土下座スキルと公爵令嬢
オータム
第1話:授かったのは『土下座』だった
王国では、成人を迎える年に、すべての人間が神よりスキルを授かる。
それは一生を左右するほどの力であり、戦闘系スキルは軍事力を、政治系スキルは統治力を示す。
どの家も子どもがどんなスキルを得るかに一喜一憂した。
王都の大教会――白い大理石の床が朝の光を受けて淡く輝く荘厳な空間で、伯爵家の長男アレク・レイマールは、静かに列の中に立っていた。
両親の期待を一身に背負い、今日という日を迎えている。
同い年の貴族子弟たちが並ぶ中、祝福の儀式は厳かに進んでいく。
次々と優秀なスキルが告げられ、場は羨望と歓声で揺れた。
そして、アレクの番が来る――。
「この者に授けられしスキルは、『土下座』」
聖堂が静まり返り、次の瞬間、ざわめきが爆ぜた。
「土下座……?」
「聞いたことがないぞ……」
両親の顔が青ざめる。
アレクの父――レイマール伯爵は、鋭い目つきの壮年の男で、普段は威厳に満ちているが、今は怒りに震えていた。
大神官が慌てて古文書を持ってこさせ、震える指でページをめくる。
「……『土下座をすることで相手からの許しを得る力。謝罪の念が強いほど、本人の恥辱や苦痛の思いが大きいほど、他者からの憐れみや蔑みが大きいほど、効果が増す。相手は土下座を防ぐことはできない』……とあります」
聖堂の空気が凍りついた。
伯爵は怒りを抑えきれず、声を荒げる。
「貴族としての誇りを捨てろと言うのか! こんなスキル……勘当だ!」
アレクは反射的に膝をつき、深く頭を下げると、そのまま倒れこむように土下座をした。
「父上、申し訳ありません! お許しください!」
その瞬間、伯爵の胸元に淡い青色の光が灯り、怒りがすっと消えていく。
「……ふん。下働きとしてなら置いてやる。だが、家督は弟に継がせる」
アレクは顔を上げられなかった。
周囲の貴族子弟たちは、スキルと家格をもとに結婚相手を探すため、王家主催のお茶会へ向かっていく。
華やかな衣装が揺れ、笑い声が遠ざかる。
アレクだけが、広い聖堂に取り残された。
外へ出ると、夕暮れの王都は金色の光に包まれ、石畳が長い影を落としていた。
アレクはその影の中を、ひとり静かに歩き出した。
スキル授与式から数週間。
朝靄の残る伯爵邸の中庭で、アレクは、父親であるレイマール伯爵に呼び出されていた。
伯爵は鋭い目つきのまま、冷たい声で命じた。
「……お前に、山賊討伐を任せる」
山賊団は自領と隣領にまたがって活動しており、討伐には相応の戦力が必要だ。
しかし伯爵がアレクに与えたのは、わずかな手勢だけだった。
アレクは父の真意を測りかねながらも、静かに頭を下げた。
直ちに準備を整えて出立し、数日の行程を経た、灰色の雲が垂れ込める午後。
隣領との境の山中に差し掛かると、木々の間から別の部隊が姿を現した。
鎧の継ぎ目が使い込まれた銀色に鈍く光り、先頭に立つ男は鋭い目つきをしているが、どこか誠実さを感じさせる落ち着いた雰囲気をまとっていた。
「……辺境伯領の討伐隊か」
アレクがつぶやくと、男が歩み寄ってきた。
「そなたは……レイマール伯爵家の長男殿か。私は辺境伯領討伐隊長、ガルドだ。どちらへ向かっているのか、聞いてもよいか?」
低くよく通る声だった。
アレクは軽く頭を下げた。
「はい。父の命で山賊討伐に向かっています。ガルド殿もですか?」
「うむ。我々も、山賊討伐に向かっているのだが……」
ガルドは何やら言いにくそうにしている。
「伯爵領に入ってしまっても、私からは何も言いません。このあたりの領境は入り組んでいますからね。可能なら、辺境伯領の皆さんと協力して討伐にあたれればと思っています」
「我々は構わんが……レイマール伯爵はそれを許すのか?」
「伯爵領と辺境伯領の意地の張り合いで、山賊がなかなか討伐されず、領民はずっと苦しんでいると聞いています。私は……ご存知かと思いますが、伯爵家の面子など気にする立場ではありませんから」
ガルドは一瞬驚いたように眉を上げた。
「伯爵家の者が、そう言うとはな。ありがたいことだ。今回の討伐で、山賊どもを根絶やしにしてやろう!」
アレクとガルドは握手を交わす。
こうして、両軍は初めて肩を並べることになった。
その夜。
焚火の明かりが揺れる野営地は、湿った土と松の香りが混じり、静けさの中に緊張が漂っていた。
突然、辺境伯領の兵士が叫んだ。
「囲まれている! 山賊の大軍勢だ!」
一気に緊張が走る。
迎撃の準備をしようとした瞬間、アレクは気づく。
――自分の手勢が、誰一人いない。
焚火の向こうから、山賊の頭目が姿を現した。
粗野な笑みを浮かべた大男だ。
「伯爵領の兵士たちが教えてくれたぜ、ここでお休みだってな」
「なんだと……!?」
「馬鹿な奴だ、罠とも知らずのこのこ来やがって。お前の親父の伯爵様に頼まれたのよ、息子の人生を名誉の戦死で終わらせてやってくれとな」
アレクはその言葉に、愕然とした。
「そんな父上は俺のスキルは許してくれたはずじゃ……」
「へへ、伯爵夫人様が、恥ずかしくて仕方ないからどうにかしてくれって、親父さんにお願いしたんだとよ。美しい夫婦愛だな」
「母上が……」
確かにあの時、アレクが土下座をしたのは、父親だけだった。
母親までもが自分のスキルをそこまで忌み嫌っていると、認識できていなかった。
「俺たちが欲しいのは、伯爵家の長男の首だけだ。辺境伯領の奴らの命まで奪おうとは思ってねえよ。降伏して武器を捨てな」
ガルドは一歩前に出て、怒りを押し殺した声で返す。
「我々は今、伯爵が山賊を使って子息を殺害しようとしたことを知ってしまった。それでも生かして帰してもらえるのかね?」
頭目がにやりと笑う。
「わかってるじゃねえか。お前ら全員、皆殺しだ!」
剣が抜かれ、空気が張り詰める。
その瞬間、アレクは頭目の前に飛び出し、地面に膝をつくと、即座に額を地に伏せて土下座した。
「待ってくれ、辺境伯領の者たちは見逃してもらえないか。彼らは父上と俺の確執に巻き込まれただけなんだ」
山賊たちが怒号を返す。
「関係ねえよ!そいつらだって俺たちを殺しに来たんだろう!!」
アレクは必死に声を張り上げた。
「彼らはあなたたちと話し合いがしたかったんだ。それが、俺たち伯爵領の兵士がうろついているのを見て、辺境伯領内で好きにさせるわけにはいかないと、監視のために同行せざるを得なかったんだ」
「そんなの信用できるかよ……! 俺たち山賊と、何を話し合うってんだよ!」
アレクはガルドへ視線を送る。
「アレク殿……」
助かるには、アレクの作ったこの流れに乗るしかない。
ガルドは深く頷き、静かに言った。
「その通り。辺境伯様は、特に隣国からの工作を心配している。そなたたちが隣国の手先ではなく、食うに困って山賊をしているのであれば……手を組みたいと仰っていた」
アレクは再び深く頭を下げ、額を地面に叩きつけた。
「頼む! 俺は抵抗しない! 彼らは見逃してやってくれ!! 辺境伯はあなたたちに敵対するつもりはないんだ!!」
山賊たちがざわめく。
「見逃して、後から大軍を率いて来られたら、たまったもんじゃねえからな……」
アレクは立ち上がり、武器を捨て、鎧を脱ぎ捨てた。
そして再び、深く頭を下げて、流れるように土下座する。
「俺自身は完全に武装解除だ。この状態で、俺が人質になる。だから、彼らは見逃してくれ」
「お前は自分に人質としての価値があると思ってるのか?」
アレクは静かに答えた。
「確かに、両親は俺の死を望んでいる。そういう意味では、人質としての価値はないだろう。だが……父上が山賊と手を組んで、俺と辺境伯領の兵士たちを殺そうとしたことを、俺が生きていれば証言可能だ。父上……レイマール伯爵や辺境伯があなたたちを裏切ろうとした時に、そうやって脅せば、レイマール伯爵は自分の名誉を守るために必死になってあなたたちへの攻撃を止めようとするだろう」
アレクは土下座の姿勢のまま、地面を這うように頭目へとにじり寄った。
焚火の残り火がまだ赤く息づき、石は熱を帯びている。
アレクは額をそのすぐそばまで押し下げた。
「どうか私を人質にしてください! お願いします!」
あまりに情けない姿に、山賊たちも辺境伯領の兵士たちも、思わず息を呑んだ。
主人公はさらに地面を這い、頭目の靴に額を押し当てた。
「焚火の熱で温まったこの額で、あなたの靴を磨かせていただきます。このようにお役に立ちますから、どうか私を人質に……!」
一人、また一人と、山賊たちの胸元に淡い青色の光が灯る。
「……仕方ねえな」
こうしてアレクは人質となり、ガルド率いる辺境伯領の兵士たちは無事に帰還を許された。
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