第2話:土下座の代償と、婚約者
山中での一件から数日後。
王都に戻ったアレクは、伯爵家の屋敷の一室で静かに待機していた。
窓の外では、冬の名残を引きずる冷たい風が庭木を揺らし、薄曇りの空が重く垂れ込めている。
やがて、屋敷に戻った父、レイマール伯爵が執務室へアレクを呼びつけた。
伯爵は相変わらず鋭い目つきをしていたが、以前のような怒気は薄れ、代わりに複雑な焦りが滲んでいた。
「……辺境伯から報告があった。お前の働きで、山賊団との協力が成立し、他の賊徒や、その背後にあった隣国の工作組織を一掃できたそうだ」
伯爵は机に肘をつき、深く息を吐いた。
その横顔には、誇りと困惑が入り混じったような皺が刻まれている。
「辺境伯は、王城への報告でお前の名を挙げた。大切な部下たちの命が救われたのは、お前の能力によるものだとな」
アレクは驚きに目を瞬かせた。
あの夜、必死で頭を下げ続けた姿が、まさか国王の耳に届くとは思っていなかった。
伯爵は続ける。
「……廃嫡は取り消さん。だが、伯爵家の子息であることに変わりはない。当家にも恩賞を受ける権利はあると、私は主張した」
父としての情ではなく、貴族としての計算によるものだが、アレクを伯爵家子息と公言したことに間違いはない。
どうやら命拾いしたようだと、アレクは心の中でため息をついた。
それからの日々、アレクは伯爵家の謝罪担当として社交界に姿を現すようになった。
豪奢な広間、煌びやかな宴席、外交の場――どこに行っても、彼の名は先んじて囁かれる。
「親族が失敗をしたら、代わりに関係者に土下座をして回り、許してもらうらしい」
「伯爵家に便宜を図ることを約束すれば、親族でなくても代わりに謝罪して回って、その失敗を無かったことにしてもらうとか」
「近隣国家が言いがかりをつけてきた時に、土下座をして納得してもらい、戦争を回避したらしいぞ」
アレクは、どこでも、誰にでも頭を下げた。
時には身をさらして土下座し、時には額で靴を磨き、時には吹雪の中で数時間頭を垂れ続けた。
そのたびに、周囲の者たちは彼を憐れみ、軽蔑し、スキルの効果は増していった。
やがて、国中で彼の名を知らぬ者はいなくなった。
だがその名声は、尊敬ではなく、徹底した侮蔑と呆れによって形作られていた。
ある日、王城の会議室。
重厚な石壁に囲まれた空間で、国王、公爵、侯爵らが伯爵を呼び出し、深刻な表情で話し合っていた。
「――あの男の土下座を使い過ぎて、最近は効果が薄くなってきたように思うな」
国王の低い声が響く。
「ええ、もう貴族の中で、彼を憐れむ者はいません。あれが生業と認識されています。これ以上は軽蔑しようがないくらいに忌み嫌われていて、他者の感情によるスキルの効果上昇は、もはや見込めないでしょう」
公爵が眉間を押さえながら言う。
「本人の感情はどうなんだ?」
侯爵が問うと、伯爵は苦笑を浮かべた。
「自分の問題でないと謝罪の念は湧きにくいみたいですね。恥辱や苦痛も……人前でできることはやり切った感があり、本人も慣れてきています」
「来月の海洋国家との貿易交渉、どうなるか……」
「外交使節が話を受け入れるまで、先方が憐れむような、過酷な痛みを与えながら土下座をさせる……くらいか、残された手段は。いや、さすがにそれは伯爵が許さないだろうがな」
「私はそれでもかまわないですがね。息子が王国の役に立てるのであれば、こんなに嬉しいことはないですよ」
伯爵は平然と答えた。
その瞬間、辺境伯が鋭い声を上げた。
「伯爵殿は、ご子息がどんな苦痛を与えられても、それが嬉しいと……。これまで、可哀想だと思ったことはないのですか? 肉親としての当然の情があれば、土下座スキルの効果も一層増して、負荷の必要など無くなるのでは?」
