂いがリタを誘うが、一人で食べるなんてありえない。
もちろん、他人と一緒に入るなど、彼は考えたことがない。
リタが無言のまま立ち去ろうとすると背後から「無愛想な人」と浴びせられた。
うるさい、と内心で毒を吐くが、言葉にはしない。
ぽつぽつと雨が顔にあたり始めた。
自宅がある高層ビルに到着した。
セキュリティゲートをくぐると、最近買い換えた新型のイヤホンから「ブロック承認」と声が聞こえた。
全ての行動(トランザクション)は、ブロックチェーン技術に基づく個人情報保護システム、バグアに記録され、所定のデータ量になると一括りにされてブロックに格納される。ブロックは横一列に繋がれ、人が死ぬまで続く。いわば個人の歴史だ。
この現実を作り出したのが、量子コンピューターの標準化と閾値を超えたAI(人工知能)の進化であった。総数で京を超えるAIが、ブロック生成に勤しむ個人を擬することで成立している。一人につき、一〇〇個体のAIがグループを作り、任意のAIが、トランザクションが納められた新ブロックと過去のブロックを繋ぐナンス値を発見し、多数決で承認されれば記録は更新される。
人は生まれたとき、本人を証する秘密鍵がナノマシーンの形態で注射され、脳細胞に住み着いている。対になる公開鍵を持つ固有のブロックチェーンと紐付いて、人は唯一無二のNFT(ノン・ファンジブル・トークン)となる。そして、ブロックが正常に生成されている限り、本人の存在が立証される。
気づくと黄色いテープで塞がれているエレベータの前にリタは立っていた。
またか、と小さくつぶやく。
リタは一〇年前に破棄された高層階専用のエレベータの前に立ってしまうことがある。かつて両親と住んでいた七五階を含めて五〇階以上はもう存在しない。リタは別宅として両親が所有していた四五階に一人で住んでいる。
別のエレベーターの前に立つと運良く一階に止まっていた。素早く乗り込んで誰も人が入らないように下を向きながら「閉」のボタンを連打した。四五階に到着し、内廊下を抜けて自宅前に進むと自動で扉が開いた。
靴を脱いで七五平米の広い一LDKに進めば、西に面した一面の窓ガラスにビル群の中腹が並び、ピクセルのような明かりが人の存在を教える。
窓がない別の高層ビル、その外壁には透過モニターが貼られ、無音のコマーシャルが垂れ流されていた。
リタはリビングにあるベージュ色のL型ソファーに沈んで、紙袋を隣に座らせた。
雨が本格的に降り出し、窓ガラスに長い斜線を描いている。
「……喉が渇いたな」
久しぶりの外出に身体は悲鳴を上げて、ソファーから離れたくないと訴える。
しかし咽の喉が優勢で、リタは仕方なく踏ん張って立ち上がり、キッチンに向かった。冷蔵庫を開けて炭酸水を掴んだ。
「リタ。お帰りなさい」
自宅管理AI、イプシオンが声をかける。
「ああ」
「室内温度は快適ですか」
ペットボトルをあおりながら頷いた。
隅々に設置されたカメラがリタを包み、音声応答以外の動作でも、AIとのコミュニケーションが可能だ。
雨音は聞こえないが気配がする。
こんな日はどうしても一〇年目を思い出す。
吹き飛ばされた上層階が地表に横たわり、高さが半分になった高層ビルは黒煙を上げていた。
両親は死亡、友達の家に遊びにいっていた八歳のリタだけが生き残った。
その惨劇は、黄地区で起こったサイバーテロ、ハードフォーク・リビリオンと連動した爆破事件であったが不明な点が多く、捜査は難航、数年後に打ち切られた。
被害者の遺体のほとんどが見つからず、家から送り出した母の「いってらっしゃい」と、父の「気をつけてな」が、リタが知る最後の姿であった。
汚れた水のような感情が記憶から染み出し、意識を染めていく。
リタは炭酸水を荒く飲み干した。
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引きこもりアイドルオタクがバーチャルアイドルと世界を救う物語 灰緑 @f_s_novel
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