伯爵は一瞬だけ目を泳がせた。
「え、ああ……まあ、可哀想ですよ。でも、私が悲しそうな顔をすると、皆さんが息子を使いにくくなってしまうでしょうからね。努めて笑顔になっているんです」
辺境伯は深く息を吐き、提案した。
「提案します。アレク・レイマールには婚約者を用意しましょう。彼が土下座をすることに、強い憐れみと軽蔑を感じるような、そんな婚約者が一人でもいれば、また土下座スキルは威力を取り戻すかもしれません」
「それは妙案だな。アレク・レイマールも、婚約者に見られているとなれば、強い恥辱と苦痛の念を抱くようになるかもしれん」
「だが……あの男の婚約者になりたがる娘が、一人でもいると思うか?」
「なりたがらなくてもいい。高飛車で、自分の婚約者を他人の婚約者と比較して、その評判ばかりを気にするような娘なら、憐れまなくとも強い軽蔑の感情を抱くだろう」
会議室に静寂が落ちた。
「では、皆様のお知り合いで、娘をあの男の婚約者とすることを了承する者がいれば、推薦をするということで……よいですね?」
公爵の言葉で、会議は終わった。
会議から一週間後。
王都の中心にある公爵家の庭園は、初夏の陽光を受けて白い砂利がきらめき、色とりどりの花々が風に揺れていた。
その中で、アレクは緊張した面持ちで椅子に座っていた。
髪を整え、礼服に身を包んでいるが、どこか所在なげに視線を彷徨わせている。
向かいの席に座っているのは、公爵令嬢のアリシア・レーヴェンヒルド。
陽光を受けて輝く金の髪を肩に流し、深い青の瞳を持つ少女だった。
その姿は気品に満ちているが、どこか勝ち気な雰囲気を漂わせている。
彼女は紅茶を一口含み、あっさりと言った。
「そういうわけで、私があなたの婚約者になりました。以後よろしく」
アレクは思わず目を丸くした。
「そういうわけでって……君、そこまで知らされていて、怒ってないのか? 高飛車で、評判ばかり気にしてるって言われたのと同じだぞ」
アリシアは涼しい顔で肩をすくめた。
「事実ですもの。怒るわけないでしょう。私はプライドが高く、結婚相手はこの世で一番素敵な男性がよいと、常々公言していました」
「俺のスキルと、世間の評価は知っているよな?」
「ええ。まずは、あなたのスキルの安売りをやめなさい。他の貴族の失敗をフォローするために使うことを今後禁じます」
アレクは困ったように眉を寄せた。
「それは……父上に許可をもらわないと。代行土下座は、伯爵家の大きな収入源になっているんだ」
アリシアは紅茶のカップを置き、少しだけ身を乗り出した。
その表情は、どこか挑発的で、しかし真剣だった。
「私のような、可愛い婚約者が言っているのですよ? 少しは言うことを聞いてあげようという気にならないんですの?」
アレクは頬を赤らめ、視線を逸らした。
「気持ちとしては、言う通りにしたいよ。自分に婚約者ができるなんて思っていなかったし、全部言うことを聞いてあげたい。でも、俺は自分のスキルの使い道を決められる立場じゃないから……」
「その言葉で十分です」
アリシアは満足げに微笑んだ。
「私がお父様に働きかけて、あなたのことを守ります。貿易交渉であなたの土下座が失敗に終われば、私との婚約は白紙になってしまうので、あなたも気合を入れて土下座の訓練をするように」
アレクは思わず苦笑した。
「土下座の訓練って……」
「当然でしょう? あなたのスキルは国の未来を左右するのですから」
庭園を渡る風が、二人の間を柔らかく吹き抜けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます